ブログを更新しようと思いつつ、沢山保存された記事はあるのですが、
どの順番にアップしていくのがいいのかわからず、溜め込んでいる毎日。
先日書いたように、受験とは直接関係の無いここ数年感じた所感のようなものが多いので、
時間を見つけ整理していこうと思っています。
これは今日書いているもの。
このところ、実際の日程や時間を考えての受験校のご相談であったり、願書を拝見したりという季節になりました。
私は自分が10年以上前に書いた、幼稚園受験時の願書や、小学校受験時の願書を取ってあるのですが、
先日、ふと、願書に書くことをメモしたり、まとめたようなノートが出てきて、目に入ったので読み返してみました。
はて、、、、、。
果たして、
私は、今、我が子たちにこうなって欲しいと思っているか。
そう聞かれたら、
今、一部分は未だに思っている面もありますが、全てこう思っているかどうかわかりません。
むしろ今は全く思っていない面があります。
でも、こうなって欲しいと当時思ったからこその、今の気持ちなのかもしれません。
我が子たちがまだ幼児の時に、こんな風に思っていました。
文章では違う形に書いていますし、書いていないことも学校によってありますが、恥を忍んでピックアップ、
・物事に対し、当事者意識を持って臨める人。自分で考え、判断し、行動できる人。
・身近なことに目標を立て、それに向かって粘り強く努力する人。
・自らの力で世の中を、時代を切り拓き、将来社会に貢献できる人。社会を先導していく人。
・自分正しいと思った道に自信を持って進んでいける人。真実を見極め判断できる人。
・自分の可能性に挑戦できる人。
・何か自分の興味あること、好きなことを見つけ、極め、それを深めて欲しい。個性を伸ばして欲しい。
・心優しい人。心豊かな人。
・謙虚さを持って、感謝と思いやりの気持ちを忘れず、相手の立場に立って物事を考えられる人。人の話に耳を傾けられる人。他人の考えを聞ける人。
・愛される人。
小学校生活に関してはまだまだいっぱい。
可哀想に!もう大変!!うちの子たち!!
自分でも笑ってしまいました。
ただ、ここに、勉強ができる人とか、学力の高い人、というのはメモにすら入っていなくて、それは今と変わらないのかな、、、と思いもしましたが、
これ、わが子たちには読んでもらっていませんが、
私が今読んでみて、
もうお腹いっぱい。。。
胸焼けです。
ここで、私は「自」という文字を何回使っているだろう。
世の中には、親から子への様々な形の愛情のかけ方があったり、時に愛情がかけられない場合があったり、
様々な親子関係が存在するわけですが、
私の友人であったり、
私がお教室で接している保護者の方たちや、
我が子たちがいる環境であったり、
皆さん、自分の子どもが大好きな、愛してやまない人たちばかりです。そう思っています。
自分も含め、ね。
そこで色々考えるのです。
こんなお腹いっぱいなメモを残しているわが身を振り返って、色々感じたのです。
我が子たちは、本当に自分で将来を模索して決めていかなければならない年齢にだんだんなってきたので、
今だったら、私はこうは思っていないなら、
私は彼らに何を伝えていきたいか。
これからの社会を生きる彼らに、
明らかに常識や価値観が変わってきている社会で生きる彼らに、
何を伝えたいか。
私もそれを今少しずつ考えています。
今、願書を書いたり、この先願書というものを書く親御さんたちへ。
例年、願書を拝見していると、お子さんへの思いは強いものだと感じます。
その思いがあるからこその、この子なんだな、と、私たち接している先生たちは、よくわかります。
それくらい、愛されて、強く思われて育っているのだと思います。
これってとても良いことです。
断言できます。
でも、もしかしたら、将来私のように、自分が求めていたことの多さや内容に苦笑してしまうときが来るかもしれない。
そんなときも、少し想像して、少し楽しみに想像して、
子どもに将来こう育って欲しいと求めて、願っていることが、
いったい何なのか、何を意味するのか、
少し遠くから自分たちを見つめる目で書いてみるといいのかな、と思います。
これって、願書の書き方合格バイブル、
みたいなものとは、少し違うメッセージかもしれませんが、
親の思いに溢れている今だからこそ、
ちょっとそんな風なことも考えながら書いてみるのも、悪くはないと思うのです。
そして、願書の志望動機は学校への思いを強く書きましょうね。