こんばんは。まりんです。
ご無沙汰してます〜って内容の記事から、数日が経過しました。
いかがお過ごしでしょうか。
数名、昔よくブログを更新していた時に、関わりを持たせていただいた方からのリアクションがあり、嬉しかったです
さて。
前回の記事で「社会人になった」というお話をしましたが…
この度、脱サラすることになりました。
しかも自営業をするということでもなく、しばらく無職になります。
その理由について、今日は綴らせてください。
長文になると思うので休憩しながら、読んでもらえたら嬉しいです
きっと今少しずつ話題となり…また、憧れを抱く人も多い、FIRE早期退職なんかを思い浮かべてくれた方もいると思います。
ですが、残念ながらそうではありません。
一生を暮らしていく貯蓄もなければ、資産運用とかもほとんどしていません(放置してるNISAと確定拠出年金くらい)
じゃあ、なんでか。
理由は簡単です。
心身ともに病んでしまったから。
元々、私が中学生の頃にこのブログをよく更新していたのは不登校が原因でした。
いじめを受けて学校になかなか通うことが出来ず、でも心のどこかで「外との繋がりを遮断したくない・したら終わる」という思いもあって。
そこで始めたのがこのブログ(今は恥ずかしくて記事全部非公開にしましたが笑)。
逆境に負けたくないという思いから、つけたブログタイトルが「リアル奮闘記」でした。
あれから約8年経った今、再度リアルで奮闘しなくてはならなくなるとは……
笑い事では無いのですが、もはや笑うしかありません。
ブログを更新しなくなってから、しばらくは順調に学生生活を送り。
そして、就職しました。
就職活動が本格化した頃に、世ではコロナウイルスが蔓延し始めて
そして新卒採用の中止や延期が相次ぎました。
私はしっかりその影響を受けた1人です。
次で最終面接って時に、その企業から新卒採用中止のメールが届いたりして。
本当にボロボロになりました。
自分の実力不足や相性の悪さでお祈りメールを受けるなら、ショックだけど立ち直れる。
でも、自分は悪くないのに急に拒絶される事態が多々発生して。辛くて辛くて仕方がなかったです
今はもうありませんが、NNT(無い内定)アカウントを作り、Twitterで騒いでた時期も有ります(笑)
そんな中で、ようやく出た1社の内定に縋り付くようにして、就職活動を辞めました。
慣れないWeb面接や、急激に変化していく採用情報・世界情勢に疲れ、食らいついていく精神的な体力を失っていたからです。
それから、その当時は内定取り消しも多発していたので、「御社だけです」と、しっかり唾をつけておく必要もあったんですよね
今思うと3月末のギリギリまで、自分の可能性に賭けてみても良かったと思います。
友達と予定していた卒業旅行も当然中止、大学の講義も最後の1年間は、ほとんどオンラインでした
当時はワクチンがまだ無く、テレビでは連日、コロナによる死者数が放送されて。
周囲はピリピリしていたし、リアルに投石や村八分の可能性もある田舎暮らしだったので…外出もまともに出来ませんでした。
そういった状況もあり、1番楽しいはずの卒業間近の期間も、特に楽しい出来事もなく、社会人になってしまいました
私は無駄に責任感が強くて
入社後は志高く「こんなご時世で採用してくれたんだから、バリバリ働くぞ」とやる気に満ちていました。
中学時代の不登校の経験から、他者に寄り添おうという思いは人一倍強くあるし、人と接することも好きだったので、就いた仕事的には間違ってなかったと思います
でも会社(正確には配属された職場)との相性が悪かった。
そのことに実は、入社してすぐの春先に気がついていました。
「これっておかしくない?」って思うことが多かったり、実際にオブラートに包んで疑問点を挙げても、乱暴な答えで突っぱねられたり
自分で言うのもなんですが、私は自発的に行動できる性格だし、教わるよりも学び取ろうとする人です。
そんな私ですら、理解ができないことも多くて
質問をしても「自分で考えて」という返答。
自分で考えて行動してみたら「○○を〜して欲しいだけなんだけど」と怒られる。
いや、知らんがな。
そんな気持ちを抱きながらも、どうにか食らいついていきました。
入社後は入学シーズンやゴールデンウィーク、僅かな閑散期を挟んで夏休み…と、繁忙期をその人的環境の下で、ほぼ休憩無し・サービス残業当然という労働環境も加わった状態で乗り越えました。
そこまでは無遅刻無欠勤で早退もしなかったし、我ながらよく頑張ったと思います。
そして少し忙しさが落ち着いた頃に、一回目の不調期間を迎えます。
まず、眠れなくなった。今まで出来ていた買い物や家事が出来なくなった。
それから、声が掠れるようになりました。
体調も芳しくない日が続き、数回早退を繰り返して。ここで流石にまずいと感じ、精神科にかかり。
そして診断は案の定「重度のうつ」。
うつ(気分の落ち込み)というのは1から6の段階に分けられていて、健常者であれば1〜2の間で発散しながら過ごすのだそうですが、当時の私は5まで達していて深刻な状況でした。
そこで医師から「すぐにでも仕事を休んだ方がいい。少なくとも3か月は…」と言われ、診断書を書いてもらいました。
診断書を元に当時の上司へ相談し、3か月の休職期間をとりました。
休職前の面談では、当然うつに至るまでの環境や職場での問題点も、しっかりお話して。
復職時には環境を変えるという口約束もしてもらって。
「ああ…これで良い方に転がればいいな」と、願いながら休職期間に入りました。
ところが、休職期間満了間近に伝えられたのは「元の職場に戻って」という言葉でした
確かに書面を交わした訳では無いし、良く捉えれば、私の負担も考慮した上での命令だったのかもしれません。
でも正直私にとってそれは、結果的に良くない方へ転がる原因となります。
戻ってみたら、人的環境と労働環境どちらも、1ミリたりとも改善されてなかった。
でも「休ませてもらったんだから頑張らなきゃ、私がこの環境どうにかしなきゃ」という思いで無理をしました。
けれど1回目とは違い、1か月もせずに体調は逆戻り。何なら悪化してしまいました
視界の歪みや体のだるさでふらついて起き上がれなかったり、職場や仕事に関わることに対してのみ分かりやすく声が出なくなったり。
家事も片付けもできない、薬は飲み忘れる、急に涙が出る、原因不明の高熱(PCRは陰性)、頻繁に出る鼻血、腹痛と吐き気。
復職してからそんなこと続きで、何日も欠勤を繰り返しました。
でも無駄にある責任感で、休んだ日も心身共に全く休めなくて。衝動的に死を考えたこともあります。
流石にそれで「ああ、もう限界だ」って思いました。
入社から退職を決めるまでの間、何度も「退職」や「転職」という文字は頭の中でチラつきました。
でも変な意地や責任感で
「こんなご時世で、またどこかに雇ってもらえるんだろうか」
「石の上にも三年…3年はこの職場に居ないと。少なくとも1年は続けないと…」
「私が居なくなったら困るって思われるようになってから辞めてやりたい」
とかそんな思いが、ずっと頭を駆け巡って邪魔をして、ズルズル結論を先延ばしにしてしまった
その結果、休職前よりもうつ症状は悪化し、転職のために行動する余裕もなく、退職を決めざるを得なくなってしまいました。
本当に後悔先に立たずですが、こんなことになるなら、もっと早く退職していれば良かったと思っています
同期も春からどんどん辞めていたので、もっと早く動けたはずでした…それでも今の会社への僅かな希望を捨てたくなかったのです。
と、これが私の就職から退職までの経緯です。
退職を決めてから周囲を見てみたら、自分が思っていたよりも多くの友人が転職していたり、自分探しをしていることが分かりました。
追い詰められて視野が狭くなっていたんだな…と改めて感じます
一先ず、これから新たな環境に飛び込む方皆に伝えたい。
死ぬくらいなら、逃げちまえ。
暗黙の勤続3年ルールなんてクソ喰らえ。
良くも悪くも…自分が居なくても世界は回ります。
劣悪な環境にわざわざ居続ける義務なんてない。
辞めてからのことは自己責任だけど、死ぬよりずっといいと、私は思います。
これだけ自分の職場をけちょんけちょんに書きましたが、それでも自分の会社の理念には共感できるし、会社自体は好きでした。
ただ、配属先ガチャ大失敗って感じです
配属先だって、好きな人や尊敬できる人ももちろん居ましたしね
でも、それでもどうにもならないくらいの悪が存在したということです。
重い話でごめんなさい
本当に長くなってしまったので、これからのことについてはまた後日、別の記事にしたいと思います。
読んでくれてありがとう。
おやすみ
(まだ全然寝ない)