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帝国陸軍好きの読書ノート

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「帝国陸軍好きの読書ノート」にお越しいただきありがとうございます

仕事を持つ身ですのでそんなに多くの本は読めないのですが、日頃読んだ本のこと、本を読んで考えたことを忘れないために読書記録をつけてます。

阿川弘之等を利用した宣伝の結果、世間では海軍善玉史観が流布しており「帝国海軍」ファンは数多くいますが「帝国陸軍」ファンは本当に少ないです。いろんなブログや本の紹介を見ても海軍の本が8:2以上で多い…そんなわけで微力ながらなるべく帝国陸軍に関係する本を紹介していこうと考えてます。

最初のうちは本当に備忘録として印象を書き残す程度だったのですが、徐々に読めばその本がどういう本なのかわかってもらえるような文章を書けるように努力しているところです。

非常に拙い文章ですし、考えの足りないところもあると思いますが、よろしければ御意見、御感想、御批判などをコメントに残してやってください。

また、内容が関係があるものでしたらトラックバックは大歓迎。事前の許可などは不要です。また、ご自身でわざわざ本の紹介を書くのが面倒な場合に参照としてお使いいただいても結構です。
このような記事でよければどんどんお願いします。

●簡単なご案内

私の自己紹介とこのブログのカテゴリー分類の方針については「はじめに(自己紹介など)」のカテゴリーをご覧下さい。

読書記録が増えてきたので「読書記録一覧」を作成しました。
よろしければこちらもご覧ください

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2015.04.19
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「丸」編集部編『沖縄血戦記録―本土決戦記』(光人社NF文庫、2011)

表題こそ沖縄となっているのですが、八丈島警備部隊、名古屋市の警察官、電波警戒機など多岐にわたる内容。というか沖縄戦は最初の1作のみ、しかも軍属によるもの。本書の中では第一航空情報連隊で電波警戒機を実際に使っていたという人が書いた記録が特に珍しいものかと思います。


1. 砂岡秀三郎「あゝ沖縄“武器なき兵士の島”最後の日」

雑誌「丸」昭和五十三年六月号収載。著者は当時四十六歳で海軍軍需部の理事生。昭和二十年三月二十三日の空襲から始まる沖縄戦の体験談。


2. 竹内尚三「八丈「鉄壁の陣」始末―知られざる磁烏防衛史/不沈要塞に賭けた青春」

雑誌「丸」昭和五十九年五月号収載。八丈島警備の混成旅団「浦第一二三七八部隊」経理部勤務の記録。

「高校卒の浪人となれば、否応なしにこの検査にひっかかるために、浪人の九割九分まではどこかの私立大学に無試験入学しておいて、徴兵延期の便法に走った。来年三月にはふたたびどこかの官立大学を受験するのである。」p98(昭和12年頃のはなし)

「現在の三沢空港も、当時は設備不良の軍用空港であった。軍用機は格納庫もなく野ざらしの形であった。」p102(昭和19年時点のはなし)

「軍の調達は、調達手続きよりも代金支払いにかんする書類作成が大変だった。売買の話がきまると、ザラ紙半分(B5)の紙に縦半分のところで線を引き、右が請求書、左が領収証になっている書類をつくる。その書類の形式がかんたんなようでなかなかややこしい。記入事項や印鑑の押し方までこまかい規則がある。
司令部には内部監査の機構があって、調定室とよんでいた。調定室の幹部はもちろんのこと、兵士まで税務署のように書類の不備をほじくりさがした。戦争中になにもそんな精査をしなくてもよさそうなものであるが、仕事の流れがそう定められているのだからしょうがない。」p157


3. 中野剛宏「金鯱城が炎上した日―中京大空襲始末/ある警察官の現場からの告発」

雑誌「丸」昭和五十五年九月号収載。筆者は昭和十七年四月十八日時点で名古屋市中川警察署巡査、昭和十九年二月時点では名古屋市熱田警察署会計係とのこと。著者が警察官というのがこのシリーズ中では珍しいところですが、主に警防団の訓練の様子や空襲後の名古屋市街地の様子などが書かれています。

(昭和十四年四月十七日(対米戦開始前)の警防団の防空訓練の様子)p187

(昭和十五年三月二十六日に米国船が伊良湖沖で座礁した際の話)p192

「この竹槍訓練が、どういう命令系統のもとにあるのかは、不明である。どこからその命令が出て、どこではじまったのかも、ぜんぜんわからない。軍部からではなさそうである。といって、県から出たものでもなさそうだ。もとより、町内の申し合わせではじまったことでもない。なんともわからないことだらけである。」p198

「このように、家財の持ち出しよりも消火を第一に、というこれまでの訓練をうけて、一月三日の空襲では、市民はことごとく家財を焼失してしまったのである。
しかし、これ以後は、消火はとうてい不可能ということが認識されて、もっぱら家財の持ち出しが優先的に考えられるようになった。
各家庭においては、あらかじめ家財を荷車やリヤカーにつんでおいて、非常のさいは、いつでもすばやく引き出せるように手配しておくようになった。
ところが、三月十二日の空襲のさいには、各自がこの荷車をひき出したものの、途中で荷に火が燃えうつったために、そのまま放置して逃げ出すという例が数多く見られた。
これが消火・救護にどれだけ障害になったか―はっきりしたデータはないが、私は身をもって痛感させられたのであった。」p220


4. 北田三郎「本土防空レーダー連隊奮戦始末―日本の秘密部隊/まぼろしの陸軍情報連隊の全貌」

雑誌「丸」昭和五十五年四月号収載。筆者は第一航空情報連隊(中部第一二九部隊)所属との事ですが階級は不詳。


(第一航空情報連隊の大雑把な沿革)p256-

「人員構成は、航空情報という高度の訓練を必要とするためか、旧制中学卒業者が約七十パーセント、逓信講習所、あるいは中野とか目黒などの無線の専門学校出身が約二十パーセント、その他となっていた。…」p258

「五、六、七、八の各中隊が、この新兵器の訓練をおこなった。これが、陸軍で最初の電波警戒機部隊となったものである。」p260

「幕舎内通信所配置図」(地三号無線機を設置する幕舎のレイアウト図)p265

(電波警戒機の概要説明)p270-

「要地用警戒機とは要地用、すなわち東京、名古屋、大阪、北九州などの要地を守るのが目的としてつくられたもので、電源は動力用二百ボルトを使用した。
極秘の兵器であったため、現存の写真は一枚もない。
電波警戒機の編成は、送信機一(ただし二台一組とし、六時間ごとに交替送信する)、受信機四(四個分隊)をもって、一個中隊を編成した。
送信機は、一台の大きさが約二メートル角(縦、横、奥行き)のものが並列でおかれ、ここで増幅された電波が、高さ約七十メートルの電柱から送信された。
演習中は、一万三千~一万五千ボルトくらいで送信(放射)した。そして実戦には、三万ボルトまで電圧(タップ調整)を変圧した。」p271-(要地用電波警戒機の概略など)

(野戦用電波警戒機)p278-
「野戦用警戒機の編成は、兵員輸送車、属品車、発電車、変電車、送受信車の五車両で一個中隊が編成された。
このうち、三番目の発電車は、トラックのエンジン後部荷台にもう一台のせ、五十キロワットの発電機に直結して発電し、これを変電車に送電して、ここで変圧して、送受信車へ送電するようになっていた。
つぎの送受信車だが、要地用警戒機の場合は、送信機と受信機はべつべつ(場所)であったが、野戦用は送受信車といわれるように兼用だった。
移動車の空中線は、電車のパンタグラフのように伸縮する仕組みになっていた。
しかし、内地部隊で移動するさいは、ちぢめた状態でも高さがあり、貨車輸送の場合などは、トンネルのない鉄道路線をえらぶのに苦心したものである。
送受信事の送信用空中線は、伸ばした状態の上半分とし、下半分は受信用となっていた。」


「第二航空情報連隊=ビルマ・ミンガラドン
第三航空情報連隊=満州・鞍山
第四航空情報連隊=ニューブリテン島ラバウル
第五航空情報連隊=比島・マニラ
第六航空情報連隊=中支・南京
第七航空情報連隊=スマトラ島
第八航空情報連隊=ジャワ島、セレベス島
第九航空情報連隊=(不詳)
第十航空情報連隊=(不詳)」p280
(各航空情報連隊所在地。出典が書かれていないのが残念です。)


5. 天野俊介「志布志湾「決戦場」に敵艦影を見ず―日本陸軍最後の防衛陣/一兵士の本土防衛戦秘話」

雑誌「丸」昭和六十年十一月号、十二月号収載。満期除隊していたが昭和十九年八月二日に臨時召集で小倉の野重五連隊に(再)入営したという兵卒の回想。

「(小倉市)北方にはほかに野重六連隊、旅田司令部などがあったが、当時は戦争中のため、旅田司令部は西部七十一部隊、野重五連隊は西部七十二部隊、野重六連隊は西部七十三部隊とよばれなていた。」p285-

「連隊は二個大隊六個中隊の編成、第一大隊は昭和十四年のノモンハン事変ではじめて実戦に使用された九六式十五榴の機械化砲兵で火砲は新品だったが、ディーゼルエンジン搭載六トンの九八式牽引車はだいぶ古かった。だがこれは、口径十五センチ、射程一万二千メートルのすぐれた砲である。
第二大隊はむかしの輓馬編成の四年式十五榴。岩田連隊長は六十歳すぎで、もちろん応召の老中佐。大隊長は幹候あがりの大尉、中隊長も幹候か下士官あがりの中尉で、士官学校出の将校は一人もいなかった。
下士官もほとんど召集兵で現役はすくなく、兵は予・後備の召集兵に現役、それに第一乙、第二乙の補充兵で、これが高年になって召集されてきているので、一等兵だと予・後備の召集兵か補充兵なのか、私にはさっぱり区別がつかなかった。
私たちが八月五日に入隊したときに、すでに新品の軍装で動員編成を完結し、出動するばかりに準備ができた九六式十五榴一個連隊(あるいは一個大隊かも知れない)が、兵舎をでて砲廠に起居していた。そしてまもなく出動して行ったのだが、私たちはそのあとの補充として入隊したのである。」(本土決戦部隊の人員や兵器の充足状況)p288

「連隊の兵員は、私たちが入隊するとがぜんふくれ上がった。だが、砲兵としての教育や演習はまったく行なわれなかった。泊がないので牽引率で火砲をひくことなど一度もなく、牽引車も火砲も車廠砲廠に格納したまま、第二大隊が執馬編成の火砲をひいて、演習に出る姿も見た記憶がない。通信・観測の演習もやっていたようすはなかった。
大勢の兵隊は、防空壕掘りに明け暮れていたようである。」p291








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最終更新日  2015.04.19 10:31:33
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