約130日の生還記がダウンロード出来ます。
print outすると、本のように閉じれます。
👇
ネオミーナの生還記

待っていた検査の日がやって来ました。
先ずは血液検査。


抗がん剤投与の後、白血球数が下がる人ならば、
1番下がる週の血液検査だったのですが
私は『7000』程ありました。
前の週が6000程有ったので、むしろ上がっていました。


弱り切った体でスタートした、強い抗がん剤を打っても
私の体・私の血液はビクともしなかったようです。(心の中で、体を褒めてあげました♪)


そして、先生に質問を投げかけてみました。
私「スマイル先生。私は浸出液の処置などで日常も大変です。
ですから、先に手術して
その後、再発防止に抗がん剤を打つ事は出来ないのですか?」
スマイル先生「手術は出来ません。」
私「でも、こないだまで(別の医師に)『切ったら治る』って言われていたんですけど・・・
先日も電話カウンセリングの医師から 『先に手術した方がいい。』って言われました。」
スマイル先生「・・・でも、あなたは手術出来ないんです。」
私「でも、先日、前の病院の外科医から
『君は乳癌を手術するとして、切る範囲が広いから
お腹の肉を切って胸に貼り付けようかな?』って言われたんですけど・・・」
スマイル先生「ガンがあるままの状態で、その上に別の皮膚を持ってきても付かないんだよ。」


当時の私は、あまりピンと来ず
全く意味が分かりませんでしたが
今では良く理解できます。


ガンから出る透明の液と
ガンでは無い部分から出る浸出液。
匂いだけでも全く違うように
ある意味
『治そうとする細胞の中に、邪魔をする細胞がいる』
ような感じ。


ガンの匂いを嗅ぎ分ける犬がいるそううですが
よく分かります。(私は一昨年まで、発していたので。2012年春まで。)


いつもの状態では無いから
細胞同士が結び付かないのです。


喧嘩や誤解や不信感が有るのに
心から受け入れてスキンシップを取って一緒になる事は出来ません。


先に
スッキリクリアーにしてから
本当に結びつき、一緒になるのだと思います。


こっちは良くても
あっちは嫌がっていたら
『善意の押し売り』と同じで
結果、上手くいかないのと同じような状態だと思います。

【闘病年表*:..。o○☆゚】

ランキングに参加しています。
応援どうぞ宜しくお願いします^ ^






にほんブログ村 ベンチャーブログ 女性起業家へ





━─━─━─━─━─闘病年表━─━─━─━─━─
2010年 
2月 胸のシコリに気付く
3月 受診(直径1cm。良性の特徴で詳しい検査無し。)
11月 乳がんと診断(トリプルネガティブ。リンパ節に転移有り。)
12月 民間療法スタート[ガン放置療法:食事療法(断食含む)]
〈開始時 直径4cm〉

2011年 
4月 代替療法スタート[ガン放置療法:温熱治療]
〈開始時 直径11cm(壊死を始める。肺に水も溜まる。)〉
10月 手術を決意
[標準治療選択・手術不可能]
11月 抗がん剤治療スタート
〈開始時 陥没状態。〉

★この時期です。

(開始2週間後、余命一ヶ月と宣告を受ける。)

2012年 
3月 手術可能になる
(抗がん剤の効果を体験。)
4月 乳がん手術成功(全摘手術)
5月 再発予防の術後抗がん剤スタート
8月 再発予防の術後抗がん剤終了
(術後治療終了後、3回の講演会)
11月 脳転移発覚(3㎝ 1個)後
ガンマナイフ手術を受ける。

2013年 
2月 脳転移消滅確認

2014年
11月 乳がんプチ講座再開
現在 経過観察中