人生は3つの宝探し | 子ども達と自然に暮らそ!

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十和田で耳つぼジュエリーのおうちサロンをする傍ら、
子育てがラクに楽しくなるように、
自然食、自然療法などを取り入れながら、
子ども達との自然な暮らしを提案しています。

十和田市ではこの3日間

秋祭りでした。

その中日の日中、

『みやざき中央新聞』の青森読者会がありました。

 

みやざき中央新聞というだけあって、

宮崎県で作っている新聞です。

なのに、全国にファンがいるという、

素敵な新聞です。

 

土曜は、その、編集長である、

水谷もりひとさんが

青森にいらっしゃるということで、

会いに行ってきました。

どんな新聞かと、一言でいうなら、

いいことしか書いていなくて、

いいお話ししか書いていない、

心温まる新聞です。

 

水谷さんの書いた社説を集めた本も

たくさん出ています。

『日本一心を揺るがす新聞の社説』

 

その、水谷さんのお話しの中で、

『人生は3つの宝探し』という

お話がありましたので、

紹介します。

 

死んで、あの世に行ったとき、

ご先祖様に、

 

「おまえ、わしが残した宝は見つけたか?」

 

と聞かれて、

 

「え?宝?そんなものあったんですか?」

 

「バカも~ん!!お前は目の前の宝に気づかなかったのか!」

って、宝の存在に気づかなければ、

そのまま一生を終えてしまう、

そんな3つの宝物があります。

 

一つはご先祖様

二つ目は子孫

三つ目は、太陽

 

【一つ目の宝:ご先祖様】

 

今の自分がここに生きているためには、

たくさんのたくさんのご先祖様がいたからこそです。

 

自分が生まれるためには父と母が出会わなければならず、

父が生まれるためにはおじいちゃんとおばあちゃんが

出会わなければならず、

同じように、お母さんのおじいちゃんとおばあちゃんも・・・

そうやって、

自分の上には二人のご先祖。

二人のご先祖の上には4人のご先祖。

4人のご先祖の上には8人。

8人の上には16人。

・・・・そうやって、30代前には、

10億7千万以上のご先祖様。

30代前まで全部合わせると

16億人もの先祖が、

一人も欠けることなく

命がつながってきたから、

今の自分がある。

たくさんの人たちの努力と、

たくさんの人の覚悟が、

今の私達なんだと。

 

一人として、

結婚して出会って、

子を産むまでに亡くなることなく、

 

どんな大変な時代であろうとも、

それぞれの母が、

「この子を産み育てるんだ」と、

覚悟をもって生んでくれた。

だからこそここにある命。

 

「愛とは、覚悟である」とも。

 

日本人は、仏壇に手を合わせ、

ご先祖様に感謝します。

それと同じように、

神棚にも毎朝手を合わせます。

神棚に手を合わせるのは、

全ての日本のご先祖様に

手を合わせているのと同じことです。

 

 

【2つ目の宝:子孫】

 

日本にある『神道』とは、

中今(なかいま)を生きるということです。

 

自分には過去があり

今があり、

未来がある。

その、過去と未来の間である

今を生きる道であると。

 

では、その、今を生きる道とは、

どんな生き方であるか。

 

『こどもたちへ~積善と陰徳のすすめ』

という本を紹介いただきながら

お話ししてくださいました。

 

どんな内容かといいますと、袁了凡という人がまだ若かった頃、日本でいうならば中央省庁の国家公務員になるために勉強していました。
そのためには「科挙」という国家試験に合格しなければならないわけですが、それがなかなか通らなかったのです。

それで母親から「あなたのお父さんは医者だったので、あなたも医者になりなさい」と言われ、それで母親の言うことに従って医学部に行く勉強に切り替えました。

そんなとき、あるお寺で一人に老人に出会います。
その老人は袁了凡を見るなり、将来を占うのです。

「そなたは科挙の試験に合格する。それから大学では72番の成績で、大学院では9番目の成績で、○○年に役人となり、給料は○○。○年には地方の知事になり、○年には中央に戻り、○年、53歳のとき、8月14日の丑の時刻に病気で死ぬ。それから一生子どもには恵まれない」と。

それを聞いて、彼はもう一度科挙の試験をめざし、見事合格します。その後の歩みも、あの老人が言った通りになります。

ある日、友人の僧侶のところに遊びにいき、飲みながら語り明かしました。
その際、若い頃に聞いた占い師の話をするわけです。

「自分はこれからこういう人生を歩み、53歳で病気で死ぬ。子どもはできない」と。

そしたらその友人の僧侶が言うわけです。
「お前、バカだなぁ。確かに人間の運命というものは定められている。
しかし、定められた運命のまま生きているのは凡人だけで、強運の人間と極悪の人間は定められた運命から外れていく。

つまり、善なることと出会い、その強さに引かれていった人はどんどん運気を上げていって、もともと定められている運命を超えることができる。

一方、悪なることと出会い、その強さに引かれていった人はどんどん運気を下げて極悪人となり、もともと定められた運命から外れていくもんだ。

だから、善なる行いをどんどんやっていけば、運命は変えられるんだ」

それを聞いて彼はびっくりするわけです。

「お前が平凡に生きようと思ったら、間違いなくその占い師の言う通りの人生になり、53歳で死ぬだろう。しかし、これから修行をし、善なる行いをやっていけば運命は変わるぞ」という話を聞いて、彼はどうやったらいいのかと質問します。

そしたら次のようなことを言われるわけです。

*善いことをしなさい。
*善いことをしたらそれを必ず記帳しなさい。
*善いことを三つしたら、3善。

 

ところが人の悪口を言ったり、親に反抗したりと、1日の中で悪い行いを二つしたら、差し引きます。3善-2悪=1善。
その日の善いことは1善となる。

そうやって彼は3000善をやっていきました。
そしたら妻との間に子どもが生まれました。

さらに3000善をやって、結果、79歳まで生きました。
そして、そのことを書き記し、息子の天啓に残したのが『陰隲(しつ)録』です。

たとえば、ごみを拾うとか、誰かのために何かをしてあげるとか、募金をするとか、そういうことを積み重ねることを「積善」といいます。


大事なことはそのことを人に言わない、自慢しない、これが「陰徳」です。
つまり、

「積善」は「陰徳」(いいことは、人知れず、自慢せずに行いなさい)でやれ!ということです。



善行の点数は1善、2善、3善と数えるのですが、その点数の高さは善行のレベルに比例します。
「人の命を救う」という行為は100善。
「重病人を介護する」は50善とか。

それで僕もやってみようと思いました。
翌日、公園の側を通ったら、前日バーベキュをしたみたいで、めちゃくちゃゴミが散らかっていました。
「ヤッター!善行するチャンス!」と思い、早速家に帰ってゴミ袋を取ってきて、掃除しました。

で、自分でいろんな善行の点数をマニュアル化しました。

*家の掃除は1善。
*近所の公園の掃除は2善。
*市営の公園の掃除は3善。
*県営の公園の掃除は5善。
*あいさつをするは1善。
*人を家に招いて接待をするは3善。
*FBに「いいね」をクリックするは1善。
*人に思いやりのある言葉をかけるは1善。
*誰かに元気の出るハガキを書くは1善。
*誰かに元気の出る手紙を書くは2善。
*誰かのために贈り物をするは3善。
*先祖供養をするは1善。
*読んだら元気の出るブログを書くは1善。
*献血をするは5善、等々。

最初は「ご利益がありますように」という卑しい思いもあったのですが、
だんだん楽しくなって、損得に関係なく、善行を楽しんでやるようになりました。

ただ、悪い行いをするとマイナスになります。
*愚痴を言う
*人の悪口を言う。
*夫婦喧嘩をする。
*公共のマナーを守らない(スマホなど)
*物を粗末にする。
*無駄遣いをする、等々それぞれ1悪としました。
*浮気などは50悪でしょうな。
*殺人なんか1万悪ですね。

「これくらいは神様は許してくれるだろう」というくらいの小さな悪いことも、実はちゃんと天の帳面にカウントされているそうです。
なので、善行も悪行も、自分でカウントしなくてもしっかり天の帳面に書かれていて、人生の最期でつじつまが合うようになっています。

 

で、そもそも、このお話しの、

二つ目の宝物である

「子孫」とは、どういうことかというと、

この、よい行いを積み重ねた積善ポイントは、

自分に返ってくるというよりは、

孫の代ぐらいの子孫に

福となって訪れる、という性質があるようです。

 

ご先祖様が徳を積んでくれたおかげで、

今があるのかもしれません。

 

実は、旦那も、今まで、何人かの人に言われたことがあります。

手相を見てくれた人とか、

たんじょうびで鑑定してくれた人とか、

「あなたは、ご先祖様が徳を積んでくれたおかげで、幸せな人生を送ることができています。ご先祖様に感謝してくださいね。」って。

その時は、

へえ~、そういうものか~って、思っていたけど、

今回、水谷さんのお話を聞いて、

なるほどと、腑に落ちました。

 

子孫が、幸せに暮らしていけるように、

徳を積んでいこうと思います。

 

募金箱を見たら、1円でも5円でもいいから募金するとか、

道端のごみを拾うとか、

元気の出るブログを書くとか、

自分のできるいい行いを、

人知れず、いいことしてるんだ!って、ひけらかすことなく、やっていこうと思います。

 

【3つ目の宝:太陽】

 

生きる=息る。

息をする→生かされている

とするなら、

「〇〇のお陰で生きている」

の、〇〇には何が当てはまるでしょうか?

 

食べ物であるとか、

自然の恵みであるとか、

空気だとか、

水だとか

いろんな言葉が入るけれども、

全てをたどると、太陽があるから

生きていると言えるのではないでしょうか。

 

日本はそもそも日の国です。

日出づる国日本ともいわれます。

 

天照大御神さまは太陽神。

大日如来も太陽を中心とした宇宙そのもの。

 

昔から、お天道様が見ているからと、

言われるように

太陽のお陰さまで私たちは生かされているのだと、

挨拶にもそんな意味が込められています。

 

「こんにちは」はの後に、よく、

「お元気ですか?」と言います。

 

そもそも、「こんにちは」は、

「今日はお元気ですか?」と、続いていた挨拶なのです。

 

「今日様(こんにちさま)」と、

太陽のことを呼ぶ地域も多数あります。

「今日(こんにち)」とは、

古くは太陽を意味します。

 

「今日はお元気ですか?」は、

太陽と一緒に明るく生きていますか?

という問いかけでもあるのです。

それを受けて、

「はい、元気です」と答えます。

「はい、太陽と共に、元気に生きていますよ」

と応答するわけです。

 

そこで、

「左様ならば、ごきげんよう」

と、続くわけです。

 

「さようなら」は、

「太陽さんと一緒に元気に生活しているのならば、ご気分がよろしいでしょう」という意味になるのだそうです。

 

そして、さらに、そうやって、皆太陽のもとでは

平等であるという思想から、

『和』を大切にする民族であるともいえるのです。

 

他宗教との大きな違いは、

絶対者がいないのです。

 

自分が正しい、向こうは間違ってる、

そういう思想ではなく、

「いい加減」=好い加減で、

対立しても、

和が大事なので、水に流すことができる。

 

にっぽんだろうが、にほんだろうが、

まあ、どっちでもいいですよと。

 

大きく和すると書いて大和。

 

そもそも、日の丸も、太陽です。

日本のシンボルは太陽ですよね。

 

太陽のように、

まあるく明るく

温かく

元気よく

心に太陽をもって

今を生きていこうと思います。


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