セルバンテス「ドン・キホーテ」4-2 | 世界文学登攀行

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世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

 
(P87-188)「第5章~第11章」


ちょっとサンチョさん!それはない!


冒頭からすいません。
言わずにはおれんかった。


さて、後篇を読みはじめていて、おや、と思うことがある。
それは、前篇でメインテーマになってもおかしくないようなあることがらが、前篇では一切語られず、後篇に至ってはじめて取り扱われたということである。


もちろん、前篇・後篇というシリーズものとして読めば、効果的な配置にも思えるのだが、おそらく「ドン・キホーテ」の前篇、後篇という区分は、後世の我々から見た区分であって、当初セルバンテスは後篇の制作を意図していなかったと思う。
もし「ドン・キホーテ」がヒットせず、後篇が作られなかったならば、そのことは語られずに終わっていたのかと思うと、どこが物語の本筋なのかもわからないくらい翻弄されていたのかと、笑いたくなってくる。


小説の面白さの一つに、予定調和が破綻した時の緊張感というものがあると思う。
と書くといかにも簡単だが、これが難しいことだというのは読んでいてもわかる。
物語が奇想天外で意外性に満ちていても、本文に魅力がなければいかにも奇をてらった感じになるし、しかも、物語の手法というのはそれこそ千年の昔から検討されつくされていて、ちょっとやそっとでは、読者の心は動かない。


「ドン・キホーテ」は、風車を巨人と見間違うような狂人の物語である。
しかし、その狂人の言葉は真理で満ちており、従士のサンチョはバカの代表のような描かれ方でおかしなことばかり言っているのに、実は真実をえぐっているようで軽く聞き流せないものがある。
文章に集中できるからこそ、作者に振り回されることが際立って楽しいのだと思う。