小説と新書のはざまで | 世界文学登攀行

世界文学登攀行

世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

このブログでは「死ぬまでに読みたい本リスト」というのを上から順番に読んでいく、ということをメインにやっている。
現在、18番目のマンゾーニ「いいなづけ」を読んでいるところである。
上巻を読み終わったのが3月末のことなのだが、中巻を読みはじめたのがこの前のこと。1ヶ月近く間が空いてしまった。


実は中巻を紛失してしまったらしい。
そのうち部屋の中から出てくるかと思って気楽に考えていたが、結局出てこなかった。
しかたなくアマゾンで注文しようとしたら、すでに絶版で、割高中古価格で買うことになってしまった。
こんな素晴らしい名著が10年そこらで絶版とは。


では、この1ヶ月何をしていたかというと、中公新書ばかり読んでいた。
新書は取り扱っているジャンルも広いし、1週間くらいで次の本にいけるので、新書ばかり読んでいても案外飽きはこない。


そんなわけで久しぶりの小説なわけだったのだが、最初の数ページを読んで思った。
なにこれ面白い。
新書は論理的な記述のつながりなので、ある程度かたまりでとらえないと意味をなさないのに対して、小説は映像的で動画的だ。
仕事の合い間や、ちょっとした時間、数分本を開いただけで、物語世界に没入できる。
もちろんそれは「いいなづけ」自体が力のある小説だからというのもあるだろうけど。


小説と新書。
虚構とリアル。
まったく正反対に見える二つ本の形。
だが、表現しようとしているものは、同じもの、あるいは同じようなことを指向しているような気がしている。
とは言え、訴えかけるところが違うというか、自分が感受する器官の部位に相違があるということだろうか。
久しぶりの小説は、禁断症状患者が味わうような快楽もかくやと思わせる喜び。


読書は楽しいことである。