よしもとばななさんの目線——バリの日本人大富豪、アニキの成功法則② | 何回転んでも、           起き上がれば、それでいい。
僕がバリを訪れたのは2回。

2012年の9月と12月だ。

よしもとばななさんと出会ったのは2回目の12月。

ちょうどばななさんも同じ時期にアニキ邸に行かれるという話を聞いて、お会いするのを楽しみにしていた。

プライベートに属する事は書けないけれど、ある日の夕食をアニキ(丸尾孝俊さん)のコテージでともにした時のことは今でもはっきりと覚えている。

ちなみに、よしもとばななさんと言えば、知らない人のほうが少ないと思うけれど、日本はもとより、世界でもっとも読まれている日本人作家の一人だ。

僕は特に初期の作品である『キッチン』や『つぐみ』が好きで、こんな平易な文章で、なんて深い精神世界を書く人なんだろうと、デビュー当時驚嘆したのを覚えている。その後映画化もされて、『つぐみ』は牧瀬里穂主演で、当時テレビCMの天才とも言われていた市川凖がメガホンをとった作品で、appleのiTunesにも追加されている。



ばななさんとの食卓で僕が話題にしたのは出版業界の現状についてだった。

以前にも、業界の今と未来について少し書いて、今後も書く予定ではいる。ただ、僕の元に入ってくる情報は、産業として、ビジネスモデルとして、もう末期的な症状を呈しているという類の話ばかりだ。ある程度考えがまとまったら、一気に書こうと思っている。

それはそうと、ばななさんとの出版業界をめぐる会話である。

結論から先に言えば、「このままじゃ日本にはいられないかもしれない」という話。



たとえば村上春樹さんなんかも、生活の拠点は海外だし、直接連絡を取れるのは、かつて担当編集者だったというエージェントだけだと聞いたことがある。各版元の担当編集者でさえ直で連絡が取れず、ゲラのやりとりもエージェントを介すという。これについて感想はあるけれど、脱線しまくってしまうので、それはまたいつか。



実際、ネット社会になって、世界のどこにいても、パソコンとネット環境さえあれば書く仕事で困る事はないし、できれば僕も日本というしがらみを離れて、海外で暮らしながら仕事がしたいという思いがあるし、実際にシンガポールやマレーシアや香港に拠点をおいて活動する実業家の数たるやすさまじい。シンガポールで事業を始めた友人からの情報は、日本では得られない情報ばかりだ。

友人曰く「ジャパニーズドリームなんて、ないからね。事業やるなら海外行ったほうが絶対にいい」



出版の世界で言えば、ばななさんのように地位も名誉も確立した世界的な作家でさえ、やりくりが大変だと言う。もう海外からの収入のほうが圧倒的に多いという話もちらっと聞いた。



出版社は、今もなお続く、いや、さらに深刻度を増す出版不況で作家や文化を切り捨て始めている。

このことはばななさんもオフィシャルサイトの日記で触れている。

出版不況まっただ中の版元にいた編集者として簡単に言うと、要は「売れる本しか出したくない」。

当然と言えば当然の経済原理だけれど、出版というのは、かつてはもうちょっと懐が深かった。

どんな本を出すにしても、「出版文化」という抽象的な概念を、編集者が共有できていた幸せな時代があった。

たぶん、声明みたいなものを偉い人たちが出したりする時にせいぜい使われる程度で、僕のあくまで勝手な見立てだけれど、「出版文化」なんて死語に等しい。

売れる本がいい本で、売れない本はダメな本。

どこかの版元の社長はのべつまくなしに、その言葉をあらゆる会議で口にしていたそうだ。


まあ、そんなくだらない話はともかく、ばななさんと話してつくづく思ったのは、僕自身が出版という世界に夢を失いつつあるということに気づいたことだった。心の片隅にそっとしまっておいた「文化の担い手」という矜持を持てない世界になったという実感がフラストレーションになって、仕事が忙しいだけで、精神的な居心地のよさ、心の置き所が、業界の中に、会社の中になくなった。



一方で、コンテンツビジネスという観点からは、また違った見方、考え方、行動の仕方がもちろんある。

いずれ形にしようと準備しているビジネスモデルを早く構築して、いままでとは異なる出版との関わり方で、モチベーションをあげていこうと思っている。



話がどうしても業界のダメさ加減にいってしまうのだけれど、座してあれこれ考えているだけではもちろん何も始まらない。体を動かして、いろんな人に会って、少々残っている体に染み付いた垢を落とす作業、それが僕にとって、こうして文章を書く作業でもある。



ばななさんが、日記の中で、アニキのすごさを語る場面がある。

アニキとともに過ごした時間、そしてアニキが作り出した空間を共有した経験を通して、まるで永遠の夏休みみたいな場所がそこにあった、というのだ。


アニキ独特のユーモアにあふれた話を聞きながら、涙が出るまで笑って、それまで抱えていた悲しみがなくなった、と。

(ばななさんのお父上は日本を代表する思想家・詩人・評論家で、「日本思想の巨人」とも称された吉本隆明さん。『共同幻想論』とか僕も学生時代にハマった。あらゆる思想家や作家、編集者などさまざまな人々の尊敬を集め、家にはいつもお父上を求めて人が集まっていたという。そのお父上をこの年の2月に亡くされていた)


アニキのスゴさは、老若男女を問わず、どんな人物にも差別なく相対し、親身になって話を聞いて助言して、しかもそれがいつも笑いに包まれているところだ。


なのにこっちが恥ずかしくなるような茶目っけを見せるかと思えば、糸目もつけずにカネを使いまくるそんな姿もさらけだしてみせる。


冷徹かと思えばあたたかい、あたたかいと思うと時に激烈な言葉も発する。


そして確かな人間観察眼をもって、人を見ている。


裏切られる事はあっても、この人は決して人を裏切らないだろうなと思える。


誰もが抱えている心の闇。それさえも勢いで吹き飛ばしてしまうような気迫がある。



誰に対しても変わらない。



それはばななさんに対しても同様だった。見ていた僕が言うのだから間違いない。


勝手な想像を許していただけるなら、アニキのありのまんまの人間くささに、日本ではなかなかお目にかかれない男くささに、古くて懐かしい、昔の日本ならどこにでもあったような温かさに触れて、失った「何か」を取り戻されたのかなと、思った。



アニキ曰く俺はな、いまのろくでもない日本、変えたろうと本気で思ってんねん。せやからこうして毎日毎日、いろんな奴に会って、話してるわけや」



ばななさんの、アニキのことに触れたブログで、「兄貴、ありがとう」と書かれていた一文を読むたびに、食卓をともにしたあの一夜が鮮明によみがえってくる。

そしてこれまで書いてきた作品のテーマにも言及して、実は自分の書くべきテーマは別にあることが見えてきたという趣旨のことまで書いている。

観察眼に優れた散文の天才、ばななさんをしてここまで言わしめたアニキのスケール感。



僕が会社を辞めるとき、まっさきに報告したのは、実はアニキだった。

というか、アニキにしかそのとき伝えられない自分がいた。

再訪を果たすと約束を交わしたこと。

約束は果たすためにある。



最後に、ばななさんにもお墨付きをいただいたアニキの本(『絶対成功する大富豪のオキテ』)から、アニキの言葉を紹介したい。

「何でも責任感やねん。キンコンカンちゃうぞ」

「何でカネ欲しかったか言うたら、後輩とか仲間とかに飯食わすためや」

「育むとは継続や。継続しないと幸せは終る。相手の幸せを大切にし続けるねん。
 おれ、これをずっとやってきてんねん」




(ばななさんのオフィシャルブログにもアニキとの出会いについて書かれているので、興味のある方はぜひそちらもお読みください。「よしもとばなな公式サイト」で検索できます)