成功者はなぜ嫌われるのか | 何回転んでも、           起き上がれば、それでいい。
一時期、「人は見た目が9割」とか「話し方が9割」とか、9割シリーズ(僕が勝手に名付けただけです)が雨後の筍のように出版界を席巻した。

見た目がいいのにこしたことはないけど…


いまでもタイトルに「9割」がつく本が出ているが、いいかげん、読者に飽きられている。



9割、と言われると、そっか、うまく行く人はたいがいがそういう事を考えているんだな、とかそういう行動をしているんだなとか、無意識的に思わせられてしまう。同じように考えて同じように行動すれば、自分の人生はうまくいく、という、要は洗脳みたいなものだ。



高名な心理学者や名だたるセミナー講師が著者ならなおのこと、意表をついたタイトルでうまく購買意欲をそそってベストセラーになった本も多い。



最近でも「伝え方が9割」という本がベストセラーになったが、普通にある言葉のつなげ方一つで、新しく見えるから不思議だ。それがコピーライティングの極意ということでもあるのだろう。



では「9割シリーズ」を書いている著者が、みな成功者かというとそれは違う。



本が売れた著者、ということで成功したとは言えるけれど、ここでいう「成功者」とは、まったく意味が異なる。



誰もが取り上げるので手垢がついているが、たとえば、ソフトバンクの孫さんや、ユニクロの柳井さんや、JALを再生させた京セラ名誉会長の稲盛さんなど、経済的に圧倒的な成功を収めた人を「成功者」と思うのが、一般の考え方ではないだろうか。


誰もが名前を知っている有名人だからといって、成功者とは言えない



ぱっと出てきて、消えていく「成功者」だって、芸能人を筆頭にいくらでもいる。



ここでテーマとしている成功者とは、単なる経済的な成功を収めた人物のことではなく、多くの人のリスペクトを集めている人の事だ。

リスペクトを集めている人で、経済的な成功を伴わない人もいるが、文化的な意味での成功者とは、また次元の異なる世界の話だから、それはまた別の機会に触れたい。



継続的に、ある意味で永続的に(いまのところということだけれど)リスペクトの対象である成功者となった人物には、敵もまた多い。

つまり、嫌っている人も、やっかみや嫉妬も手伝って実に多いのだ。



日本では特に、1億総中流と言われた昭和を経て、ベンチャーが勃興し、特にネット社会となって、ITがいまや世界の中心のように見える。

グーグルやヤフーとか、なんでも検索できる時代になって、めちゃくちゃ便利なツール(スマホを筆頭に)を誰もが持つようになり、人々の思考や考え方は、どんどん表層的になってきているように思える。

なんか、トレンドがすべて、みたいな感じ。

こういうのは、僕は嫌いではないけれど、好きでもない。

もちろんネットスキルはビジネススキルとしてがんがんに使っているし、これなくしてもはや仕事もできないわけだけれど。

必要なものは使うべし。

否定から入ると、なんにせよ、つまらないもんね。



金持ちは嫌いなのに、金持ちに憧れる。

金はないよりあったほうがいいに決まってるけど…


それが日本人のいやなところだ、とある成功したベンチャー経営者が語っていたのが印象的だ。



幸福の概念や、生き甲斐や、愛情や、日常に対しての肌感覚が、浅く、そして弱くなっている。

深く考えることはかっこわるい、と思う人も多い。

いいじゃん、別に。

うん、たしかに、そう思う人がいることを否定もしないし、別にいいじゃん、とも思うけれど。



日本を代表する企業といえば世界に冠たる企業ということとかつては同義だった



ソニーとかホンダとかナショナル(現パナソニック)とかトヨタとか、もの作り企業が日本の産業の中心だったし、その創業者も世界からリスペクトを集める、そんな時代がついこの前まであった。



ところが日本のもの作り産業は、根っこの部分から崩壊し、働く側にとっても有名企業に入れば生涯安泰という時代は完全に終った。



バブルとか、失われた20年とか、就職氷河期とか、突如はじまったアベノミクスとか。



バブル以降、日本が失ったものは、よしもとばななさんが作品のテーマとしてきた「時間は取り戻せない、だからいまを大切に生きる」というテーゼみたいなものだ。



人それぞれ、産まれた環境も、家庭も、生き方も違う。



それでもいまを大切に生きるということが失われ続ける中で、3.11が問いかけた、「当たり前の幸せ」という概念が、表に現れてきた意味は大きい。



ネットが社会インフラとなって、SNSがコミュニケーションの中心となる時代になって、ドッグイヤーはさらに加速度を増している。個人が情報発信の中心部分を占めるようになってきて、それが影響力を持ち始めた時代。



それでもなお、表面的な広いつながりを求めて、とりあえず、人に好かれようとする。



人に好かれることで、いろんなことが円滑に進むと信じている。


成功者は、人に好かれようとしない。



嫌われようが、反対されようが、わが道を信じて突き進む。



時代の潮流から外れた人が成功するラッキーな時代ではない。



潮流を見極めながらも、誰に何を言われようとも、まっしぐらに信じた道を進む。



失敗を重ねる中で修正を施し、成功した先人たちの生き方や思考を法則化し、徹底的に模倣する中でブランディングして、他との差別化をはかる。そして強固なマインドとして、嫌われること一切恐れない。それどころか、嫌われてなんぼという世界で、生存競争をしている。



気がつかずに築いてしまった自分の枠を壊す。



これからはそういう時代なのだと、つくづく思う。

何事も成し遂げる事は簡単ではない。

継続する事も難しい。

人に好かれようなんて思う時間があったら、信じた道を突き進む。

諦めさえしなければ、夢は叶う。

成功は向こうからやってくる。

嫌われてなんぼ。

いい人でいることをまずやめること。



なんでも決めつけはよくないけれど、柔軟な思考は、自分が見つけた成功スタイルを模倣して、何度も失敗して、修正を重ねていく中でしか得られない。



それがない人ほど、自分が達成できない事を人のせいにして事足れりとする。



コトラー心理学をテーマに書かれた『嫌われる勇気』。いま売れている本だけれど、実に興味深い本で、次回はこの本に触れながら、成功について考えたい。