パニック障害は我慢病 | 強迫性障害とパニック障害が教えてくれたこと

強迫性障害とパニック障害が教えてくれたこと

僕が経験したパニック障害と強迫性障害。
そこから気づいたこと、病気が教えてくれたこと。
出し惜しみなく全部話します。


我慢っていうのは仏教では煩悩のひとつで、

”強い自己意識から起こす慢心”

とされています。


つまり自意識過剰であり、自己の重要感が過剰であるといった感じですかね。


強い自己意識から起こる、ではなく起こしているから慢心だということですね。


まぁ、簡単に言うと我慢は良くないってことです。



僕はパニック発作が落ち着いてきたころ我慢と辛抱ということをよく考察していました。


我慢って聞くと嫌なことをただ耐えている感じがします。

逆に辛抱は待っている感じ。

その先に光がある感じ。




自分の経験から我慢っていうものからは何も生まれない、繋がらない、発展しない。

でも辛抱からは何かが生まれ、過去と繋がり、広がる。



我慢しているときは必ずそこに他人の目がある。

もっと言うと他人を目を使って自分を見ている。

他人はなんとも思っていないのにあの人はこう思っているだろうと見ている。

これは生きていくうえで必要な感覚だけど、過剰な状態は自分が起こしている。



我慢をやめる方法はひとつ。

思いを巡らせるより真実を知ること。

つまり実際はどうなのか確かめる以外ない。



我慢とセットなのが「どうせ…」という言葉です。

本当にそうなんでしょうか。




パニック障害は言い換えれば「我慢病」。

我慢が限界をむかえると出るのがパニック障害。

発作自体は身体の反応で、

大事なのは我慢しないこと。


身体を休め、身体を治せば発作は出なくなるけど、

我慢癖を直さなければ発作の不安は拭えない。



だから

我慢しないといけないことはやめる、捨てる。

辛抱できるものをする。

ただそれだけ。



事によっては我慢になるときもあるし、辛抱になるときもある。

それは経験して自分で判断できるようにならなければいけない。

他人はそれはわからないから。


いちばん難しいのは自分の気持ちを認めることかもしれません。

あると思っている正解や世間体。

無いと頭ではわかっていても自分がおかしいと思ってしまうジレンマ。

よくわかります。



ただ正解はその時々で違うもの。

人によっても違うもの。

月並みな言い方だけど正解はひとつではない。

今のあなたにとっての正解は何でしょうか。