頼義・義家が相模国造の二世孫の神託、冨塚の古墳と戸塚の発祥地
[住所]神奈川県横浜市戸塚区戸塚町3827
[電話]045-871-2908

富塚八幡宮(とみづかはちまんぐう、冨塚八幡宮)は、神奈川県横浜市戸塚区戸塚町にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

源頼義・義家父子が前九年の役平定のため、奥州下向の折りにこの地に露営した際、夢の中で応神天皇(誉田別命)及び富属彦命(とつぎひこのみこと)の神託を授かった。

富属彦命は相模国造の二世孫と伝えられる。『先代旧事本紀』によれば、相模国造は第13代成務天皇の時に任命された、武蔵国造の祖である伊勢都彦命の三世孫、弟武彦命。

『古事記』に描かれた日本武尊と相模国造の争いの中の、相模国造が弟武彦命かどうかは不明。もしかすると、富属彦命が、『古事記』日本武尊の条の相模国造か。

ともかく、頼義・義家父子は後に、その加護によって戦功を収めたため、延久4年(1072年)、富塚山中腹に社殿を造り、両祭神を勧請したのが当社の起源。

後に鎌倉権五郎景政の臣である戸塚修六友晴は、当社の霊験の灼なるを畏み、応徳3年(1086年)に社殿を再建した。

境内裏山は現在、富塚八幡緑地になっているが、ここに富属彦命の墓と伝えられる古墳があり、これを「富塚」と呼んだことが「戸塚」の由来とされている。

現在も、拝殿・本殿に向かい右手前側に裏山へ上る山道をたどっていくと「富塚の碑」という石碑がある。「富塚」は戸塚区内に現存する唯一の前方後円墳である。

また、全国の戸塚姓・富塚姓の祖先とされる戸塚(富塚)一族が平安時代にこの地に住んでいたことから、当社を全国の戸塚姓・富塚姓の祖霊神としている。

『新編相模国風土記稿』戸塚宿の条にも「八幡宮」とあり、「例祭八月朔日大己貴命を相殿とす。末社。稲荷、龍神、建御名方命、客人明神。神職柴田大内蔵京吉田家の配下なり」とある。

明治6年(1873年)、郷社に列した。氏子地域は戸塚区・泉区・栄区・瀬谷区の4区で、昭和44年(1969年)までの戸塚区域に相当する。

現在の本殿は江戸時代後期の天保11年(1841年)、拝殿は昭和9年(1934年)の改築である。例祭は8月第1日曜日で例大祭。

その前日の土曜日は宵宮で、境内で奉納演芸がある。日曜日が本宮で、山車の渡御と宮御神輿の担ぎが行われる。

宮御神輿は天保14年(1844年)の作で、平成元年(1989年)から2年かけて大修理が行われた。

境内社に、玉守稲荷と、江戸時代後期に勧請された富塚天神(菅原道真公)がある。稲荷の左手には御嶽大権現の石祠がある。

境内には、嘉永2年(1849年)に戸塚の俳人たちによって建立された松尾芭蕉の下記の句碑がある。
鎌倉を 生きて出でけむ 初松魚(はつかつお)
元禄5年(1692年)、芭蕉49歳の作句
なお、当社は小雀町五霊社三島神社などを兼務している。

【ご利益】
武運長久・勝運、厄災除け、出世開運、学業・受験合格(公式HP
富塚八幡宮 神奈川県横浜市戸塚区戸塚町
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