「本能寺の変」講座を聴いた | 始めのはじめは一(ハジメ)なり

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先祖・家系調査の具体的な方法をご紹介します。
大好きな新選組隊士・斎藤一を調べていたら
自分の先祖に関係があった!
そして知った先祖とは、なんと明智光秀だった!
そこから広がる史実と閨閥の世界。

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大阪阿倍野の近鉄文化サロンというところで光秀関連の
文化講座が開かれています。
滋賀県立安土城考古博物館から研究者の方たちが出張

されてきて、数回にわたり講義をされます。


5月17日、学芸課副主幹・高木叙子先生の講座を

拝聴してきました。
高木先生には、去年西教寺の明智光秀公顕彰会の

日帰り旅行で博物館を訪ねた時に一度講義をお聞きして、

迷いのないさっぱりとしてわかりやすい講義に大満足して

以来、一年ぶりにお目にかかりました。



今回のテーマは「本能寺の変 黒幕は誰だ?」



講義内容のうち、特に興味深かったところをご紹介します。



本能寺の変は戦国最大の謎などと言われていますが、

高木先生によると謎は何もないとのことでした。
本能寺の変を刑事事件として見てみると、すでに解決済みの

「殺人事件」だそうです。



被害者:織田信長・信忠(死亡)
実行犯:明智光秀(のち死亡)
犯行日時:天正10年(1582)6月2日未明
犯行現場:京都市中本能寺(蛸薬師通・油小路あたり)



このようにすべてはっきりしており、わからないのは犯人の

「動機」のみ。
「動機」と「黒幕」探しにワイドショー的興味で躍起になって

いるのがテレビ番組・雑誌等。
研究者サイドは、変の背景が「歴史的必然」なのか「偶然」

なのかを見定めようとしているのだそうです。




本能寺の変に至る信長の動きを簡単にまとめてみると…



永禄10年(1567)に稲葉山城の斎藤龍興を落とし、美濃を

領国に組み込む。
この年「天下布武印」を使い始めています。
翌年足利義昭を伴って上洛し、義昭を将軍に据えました。
元亀元年(1570)に元亀争乱が始まり、元亀4年(1573)には

義昭を京都から追放。
天正3年(1575)は越前一向一揆を殲滅し、長篠合戦で

勝利しました。
ここで天下静謐が成ったのです。 (前回の記事を参照)
そしてこの年信長は従三位権大納言兼右近衛大将という

武官の最高位にのぼり、家督を信忠に譲りました。
戦国大名の地位を信忠に譲り、翌天正4年(1576)に安土城を

築城開始します。
安土城は、戦いや領国支配のための城ではなく、天下静謐が

成ったことに伴い築城された天下統一の拠点です。




次に、「本能寺の変」の評価の変遷について。
本能寺の変には不可解な動機づけがなされてきたそうです。
光秀の動機がわからないので、現在に至るまで様々な

動機が想像されています。

江戸時代には、崇拝される神君家康公、庶民の人気者秀吉、

この二人に比べ信長はまったく人気がなかったんだそうです。
信長は横暴で残虐な人物とされ、そんな人物に対する

怨恨が、謀反の原因だと語られていました。

これは儒教思想の影響によるものだそうです。
謀反の原因は要するに、政治性のない個人的問題だと

されました。
それが近代になり1958年、高柳光寿氏の著書『明智光秀』で

実証主義史学の手法により、怨恨説・陰謀露見説が

否定されました。
それまで語られてきた怨恨説などの根拠がすべて二次資料

以下で、歴史論証に耐えられないものだったことが

証明されました。


では謀反の原因は何だったのか?ということになり、他に

原因が求められるようになり、「背後に何かあったはず」だと

想像され、黒幕探しが始まりました。
しかし関連する一次資料は少なく、「歴史学」という

きちんとした研究は進展せず、小説家が諸説を

まき散らすようになり、朝廷、足利義昭、羽柴秀吉、

徳川家康、堺商人などを黒幕とする荒唐無稽な諸説が

噴出するようになりました。



1990年代になると「本能寺の変」議論が活発化し、研究者

方面にも波及しました。
2001年、藤田達生氏『本能寺の変の群像』が画期となり、

本能寺の変を信長の政権構想の矛盾・破綻、すなわち

「歴史的必然」ととらえる動きがおこり、歴史研究という学問の

一大テーマとして扱われるようになりました。
当然、一次資料を駆使した論証・論争が行われるようになり、

光秀の動機も、当時の政治状況の分析(事件の背景)に

重点が移っていき、現在に至ります。



近年の傾向として、研究者と一部の真摯な人々により、

良質の資料を駆使して真実を追求する姿勢が

定着しつつあり、その成果として戦国時代像・信長像が
従来考えられていたものから変わりつつあります。
しかしその反面、小説・ドラマ・マスコミ・一部出版社などは、
売上増や視聴率アップを目的とした一方的・扇情的な

情報提示がエスカレートしており、刹那的で無責任な

イメージが拡散しています。
ふつう研究が進むと、後追いで何年か後には小説や

マスコミも研究によりわかったことを放送・情報提示

していくようになるものですが、なぜか本能寺の変に

関しては研究の進化をまったく無視どころか相反している

ようで、学問の世界では現在完全に否定されている

誤った説(光秀が信長にいじめられていた等)を

流し続けています。
研究者がテレビなどで語ったことも、番組制作者側の都合の

よいように意図的におもしろおかしく編集され、

ねじ曲げられて放送されたこともあるそうです。
視聴者・読者は、小説・マスコミの情報を鵜呑みにせず、

きちんと見極める必要があるとの高木先生の見解でした。





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