適塾特別展示 | 始めのはじめは一(ハジメ)なり

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先祖・家系調査の具体的な方法をご紹介します。
大好きな新選組隊士・斎藤一を調べていたら
自分の先祖に関係があった!
そして知った先祖とは、なんと明智光秀だった!
そこから広がる史実と閨閥の世界。

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「洪庵・惟準から伝わる緒方家の至宝」展が始まります。

 

適塾での展示の前に、大阪大学 豊中キャンパス内の

大阪大学会館にてプレ展示も開催されます。

 

阪大でのプレ展示は、4月25日(月)~5月13日(金)

 

適塾では5月31日(火)~6月12日(日)

 

 

昨年、緒方洪庵御子孫・惟之氏から寄贈された新資料も

展示されるそうです。

 

あまり知られていませんが、洪庵先生が江戸で

亡くなった後、明治になり洪庵先生の嗣子・惟準さんが

神田・駿河台(現・明治大学敷地内)に、東京適塾を

開きました。

今回の展示では、大阪と東京、それぞれの

適塾の門人帳も公開されるそうです。

 

 

適塾に学んだ門人といえば、錚々たるメンバーがいることは

つとに有名ですが、熊本からやってきて適塾に学んだ人もいます。

奥山静叔は、熊本・山鹿出身の医師です。

文化14年(1817)、山鹿郡相良村で代々の医家に生まれ、

適塾では塾頭を務めるほどの優秀な人材でした。

御三家・紀州候から召し抱えたいと望まれましたが、

二君に仕えるを潔しとせず、肥後に帰り細川家に仕えました。

維新後は熊本医学校(熊本大学医学部の前身)の

教壇に立ち、北里柴三郎もその生徒の一人でした。

 

柴三郎が卒業した時の東京大学医学部学長は

三宅秀でした。

柴三郎から秀に宛てた手紙が残っています。

 

(画像はお借りしました)

 

日本の近代医学史だけに絞ってみても、適塾、

そして肥後の人びとの果たした役割は相当に

大きなものがあります。

 

 

PCの調子が悪いので修理に出します。

2,3週間、ブログ更新できなくなりそうです。

戻りましたら、またよろしくお願いいたします。

 

 

 

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