夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

イスラム国ISISに翻弄されてはならない(アンケート結果と併せて)

2015-01-25 | news
湯川遥菜さんが殺害された可能性が高いようだ。しかももう1人の人質の後藤健二さんにその写真を持たせて日本政府を非難するメッセージをしゃべらせている。卑劣で無慈悲な彼らの本質をあからさまにしたものだが、これに先立って行った「イスラム国の邦人の殺害警告にどう対応すべきと思いますか?」という1/21から1/24まで行ったアンケートの結果と合わせてコメントしよう。

ほとんどの人(78.4%)が「テロに屈してはならない。身代金は払わない」と回答した。サンプル数は極めて少ないが、素直にストレートに訊けば(これが大事な点だ)同様の結果になっただろう。ただし、その理由にはいろいろだ。寄せられたコメントを原文のままいくつか引用しよう。
払える払えない、金額の問題ではない。払ったら、また要求される。2名は助かるかもしれないが。テロ資金になり多くの犠牲者を生むと思う。2015/01/21/ 14:44 30歳代女性福岡
というテロの連鎖防止の観点からのもあるし、
命の危険を承知で紛争地へ行った末の事は自己責任と本人達も承知しているはず。反日マスゴミは金を支払わなければ見捨てるのかと言い、払えばテロ組織に屈し資金供与するのかと言うと思う。どんな事でも与党攻撃に使うのが反日勢力だと思う。2015/01/21/ 09:13
といった自己責任論に基づく意見は多かった。長文だが、それだけにいろんな論点に触れているので紹介しよう。
人命を軽視することは国家が守るべき【領土、国民、経済】の三本柱の一角を放棄することになる。しかし、易々と莫大な身の代金を払うことは税金で賄う経済の一角を放棄することになる。
勿論、人命を経済よりも重視する考え方は重要だが、最初から身の代金を支払う姿勢でのぞめば、次なるテロを助長しかねない。
今回拘束されているジャーナリストの方々は、危険を承知でイスラム国に訪問されているはずであるし、心得としてもそうでなければならない。
よって、冷酷な意見だが第三者の私から見れば自己責任と言わざるを得ない。
ただ、人質の解放が大前提だが金銭をテロリストに渡す可能性事態を否定してはならない。人質の価値がなくなってしまうからだ。
人質に価値がなくなったとき、解放するか殺すかの2つに絞られる。
しかし、拘束されているのはジャーナリスト。テロリストにとって人質を生かすリスクは高すぎる。
身の代金は、今後のテロリストの活動資金になる。身の代金要求の交渉次第で、この先犠牲になる人命の数を限りなく減らせるのだ。15/01/22 02:28


これらと似ているようで少し違う、こういう意見もあった。
人命は尊いものですが、危険な国への渡航はそれなりの覚悟もあるのではないでしょうか。国も厳重に警告すべきことです。安易な気持ちでないとしても国に負担をかけてはならないことです。呑気な国民性恥じるべきです 2015/01/21/ 15:51 60歳代女性埼玉


また、少数(15.3%)だが、「人命尊重が大事。身代金を払うのもやむを得ない」と回答した人もあって、その理由としては、
自分がそういう状況になった時、テロに屈するななどと言える人間はいない。2015/01/21/ 20:13
という素朴な感情に訴えるものがあった。後藤さんの家族の元に帰りたいというメッセージ(それがどこまで現在の彼の本心かどうかはともかく)と重ね合わせてしまう人もいるだろう。
人の命が金で買えるなら払うべきだ、但しその金はバラマキ外遊を許していた「政権党」にあるので、自民党の政党助成金で払うこと。総額は未確認だが不足分があるなら国民の命を何時も守ると豪語する総理のお財布からどうぞ。
2015/01/21/ 19:50 70歳代男性岐阜
といった今回の事件自体を安倍総理、日本政府の責任に帰すものもあった。さらに、
今回に限り、の話として。正しいことを伝えようとして現地入りをしている勇気あるジャーナリストを見殺しにすることは 得難い人材を犠牲にすることになります。日本人の得難い人材はもはや希少価値。2015/01/22/ 05:41 40歳代女性石川
という意見は後藤さんのこれまでの活躍を盛んに報道しているマスコミを想起させる。
なお、わからないは6.3%で極めて少なかった。リンク先では全体と回答別に年齢層、性別、地域を見ることもできるので参考にしてほしい。アンケートに答えていただいた方々には深くお礼を申し上げたい。

さて、ぼくの現在の意見だが、1人がおそらく殺され、1人が死の危機にある現在においても1/21の記事と何も変わらないし、その理由もそこに書いたとおりだ。テロには屈しない、ヨルダン政府が死刑判決を下したテロリストの解放を要請してはならない。その原則の下でできうる限りの努力をすることは当然だが、それが水泡に帰し、後藤さんが死ぬことになってもやむを得ない。そうした結果の責任はすべてイスラム国(ISIS:Islamic State of Iraq and Syria 英語圏での呼び方)にある。

この基本的な考え方を敷衍するために上に挙げた意見にコメントしよう。テロの連鎖防止からの意見は、今回の事件は日本と日本人全体の問題であることを明らかにしている。たとえ安倍政権に反対でも、日本という国自体を嫌悪していようと同じなのだ。イスラム国は「アベ」を標的にしているのだから、個々人の思想など彼らの関心外だろう。海外でたまたま犯罪に巻き込まれたといった邦人保護の問題とは次元を異にする。ここをわかっているのか、わかっていないのか、ごっちゃにする人間は少なくない。

自己責任論についてはネットで盛んに言われているが、これに対し同朋意識を欠いた冷酷なものだという論者がいた。そのとおり。自己責任の名の下に被害者を切り捨てていくような国にしたいのか、自己責任の有無の境界線はどこで引くのかと問いたい。個人を非難するのは救出してからでも遅くない。そもそも自己責任を言い立てる人間は社会から疎外された、みじめな人たちだとぼくは思っている。自分が恵まれないから、かまってもらえないから、ルサンチマンに囚われ、やたら敵を作り出し、下品な書き込みをせっせとしているのではないかと思う。

後藤さんについて得難い人材だという意見についても同様に得難いか得難くないか、どこで線を引くのか、そしてそれを誰が判断するのかと訊きたい。「あなたの友だちは得難い人材なので身代金を払います。あなたはそうでもないので払いません」なんて言う国は内外から袋叩きに遭うだろう。人命は平等に尊いというのはお題目だが、人間に線を引かせることはできない、だから法律があるということでもあるのだ。

補足的にそれなりの覚悟を後藤さんは示していたという点について言及しておこう。その立派な言葉に反するようなことをもしこの期に及んで言ったのであれば「サムライらしくない、腹を切れ!」という意見があってもいいように思う。画像のサジダ・アル・リシャウィ死刑囚は自爆テロの生き残りだが、ぼくはかねてから自爆テロと特攻隊を重ね合わせて見ている。最も大事な自分の命を大義のために捧げる行為という点で何が違うのか。心情的な共感とそれを強いる政治への嫌悪感とその双方を持っているのだが、万一そうしたことがあれば(それをイスラム国がサイトに流す可能性はさらに低いが)おそらくイスラムにも欧米にも衝撃を与えるだろう。

自分に置き換えて考えてみろといった素朴な感情論はどんな事件でもよく出てくるものだが、理性的な議論を無意味化するものとしかぼくは思っていない。思考、議論というものはある意味無責任であっていいのだ。よく「そんなえらそうなことを言うおまえはどうなんだ?」とか「あんたには女の気持なんかわかりっこないのよ」といったことを言う人がいるが、こういう人は言葉が通じないと思って、薄ら笑いをして黙って去ることにしている。

今回の事件を安倍総理や日本政府に責任があるとする者は、だいたいが便乗商法のようなもので、出来合いの自説を開陳したいだけだろう。小沢一郎が今日のNHKの日曜討論で「2億ドルの人道支援はイスラム国への宣戦布告だ」と言ったが、どこまでこの人は劣化するのだろう、山本太郎の仲間だけのことはあると思った。元々根っからのオポチュニストに過ぎなかったのを周りが囃し立てていただけなのだろう。しかし、それが期せずしてイスラム国を利していることに気づいているのか、はたはだあやしい。

最後にイスラム国のやり方について感じたことを述べよう。彼らは日本政府だけを相手にしているのではない。欧米・中東諸国へのインパクトを考えているだろう。それが身代金からヨルダンを巻き込んだ人質交換に切り替えた理由の1つだろう。また、日本国内の反応も注視しているはずだ。この国の人間はどう脅すのがいいのか、どういうやり方に弱いのか。2人を並べ(合成らしいが)、まず1人を殺害したというのもそう考えるとわかりやすくなる。冷静な対応を政府は求めているが、それは冷酷な相手には冷酷な計算も必要だということでもあるだろう。


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