こんにちは、一ノ瀬なつみです。
いつも当ブログ『ひとり寝の夜のお供に』をお読みくださりありがとうございます。
新作『寝取られ夢彦の喪失(上): やっぱり私はゴーヤちんぽから離れられない [Kindle版] 』をリリースして2週間がたちました。
ゴールデンウィークが終わってからは、さすがにダウンロード数も落ち着いたらしく、amazonでのランキングもだんだんと下がってきました。
しかし、読み放題Unlimitedでは既読ページ数がまだ伸びているので、おそらくゴールデンウィーク中にダウンロードされた方が、大型連休後にゆっくりと読んでくださっているのではないでしょうか。
たくさんの方々に読んでいただき、大変うれしく思っていますありがとうございます。
この新作を執筆する中で、自分自身にとって官能小説を書くということはどういうことなのか、考えることがよくありました。
もしかしたら小説を書いたり、作品を作ったりしている方が必ず考えることなのかもしれません。
今日は、執筆中に感じたことを書き綴ろうと思います。
【色褪せない想いが届くまで】
●なぜ官能小説を書くのか?
●自分にとって小説を書くという行為はどういう意味があるのか?
体調を崩して本業を休業しているのに、小説を書き続ける後ろめたさがあったのかもしれません。
でもだからこそ一度立ち止まって自分の心に問いかけずにはいられませんでした。
自分に問いかけながら小説を書く中で、1つ気づいたことがありました。
それは、執筆中に浮かんでくる「表現」についてです。
「いじめたい気持ちに駆られる」、「声にならない声」、「快感を叫ぶ」、「乱れもがいて」、「熱いものをぶちまけて」
ハッと気づいて、これらの表現を削除していることが何度かありました。
それは、T.M.Revolutionの曲の歌詞でした。
同じ表現を使うわけにはいかないので変更することがほとんどですが、その表現がしっくりくる場合にはそのまま残すこともあります。
小学生の頃から20年間聞き続けてきた西川貴教さんの声が、記憶に残っているだけでなく、思考の一部・心の一部になっていることに気づかされたのです。
また、寝取られ系の官能小説「寝取られ夢彦」シリーズをこの2年ほど書き続けていたのも、寝取られソング『魔弾』、寝取りソング『Burnin'X'mas』の影響があるようにさえ思えてきます。
別にここでT.M.Rファンであることを公言したいわけではありません。(twitterでは公言していますが笑)
誰の心の中にも、小さい頃から見たり聞いたりしていたものが、自分の一部となっているものがあることに今さらながら気づいたのです。
そして、考えてしまったのです。
『自分は誰かの心の一部になれるような作品を書いているのか』と。
官能小説という性質上、ただただ「消費」されてしまうことは仕方ないことだと思っていす。
おそらく性欲を処理するためだけに見た、アダルト映像の詳細を覚えている人はほとんどいないでしょう。
確かに自分の小説が「消費」されるのは、イチノセ的にもオールオッケーです。
ただそれでも誰かの心に残るような作品、誰かの心の一部になるような作品を書きたいと思っている自分もいるのです。
そう思うと、下巻を執筆する手にも熱がこもります。
今まで以上に、1つ1つの表現を吟味するようにもなります。
現在、『寝取られ夢彦の喪失(下巻)』を鋭意執筆中なので、6月中にはリリースできるかと思います。
一人寝の夜に You Can Say Good Bye するのもいいですが、ひとり寝の夜のお供に、ぜひぜひムラムラお楽しみくださいm( _ _ )m
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