仁王門を抜け鯨岩で絶景を望む・弥山〜初冬厳島行(11)←(承前)
鯨岩から山頂へ向かって少し進むと、御山神社への案内標識が立っています。
標識のすぐ近くに、お地蔵さま?
大きな長細い岩に立方体の岩を置き、その上に鎮座されています。
アップしてみましたが、彫られた仏像の形がハッキリとは分かりません。
錫杖を持っておられるような、そうでないような…
もしかして半跏趺坐(はんかふざ)をされているような、そうでないような…
御山神社への参道入口に立つ鳥居。
鳥居横にある案内看板。
御山神社は、厳島神社の奥宮で、本殿三棟が品字形に並び、御祭神三女神が夫々一柱ずつ祀られています。
いずれも一間社流造で屋根は柿葺、丹塗の御社殿で、昔から「さんきさん」として崇敬の篤いお社です
この「さんきさん」とは、大聖院本坊の摩尼殿と、弥山の三鬼堂に祀られる三鬼大権現のことです。
そうすると、この案内書には、アレ? と引っかかってしまいますが…
御山神社の境内横にある鳥居と、そこへの石段。
けれど、折角ですからここからは入らずに、右奥へ進み正面へと回ります。
南向きの石段途中に石の鳥居、最上部には瑞垣が巡らされ、正面に屋根付きの小振りな鳥居が建ちます。
御山神社
境・外:摂・社
御祭神:市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)田心姫命(たごりひめのみこと)左殿
湍津姫命(たぎつひめのみこと)右殿由・緒:嚴島神社の奥宮で、大きな巌の上の僅かな平地に建てられている。本殿三棟が品字形に並び、御祭神三女神が夫々一柱ずつ祀られている。
御社殿:本殿は稍大きく桁行一間、梁間五尺余、小高い石の上にある。左殿と右殿とは同形だが少し小さくて、桁行一間、梁間五尺余、何れも一間社流造、丹塗り、檜皮葺。
例祭日:2月1日
この御山神社は、かつて平清盛が厳島神社の奥宮として建立し、神仏分離令までは三鬼堂と称して、三鬼大権現が祀られていたということです。
三鬼大権現は大小の天狗を眷属に従え、強大な神通力で衆生を救うとされ、地元では三鬼さんと親しまれている。
追帳鬼神(ついちょうきしん):「福徳」の徳を司る鬼神で、大日如来を本地仏とする。
時眉鬼神(じびきしん):「知恵」の徳を司る鬼神で、虚空蔵菩薩を本地仏とする。
魔羅鬼神(まらきしん):「降伏」の徳を司る鬼神で、不動明王を本地仏とする。
弘法大師空海が大同元年(806年)に弥山を開基した時、三鬼大権現を勧請し祀ったのが始まりとされる。
しかし明治の神仏分離令によって、三鬼大権現は新しく建立された三鬼堂へと遷され、この三鬼堂は御山神社と名を変えて、宗像三女神がこの社の祭神とされました。
そうならば、例え社殿は昔と同じものであれ、祭神が入れ替わり名も変えている以上、かつて「さんきさん」と呼ばれた三鬼堂とは違って、別の神社に生まれ変わった、ということかと思います。
しかし、先の案内板であるように〝昔から「さんきさん」として崇敬の篤いお社です〟という書き方ですと、今もって「さんきさん」と呼ばれているように捉えることができますから、現地では実際にどうなんでしょう…?
もし、今でも「さんきさん」と呼ばれているようでしたら、「三鬼」とは「三女」の別名なのかも知れません。
つまり、三鬼大権現と宗像三女神は習合していた、ということではないかと思われます。
そもそも、旧三鬼堂も厳島神社の奥宮であったのですから、本殿の主祭神と全く関わりのない祭神を祀ることは考えにくいですし、神仏分離令によってわざわざ三鬼大権現を遷したということは、宗像三女神と習合していた弁財天や十一面観音を遷したことと同様に、三鬼大権現も宗像三女神と習合していたと考える方が最も自然です。
そして「鬼」という言葉から、三鬼大権現とは、宗像三女神の荒魂ではないかと思われますけれど、いかがでしょうか?
参拝を後回しにして、先に御山神社の前から風景写真を撮りました。
万一この後、天気が悪くなってしまうと、折角の絶景がもったいないと思いましたので。
目の前の山は、名前が分かりませんけれど396mのピーク。
その右向こうには、鯨岩でも見えていた猪子島と阿多田島。
海上の真ん中から少し左手前、▲に黒く尖って見えるのは小黒神島。
その右奥には大黒神島。
小黒神島の左、松の枝から覗いて見えるのは能美島の入鹿鼻かと思われます。
ほぼ南中した太陽に照らされて、空は青く、雲は白く、海も輝いています。
この風景を前にして、かつて人々は荒魂としての「さんきさん」を祀り、「どうか、この海が荒れませんように…」と丁重に鎮魂し、祈願して来られたのではないでしょうか。
もう少し高い所から写真を撮ろうと石段を上がりかけたら、Mさんがまたまた仁王立ちです。
今度は「さんきさん」が依り憑いたのかも知れません(笑)
そうして海の方をアップで見ました。
天使の階段がありますように、太陽光が雲によってまだらに海面へと降り注いでいますから、まるで海がうねっているように見えています。
古来より、麓の海辺では航海の安全を守る「三女神=和魂」の大慈大悲へと縋り、山頂では海を見晴るかす「三鬼神=荒魂」の神通力によって海を荒らす悪鬼の退治を願う。
このような海に生きる人々の切なる思いが凝縮した聖地、それがこの厳島かと思われます。
ようやく風景をいったん撮り終え、さあお参りしようと社殿の方へ振り返ると、サチエがまったりと寛いでいました(笑)
右の石碑に「皇太子殿下御奉拝」とあるのは、昭和天皇がまだ皇太子であった大正15年5月に弥山へ登拝されたことを記念したものだそうです。
最上段で振り返りました。
目の前の山は、おそらく鯨岩で見た「502mピーク」かと思われます。
Mさんの待っていた瑞垣内へと参入します。
正面の真ん中奥が市杵島姫命、向かって右が田心姫命、向かって左が湍津姫命。
それぞれの社殿には、軒下の正面に「三つ盛り二重亀甲に剣花菱」の神紋があります。
そして、これから参拝を始めるのですが、ここの社殿にはお賽銭箱がありませんので、頂上で昼食にするため持って来ていたサチエの握ったおにぎりを、各社殿にお供えします。
また、本来なら三社それぞれへお参りをさせて頂くべきところですが、幸い他に参拝客はおられませんし、これから来られる気配も人出もありませんでしたので、この鳥居を入ってスグのところに3人並び、三社を一括して一度だけ、ゆっくりとお参りさせて頂くことにしました。
お参りが終わってお供え物を引いてから、ちょっと図々しく社殿を撮影させて頂きます。
真ん中奥の市杵島姫命社。
失礼ながらさらにググッと近づいて、青い空をバックに。
その横からも。
ありがとうございました〜。
参道を戻って、御山神社を後にします。
巨岩。
Mさんは感じ入ってドスコイしています。
同じ巨岩。
さらにMさんは、ドスコイを続けています(苦笑)
水掛地蔵堂。
水かけ地蔵
弥山本堂庫裏の下手に小さな朱色のお堂があり、三界萬霊水掛地蔵尊が祀られています。すぐ傍の湧水池から水を汲み、お地蔵さんに水をかけながら祈願すれば、子供についての一切の願望が叶えられるといわれています。
こちらへは3人それぞれでお参りをさせて頂きましたけれど、Mさんが謎の微笑みを浮かべています。
サチエは何やら熱心に、お地蔵さまへ話し掛けているようでした。
この左手にあった石段を上がり、山頂部を時計回りに巡ります。
ここから右手に降りて行くと、弥山本堂へと至ります。
そしてここで、先に立ち話しをさせて頂いた修験道の方ご一行と、バッタリお会いしました。
弥山本堂の方から来られるのが遠目からもそれと分かりましたので、「お疲れさま〜」とご挨拶をさせて頂いたところ、会釈のご挨拶をお返し頂いた時、その両手で何かを大事に抱えておられるのが見えます。
近づいて来られると、何やら四角い透明の箱のようで、中には小さな灯が点っているようです。
あれ?と思い、私が無遠慮にすり寄ってその手許を覗き込んで見ましたら、火の付いたアルコールランプのようなものが透明な箱の中にありました。
「これって、もしかして消えずの火ですか!?」
少し驚いて、私がお聞きすると、
「そうです、そうです」と嬉しそうに微笑んで、お応えを頂きました。
私たちがノロノロウロウロしている間に、山頂での参拝を済まされて、霊火堂の消えずの火を頂戴されていたようです。
私が「うへ〜、それって貰えんねや〜〜」などと感心している間に、修験道の方はそのままゆっくりと、もと来た登拝道の方へお連れの方と共に歩いて行かれました。
そうやって頂けるものなら、自分も次には欲しいなぁ、などと思わざるを得ませんでしたが、誰もが消えずの火を頂ける、という訳にはいかないと思います。
そもそも火気厳禁の山中を、そのように火を持ったまま歩いてイイわけないと思いますし、ロープウエーでも火が付いたままの危険物を持って乗せてくれるとは思えません。
余程のお立場と理由がなければ、そう簡単に許可を頂けるとは思われませんので、中々に奥深い、弥山での出来事でした。
なお、ここの石段上には大日堂が建ちますが、お参りもしたのですけれど、写真を撮り忘れていましたので、こちら↓をご参照ください。
大日堂
金剛界・胎蔵界の大日如来を祀っています。1376年に建立された弥山御堂神護寺で、嚴島神社の神護寺。明治以前は正月の七日間全島の僧が登山し、修正会を勤修し国家の隆昌を祈願した道場です。
またこの先、有名なものも含め見事な巨岩が続きますけれど、どれがどれだか分かってないまま進んでしまいましたので、写真のないものについては、幾つか引用させて頂きます。
疥癬(かいせん)岩
大日堂のすぐ上にある大きな岩。不心得な人がこの岩のそばを通ると皮膚病の疥癬になり、疥癬に悩む信心深い人がこの岩に触ると、病が岩に移り治ると伝えられています。
名もなき巨岩。
次にご紹介する舟岩の、石段を挟んだ向かいにあります。
舟岩
七不思議の一つの干満岩のすぐ下にあり、舟の形をしたところから「舟岩」と呼ばれています。岩の真下には石造りのお地蔵様が置かれています。
船岩を過ぎてから振り返ると、後から来ていたサチエが、巨岩とお話ししていました(笑)
そして、緑のトンネルを進みます。
進みます。
案内板。
干満岩(かんまんいわ)
岩穴の水は、満潮の時には溢れ、干潮の時には乾く不思議な穴で、水は塩分を含んでいる(弥山七不思議の一つ)
さらに進んで、巨岩に次ぐ巨岩。
そうして遂に、山頂へと辿り着きます。
(つづく)→ 斎島の神髄に満ちた山頂を巡る・弥山〜初冬厳島行(13)