今日は王子のお誕生日。
この世の光を見て、たった6年の子。
さっきも幼稚園の先生に
『王子くんは本当に優しい子ですね。』って言うていただいた。
恐縮していたら
「おかあさんを見ていたら、王子くんがなぜ優しいのか、わかりますよ^^」
って言葉までいただいた。
嬉しかったし、後ろめたかった。
6年前の今頃は、朝6時くらいに陣痛で目覚め、
だけどもまだ余裕があったのと、
ちょうど検診の日だったこともあり、
10時の検診に普通に行ってやれと、シャワーして掃除したりしてたと思い出される。
まだ王子に会えてなかったということだ。
病院に向かう街道の桜並木は、
ちょうど見事なまでの『桜ふぶき』で、
すっごく快晴だった。
ちょうど今日みたく素晴らしい気候の中、
「こんな日に生まれてきてくれたらいいのになー」とつぶやいた。
23kgもデブるという、ここでも驚異のデブり方をした乙女崎のせいで、
超難産になり、21時42分にやっとのご対面が出来たのだ。
近くで鼻から水を吸引されたり、へその緒の処置などをされている。
毛むくじゃらの、赤黒い小さすぎる背中が、
産声とともにピョンコピョンコ動いてた。
『生きてる』
彼を身ごもっていた頃、夢子は全然いいおかあさんではなかった。
母体としては最悪の状態だったと思う。
肉体的にも、精神的にも。環境も、色んなことがストレスでしかなかった。
この子を腹の中にいれたまましんでやろうとしたこともある。
なので、夢子は初めて我が子に声をかけた言葉は
「ごめんね」
だったんだ。
いっぱい苦しい想いをさせてお腹の中で育んだ。
結果、彼は超健康に生まれてきてくれた。
そこでまず救われたのはワタシなんだ。
『この子を守る』
と誓ったのに、アダルトチルドレンな自分が常に自分を苦しめる癖があって、
その道連れに、常に余計な涙を流させるハメになって、
王子は特にそんなワタシの犠牲者だったと思う。
だけども、大切なことは何であるかを、たった6年の時間の中で
自分で見つけ、人に愛される子に育ってくれた。
私が育てたんじゃない。
彼が自分で育ってくれたんだと感謝してるくらいだよ。
これからはもうダイジョウブと思った矢先、
乳がんですというあの告知を受ける。
間もなく王子が5歳になろうかというとき、
夢子は病理結果を待っていた。
彼の5歳の一年間は、
母親から『お母さんがしんでもええんか!』と責められ、
『どうせお母さんはおらんなるんぢゃ!これくらいのこと自分で出来んでどうするんや!!!!』と責められ、「おかあさんはしぬ」「おかあさんはしぬ」と何度も母親が泣き叫んでくる一年だった。
最悪の人生を与えるだけの 全然素晴らしくないオンナを
母とする王子だった。
可哀想だから誰かこの子を助けて。
そんな気持ちだった。
夢子は彼が5歳と364日目まで、『おかあさんはいつおらんなるかわからんのやぞ』というセリフを吐いた。
不安でたまらない気持ちと、
この子が孤独になるかもしれない申し訳無さが、
どうしようもなく、
おかしな形で、八つ当たりをしてしまう自分がいた。
ワタシは8歳で母が出ていったことがいつまでも心にあって、
「イヤだ」とどんなに泣いてもわめいても、
お母さんがいない現実がある日突然やってきて、
寝ても覚めても帰ってこなかった経験があるがために、
ワタシガコノコニソレヲスルノ?
ということが何よりも怖かった。
だけどどうにもならないこともある。
今生きてるのに、どうにもならないかもしれないと思うと、
小さな我が子に、『どうにもならんこともあることを覚えておけ』といわんばかりに責めるようにして強引に押し付けてしまうんだ。
今、これを読んで、心底軽蔑し、不快な想いをされている方は大勢いらっしゃると思うんだ。
だけども、この一年は、小さな我が子の犠牲の上に、
がんと戦ったと言っても過言じゃない。
ううん。この6年間、ワタシは王子を常に犠牲にして、生きてたんだと思うのよ。
だけどもうやめる。
もう一度、この子を命懸けで守ると誓いたい。
彼はお地蔵さまの前を通るときも、お手紙をくれるときも、
「おかあさんがいきてますように」
というんだ。
『しにませんように』じゃなくて、
「いきてますように」なんだ。
神様、この子をありがとう。
せっかくいただいたこの宝物と、
もう一度だけ、前向きに傍にいさせてください。
死にたくないじゃなく、
生きていたいと思おう。
生きていくぞと誓おう。
前向きな言葉と、
前向きな気持ちで、
傍にいると誓います。
彼のこれからがずっと幸せであるように、
生きて傍にいる限り、
優しい言葉で寄り添うことを今日誓いたいと思います。
最後まで読んでくれた方ありがとう。
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