エヴァちゃんを失って落胆のピカソ君は
詩人のジャン・コクトーに誘われてロシアバレー団の
演劇の舞台装置や衣装などを担当して気分を紛らわせていました。
そんな時、その劇団に所属していた可愛子ちゃんバレリーナに
チョッカイをかけたのです。
(陰の声:まったくピカソ君は女がいないと生きて行けないんだから(^~^)
第3話:結婚はしたけれど・・・
オルガ・コクロヴァ
「安楽椅子のオルガ」
1917年・油彩・ピカソ美術館(パリ)
未完成なのか、習作なのか途中で制作をやめたような絵ですね。
(陰の声:2人の未来を暗示しているようだね(>_<)
オルガ様 はロシア貴族の血をひく名家のご出身でした。
下賎(?)の生まれのピカソ君はそんなお姫様に会うと舞い上がり
後先考えずに結婚をしてしまったようです。
お写真も残っております
オルガ・コクロヴァ
この写真は「安楽椅子のオルガ」と同じ衣装ですね。
制作中のアトリエで撮った写真のようです。
絵よりも目つきが怖いですね・・・
オルガ様 はピカソが肖像画を描きたいというと
「ちゃんと私とわかるように描きなさい」と言ったそうです。
(陰の声:第2話の彼女のエヴァちゃんがキュビスムで描かれて
いるのを知っているから無理も無いね(゚_゚i)
しかし、ピカソも当時ローマへ旅行してルネッサンス時代の作品に誘発されたようで
これをきっかけで「ピカソ風」新古典主義という作風の絵を描くようになりました。
(陰の声:まったく女を変えるたびに画風も変わるんだから・・・凄いね( ̄^ ̄)
<付録:「ピカソ風」新古典主義の作品のご紹介>
(陰の声:別名を「ピカソの新古典主義時代の大女たち」とも言います(^_^;)
「浜辺の母と子」
1921年・油彩・シカゴ美術研究書
この時代に描かれた豊満な女性はオルガが妊娠して、それまでの鹿のような
すらりとした体型から・・のようなふくよかな姿を見て仰天したピカソが
興味を持ったからだそうです。
(陰の声:ふくよか!?・・・デブってことだよね(゚_゚i)
「浜辺を走る2人の女性」
1922年・油彩・ピカソ美術館(パリ)
新古典主義といったって、ピカソ風だから、本来一番大きくなる
手前の女性の右手は異常に小さく、奥の女性の顔も目・鼻が消されて
いるなど、デッサンを大切にする本来の新古典主義とはかなり違います。
「泉のそばの3人の女」 1921年・油彩
(陰の声:デブッチョ3姉妹?ですね・・・(^▽^;)
アホ の(陰の声)は無視してください。
この絵の「泉」とは絵の中央にある「壷」で表現されています。
さて、西洋美術に造詣の深い皆様はもう「ピーン(^_^)v」とこられ
でいることと思います。
そうです\(゜□゜)/
あの新古典主義の巨匠アングルの絵「泉」へのオマージュ作品だったのです。
アングル「泉」
1856年・油彩・オルセー美術館
こちらがアカデミー正当派の新古典主義の代表作品です。
あなたはピカソ君の作品とどちらがお好きですか〜(^_^;)
ピカソ君 とオルガ様の間には息子のパウロも生まれましたが
オルガ様のブルジョワ世界とピカソ君の趣味は会わなかったようで
わずか4年で破局してしまいました。
(陰の声:オルガ様はピカソ君の少々の浮気には目をつぶられていましたが
次の第4話に登場する愛人マリー・テレーズが妊娠したのがバレたのを機に
別居されました・・・(^~^)
そんな事情もありオルガ様は別居したもののピカソとの離婚を生涯拒否されました。
そして、その後精神病を長く患ったのち天国へ(>_<)
また息子パウロも薬物中毒で死亡したと伝えられています。
どうもピカソ君は別れた女性には冷たいようで
ごっこスーラの気持ちも重くなります・・・(><;)
<この人誰?ピカソが描いた7人のミューズ・第3話:オルガ・了>
スーラ・ウタガワの
私撰:関西名所図絵・美術館のご案内
このブログの各ページで個別に発表した、スーラ・ウタガワ作品の
名所絵を場所別に集め「美術館」と称して再度アップロードしています。
第1室:大阪南部の名所図絵 開室中
第2室:大阪北部の名所図絵 開室中
第3室:大阪湾岸部の名所図絵 開室中
第4室:神戸地区の名所図絵 開室中
第5室:京都地区の名所図絵 開室中
*各展示室へのご入場(アクセス)はサイドバーのブックマークをご利用ください。
以上、ご案内申し上げます。 館長:スーラ・ウタガワ