人は自分の思い込みの中で生きている。

 

 

ずっとあたりまえだと思っていたこと。

 

 

「お姉ちゃんだから私がやるのがあたりまえ」

 

「きょうだいだから助けるのはあたりまえ」

 

「家族だから協力するのはあたりまえ」

 

「親の面倒をみるのはあたりまえ」

 

 

私は何の疑いもなく

そのあたりまえをやってきました。

 

 

 

でも・・・本当にあたりまえなの?

 

 

 

子供のころから母親に

 

「お姉ちゃんでしょ!」

「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」

「お姉ちゃんなんだからやっておいてね」

 

 

 

そう言われて育ってきた長女の私は

 

お姉ちゃんだからと思えることは

いつもあたりまえにやってきました。

 

 

 

生前の亡くなる少し前の父は

お酒におぼれていました。

 

 

仕事も放棄して

家族も放棄して

 

お酒におぼれていた父

 

 

何度同じことを繰り返しても

 

 

 

それでも父だから

家族だから「あたりまえ」に

 

戻ってきた父をむかえいれた。

 

 

 

父が亡くなり

 

父の残した借金と小さな会社を

私たちきょうだいは

 

「あたりまえ」のように受け継いだ。

 

 

そうしなければ

いけないかのように

 

そうしなければ

父に申し訳ないかのように

 

受け継ぎました。

 

 

 

 

母が病気で倒れ介護生活になったとき。

 

 

 

誰があまり面倒を見ていないとか

こんなに大変だったとか

いつも私だけがとか

 

そんなきょうだい喧嘩をしながら

慣れない介護生活

 

 

母の介護をしていました。

 

 

 

面倒をみれる私たちがいるんだから

どんな状況でも母の介護をするのはあたりまえ。

 

 

 

母が施設に入る少し前には

 

夜中や朝方でも母に起こされたり

 

 

トイレに行こうとしては廊下や

ベットの横で倒れていたり

 

 

介護をしている私たちの疲労もたまっていました。

 

 

それでも親の面倒をみるのは

「あたりまえ」だからと

 

 

施設に入れるという考えもなく

きょうだいで世話をしていました。

 

 

 

私が今まで「あたりまえ」だと思っていたことは

本当にあたりまえだったのでしょうか?

 

 

 

お姉ちゃんだからって

やらなくてもよかったし

 

家族だからっていうだけで

受けとめなくたってよかったし

 

 

やりたくないこと

嫌なこと

納得がいかないことを

 

 

あたりまえだということだけで

すべて納得させなくてもよかったはず・・。

 

 

 

 

でも

 

あたりまえだと思ってやっていたことは

 

 

私が勝手にあたりまえだと思って

やっていただけのこと。

 

 

 

沢山の選択肢があったなか

その選択さえせず

 

自分であたりまえだからと納得してやっていたこと。

 

 

 

でも今は

 

 

あたりまえなんて

自分のおもいこみでしかなくて

 

 

あたりまえだと信じていたことにも

たくさんの選択肢があって

 

 

自分のすきなように選んでいいと

自分に許可できるようになってきて

 

 

 

もしも私と同じように

 

あたりまえだと思って生きてきたけれど

 

 

少しだけ生きづらかったり

 

少しだけ生きることが

窮屈に感じている人がいるとしたら

 

 

 

教えてあげたい。

 

 

 

 

人は自分の思い込みの中で生きている。

 

 

好きなように生きてもいいんだと

自分に許可してあげてね。

 

 

どんな時でも選択肢はあるので

自分で自分の人生に制限をかけないでねって。

 

 

 

 

 

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