年末ですので」…で、〆てもそれはそれで僕らしくて良かったのですが。

 

やはり僕らしさと言えば「似非福祉士」を前面に押し出すべきだろうと思いましてね。人によっては反吐が出るであろう話ですから、気分が悪くなったなら自己責任で読むのをやめるとか、キッチリ忘れるとかしてくださいね。

 

 

この国の愛すべき緩さといいますか先送り大好き感と申しますか、それについては暗黙の了解で「誰も触れてはいけない」事になっていて、むしろそれがこの国における哲学の浅さ・死生観の脆弱さ・倫理観の体裁化をもたらしているのでしょうけれど。

 

もしも年末年始に少し、息をつく時間が取れたのなら、是非考えてみていただきたいのです。

 

自分がどのように老い、介護され、どのように死ぬのかを。

 

 

保険にも入っているし、健康維持管理や脳トレについても申し分ないかもしれません。しかし、国単位で決定的に不足している事があると思うのです。


それは、「自分の生死の決定権についてはすべて他者に委ねている」という現実から目を背け続けている点ではないでしょうか。

 

そういうのは「神様が決める事であって我々がどうこう口を挟むべきものではない」という如何にも神道に恵まれた、他国からの脅威から遠かった国らしいですが、しかし、僕が介護に携わって17年、「お迎え」が希望通りにいらした方を目にすることはまずありません。

 

「わが人生に悔いなし」を病魔に侵されておきながら世に出した石原裕次郎さんくらいじゃないかと思います。

 

 

防衛についても喫緊の課題であるかもわかりませんが、同様に僕たちは「生き残ってしまった場合に対するリスク」を本気で考えるべきだろうと思うのです。

 

「延命中止」「平穏死」「自然死」ようやくここまで来てチラホラと芽が出てきたところですが、はっきり言ってまだ遠いでしょう。

 

「積極的安楽死」か「消極的安楽死」か、自ら選択すべきか否か、徹底して生かすこととするのか、そこに踏み込まなくてはこの国においてはほぼ確実に「自分の生死の決定権はすべて他者に委ねる」事になるでしょう。自分ではない誰かを思い悩ませる事も含めて。

 

 

「高齢者介護」の現場から見る限りすべて後手後手過ぎていると思っています。全部先送りしてきたツケは、政府の借金どころの騒ぎではないでしょう。皆保険そのものが延命処置を受けている死に体そのものです。当初の目的なんかそっちのけで単に制度を活かしておくためにわざわざお金がつぎ込まれているような延命治療中の制度です。


そもそも介護現場には選択的にすでに手遅れの方が優先的に運び込まれているのであって、本人自らの意思で「介護保険制度の門」をくぐる人などいないのですから。介護の担い手は足りることはないことを知識として知っておきながら。

 

制度的には美辞麗句を並べ立てて如何にも「本人の意思決定」を謳っていますけれども、それこそ詐欺でしょう?僕だって信じたくありませんし、認めちゃいけないことになっているのでしょうけれど。

 

それこそ嘘ですよ。全くもって僕自身も準備不足です。自分がどうにかなった時に「自身の意思決定」を第三者から見て分かるように残してないのですから。

 

 

僕は追い詰められないとしない気質ですから、仕方ないのかと思ってましたけど、結構国単位で追い詰められて決まってしまった後もしないのは国民的な資質なんだろうな、と思えてきました(笑)。

 

自分だけは死なないと思っているし、介護を受けないと思っているし、老いを嘆きはしても根底では無関係だと信じているし、認知症にならないと思ってる。もうなっちゃってても(笑)。

 

日本人は先に延ばせるものを延ばすことにはすごく長けていて、寿命もその一つに過ぎなかったんでしょう。揉めるであろう議論についてもそれと一緒に延ばし続けてきています。歴史を紐解いてみても海外からの外圧が掛からないと一切変化しようとしません。

 

以前、利用者さん同士の奇妙な「あんな風に分からなくなってまで生きたくないよね」と、ほぼ同一症状の方を指して仰っている姿を風刺しましたけれども、僕たちは国ぐるみで同じことをしているのではないかと思います。

 

ゆでガエルの話ではありませんが、確実に死に向かっていて、老化していっているのに、自分の生の在り方(すなわち終い方)についてさえ議論すら起こらない。改憲とか言うなら、当然、議題に上がるものと思っていたら、触れるどころか思いもついてない。

 

違法だから考えてはならない、縁起でもないから死は論じてはならない、倫理に反するから、罪だから、授かった命を粗末にするな…じゃあ、これからの命はそのために犠牲にしていいのか。全然深く考えていない。

 

 

僕は、叩かれるの承知で書いてますけど、何も「積極的安楽死」を全面推奨って訳ではありません。推奨するにしたって様々な制限や条件が並べられるべきだろうと思っています。


自分の利己的な「死にたい」から死ぬというのは僕は違うと思っていますしそんな安っぽいことをぬかす方はそもそも好きでもありません。

 

でも、後の世の為、次代のために真剣に考えることはあって良いと思っています。

 

改憲とか並べるのであれば、「次代を活かすために死について意思決定できる権利」とか、「介護を受ける受けないの権利と並んで生死についての選択権」が並ぶとか、「命が救われたとしても意識が戻らないようなら尊厳死させる権利」とかが議論される日が来ることを願わずにはおられません。それこそが究極的な介護予防方法である、と、言ってはならないのでしょうけど。

 

 

え?あぁ、ホラ、僕、似非福祉士だからさ。

 


さて、今年もこんな数々の暴言にお付き合いくださいまして誠にありがとうございました(*^^*)


どうか良い年をお迎えくださいませ。


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