学校の同窓会も、メンバー全員が80代になってから、加速度的に開催が難しくなってきた。従来通りの枠組みで会場を用意して呼びかけをしても、来てくれる人がどれほどいるか、予備的におもな人たちと雑談をしても、あまり明るい見通しにならない。さきに小学校の同窓会でも同じ問題があって、会場を抑えてコース料理を用意するのではなく、みんなが知っている会館の食堂で、日にちだけを決めて個別会計で食事しようということにした。私はたまたまその日に体調不良になって行かれなかったのだが、そこそこに集まって、まあよかったということだった。
 そこで自分が担当することになっている同窓会も、同じ発想で、ゆるい形にしてみようと考えた。まず、仮予約しておいた宴会室の予約をキャンセルしてもらって、一般客として誘い合わせて行くことにした。店側も「10人ぐらいだったら何も問題ありません、お待ちしています。」と言ってくれた。これで料理のコースを決め、会費を決めて予算を立てるという面倒が一切なくなった。出欠を気にしなくていいだけでも大いに助かる。当日ドタキャンをされると、会計は大変なのだ。
 そのかわりに、今年は名簿の事前調べをしっかりして、なるべく信用できる名簿を全員に送ることにした。個別に会いたい人と連絡をとれるようにして、末長く使ってくれればいい。昨年仮に決めておいた「10月の第二木曜日」も生かしておいて、少なくとも私はその日に行くつもりでいる。
 きょうはほぼ一日、名簿確認の電話をかけていた。電話の使い方も、根本的に変っているのがわかる。従来の固定電話にすぐ本人が出るのはむしろ少数派で、たいていは呼び出し音が途中から切り替わって携帯電話で呼んでいるようだ。そして「ただいま電話に出ることができません」が、かなり多い。固定電話は、間もなくおもな通信手段ではなくなるのだろう。 電話番号が使われなくなっている場合もある。そうすると住所が古いままでいいかどうか不安になるのだが、他に手がかりがなければ、郵便を送ってみて、反応を見るしかなさそうだ。
 名簿の名前を見ていると、それぞれの人について思い出すことがある。ある時期はすぐ近くにいたのに、その後の人生でかかわりのあった人はむしろ少ない。すぐ近くにはいたが、それは一瞬のことだった。あのころ、大学は学校ではなくて、社会の入り口だと言われたことがあった。でも小所帯の文学部には、なにか独特の温もりがあったような気がする。