風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」

 

アンジェラスの鐘

 

 光の声

 

 ジャンヌが初めて「声」を耳にしたのは13歳のころ。ひとりで中庭にいたときのことでした。すぐ隣にあるサン・レミ教会から聞こえてきた「声」に、彼女は恐怖を感じたといいます。

 

 夏の正午とされていますので、お告げの祈りを知らせる鐘の音を、ジャンヌは記憶していたものと思われます。

 

 カトリック教会では、「お告げの祈り」を朝昼夕と1日3回行います。それを知らせるためのお告げの鐘です。 マリアの「受胎告知」を記念して唱えるものです。


 

『受胎告知』ムリーリョ

 

天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」》

<ルカの福音書 1章28節>

 

 大天使ガブリエルが告げた突然の御(み)言葉に、マリアは驚き、戸惑いました。

 

 

「晩鐘」原題(アンジェラスの鐘)ジャン=フランソワ・ミレー

 

 アンジェラスはラテン語で(エンジェル、天使)を指します。夕の平原に晩鐘が鳴り響き、それを合図に農民夫婦が祈りを捧げる場面です。

 

 農婦の背中のはるか奥に教会が描かれています。

 

 イエスの教えは日本人の想像をはるかに超えて、彼らの心に深く根ざしています。

 

 

「ジャンヌが声を聞いた自宅の庭」

 

 3度目に遭遇したとき、威厳に満ちて光を伴うその声が、天の御遣い「大天使ガブリエル」が告げる神の言葉だと気がつきます。しかし、「私にはできません」とジャンヌは断ります。

 

 農家に生まれて苗字すら持たない少女に、フランスを救うことなど、できるはずもないからです。

 

 ジャンヌの決心

 

 しかし、何度も届く神の声に、やがて心を決めます。聖母マリアがお告げを受けたことを、ジャンヌも知っていたからです。

 

 

『神の声を聞くジャンヌ』ルイ・モーリス・ブーテ・ド・モンヴェル

 

 初めて「声」を聞いてからおよそ3年。ジャンヌは北にほど近い「ヴォークルール」へ向かいます。「声」に従うことを決めたのです。

 

「ヴォークルール城」には、「シャルル」に仕え、ドンレミ周辺を守る守備隊長「ロベール・ド・ボードリクール伯」がいることを、お告げで知っていたからです。

「ヴォークルール」の一帯は、イングランド・ブルゴーニュ同盟の勢力下にありました。

 

 しかし「シャルル」率いる「アルマニャック派」に与して、たびたび襲いくる「ブルゴーニュ軍」の攻勢を退け続けていた要衝でした。

 

 ジャンヌは、隣村に住む叔父「ラクサール」にお告げのことを話し協力を頼みました。

 

 

 続きます。

 

─To be continued.─

 

 

 

 

ヴォークルール

 

 デュラン・ラクサール

 

 ジャンヌの叔父である「デュラン・ラクサール」は、その当時30代前半でした。ジャンヌが聞いたという「声」の話を最初に信じた人でした。

 

 彼女のために馬を買い与えたり、後年の「シャルル7世」の戴冠式の際には、ドンレミ村からジャンヌの両親を連れて面会をしています。

 

 1428年、キリスト昇天祭(Ascension)の5月13日ごろ、ふたりは「ヴォークルール」に到着しました。

 

 しかし、勇んで面会に行ってみれば、守備隊長の「ボードリクール伯」は、叔父ラクサールにこう言います。「平手打ちをくわせて追い返せ」と。

 

 ジャンヌは叔父の腕を引き帰ったと伝わります。




「ヴォークルール」

「ヴォークルール」に宿をとったジャンヌは、叔父とふたりで、何か月もの間「ボードリクール」守備隊長の元へと通い面会を求めます。

 

 王太子に神の声を伝えにいくことや、そのために、守備隊長の城主「ボードリクール」に手配りをしてもらわなければならないこと。

 

 ジャンヌは、近隣で一躍その存在を知られることになります。


 しかし、神の声を聞いたと訴えるジャンヌに「ボードリクール」は取り合いませんでした。

 

 翌1429年1月に再び「ヴォークルール城」を訪れたジャンヌは、ボードリクールに仕えるふたりの貴族と知己になりました。
 

 初めての戦友 ジャン・ド・メス

 

「ジャン・ド・メス」(ジャン・ド・ヌイヨンポン)はジャンヌに興味を示し、からかい半分で声をかけます。相手はなにしろ赤い服を着た少女です。しかし、その返答は彼を驚かせるのに十分なものでした。

 

 

「私はここ、王様の部下の町に来て、私を王様のところへ連れていくか、だれかに連れていかせてくれるようロベール・ド・ボードリクールに頼んだのです。しかし、彼は私にも、私の言葉にも関心を示しません。けれど、四句節の中日までには、たとえ足をすり減らしても王様の許へ行かねばなりません。実際フランス王国を復活させうるものは、国王にせよ、諸侯たちにせよ、スコットランドの王女にせよ、世界に誰もいないのです。私以外に王国を救う者はいないでしょう。が、私は貧しい母の許で糸を紡いでいる方がずっと良いのです。そんなことは私の仕事ではないのですから。けれどどうしても王様のところへ行って、その仕事をしなければなりません。私がそれをすることをわが主がお望みだからです」

 

 

 

 

 わが主とは誰かと問いかけたメスに、ジャンヌは神様ですと答え、このやり取りに感じ入った「ジャン・ド・メス」は己の従者の服を一式ジャンヌに与えます。

 

 ジャンヌ自身も男物の服の方がいいと答えたこともあり、男装のジャンヌ・ダルクがここに誕生します。

 

『そこで私 ─ここで証言しているジャン─ は、信頼の徴として私の手を乙女の手の中に置いて、神にかけて国王の許に案内しようと乙女に約束しました。

 そして私は、いつ出発したいのかと尋ねますと、

「明日より今日のほうが、明後日よりも明日のほうがよい(一日でも早く)」と彼女は応えました』

 

「ジャン・ド・メス」が自分の手をジャンヌの手の中に置いた行為は、彼女に忠誠を誓ったことを意味しました。

 

 

 預 言

 

 

 そのころには「王太子に神の声を伝えにいく」と決然とした態度を崩さないジャンヌの姿に、「ヴォークルール」の市民の間にも彼女の支持者が増えていきました。

 

「オルレアンで起こる戦いでフランス軍が敗北する」

 ジャンヌが受けた神からの預言を「ボードリクール」に伝えたのは、「ジャン・ド・メス」でした。前線からの報告でそれが的中したことを知ると空気が変わります。

「ニシンの戦い」は、「オルレアン包囲戦」の中で起こった、イングランド王国軍とフランス王国・スコットランド王国軍の戦いです。

 

 補給物資であったニシンが戦場に散乱したことから、後世、ニシンの戦いと呼ばれました。


 遠くオルレアンの地で起こる戦闘の勝敗を言い当てたジャンヌに、ボードリクール伯は驚き、シノン訪問を許可することになりました。

 

 

─To be continued.─

 

 

 

オルレアンの乙女

 

 ドンレミ村

 

「百年戦争」が続く1412年1月6日ごろ、フランスの北東部、ロレーヌ地方の農家にひとりの女の子が生まれました。

 父親の名前はジャック・ダルク。母親はイザベル・ロメ。女の子は「ジャネット」と呼ばれ、とても愛されて育ちました。

 ジャネットが生まれたときには、すでに3人の男の子がいました。長兄のジャックマン、次男ジャン、三男ピエール。ジャネットの1年後には妹のカトリーヌが誕生しています。

 

 東側に神聖ローマ帝国領を望む小さなコミューン・ドンレミは、周囲を敵方であるイングランドの支配地域とブルゴーニュ公領に囲まれる場所にありました。王党派に属したドンレミ村は何度か襲撃に遭い、焼き払われたこともありました。

 

 

「ムーズ川沿いのドンレミ村」

 

 父親は租税徴収係と村の自警団団長を兼ねていました。ジャネットは父親の持ち物から、貧しい人によく施し物をしました。クリスチャンにとっての愛の表われである「施し」に忠実な少女でした。

 

 糸紡ぎを手伝い、時には犂(すき)を引いたり刈り入れをしたり、自分の順番になれば家畜の番もしました。少女はよく働きました。

 犂(すき)=田畑を耕す農具。

 

 

 

「ジャンヌの生家」

 

 ミカエルの声

 

 少女は神を畏れる篤い信仰心を持っていました。洗礼を受けた「サンレミ教会」の夕べの鐘が鳴ると、ひざまずきました。

 

 ミサを知らせる鐘が鳴れば、畑にいるときでも村の教会に帰ってミサに参加しました。

 

 特に母親は敬虔なカトリック信者で、毎週日曜日には家族そろって教会に行き、祈りを捧げていました。

(当時のキリスト教はカトリックのみ)

 

 少女は、サンレミ教会が時を告げる鐘の音が大好きでした。

 

 

「サン・レミ教会」

 

 少女が初めてミカエルの「声」を聞いたのは、13歳のころ。教会の近くに建つ、生家の中庭でのことでした。このときも、サンレミ教会がお昼の鐘を鳴らしていたといわれます。

 

  大天使「ミカエル」と「聖女カトリーヌ」「聖女マルグリット」による「姿と声」は、存亡の危機にあるフランスを救うよう彼女に呼びかけたのでした。

 

 その後、少女はたびたび声を聞くようになります。

 

 

『大天使ミカエルがジャンヌ・ダルクに登場 』

  モーリス・ブーテ・ド・モンヴェル

 

 百年戦争

 

 百年戦争は英仏間の長い戦争、と捉えられがちですが、その当時はまだ「国家」という概念がない時代でした。


 そもそも「イングランド王家」の発祥地は、「フランス」の北西部に位置するロワール地方です。「イングランド王」は、フランス出身であり、フランス国王の「臣下」だったのです。

 

 遡ること1066年、「ノルマン・コンクエスト」(ノルマン人のイングランド征服)が起こりました。

 

 それにより、「ノルマンディー公ギヨーム2世」(後のイングランド王ウィリアム1世)が「イングランド」を征服して王となり、ノルマン朝を創始しました。

 

 

『ノルマン・コンクエスト』

 

 当然と言いますか、「イングランド王」となった「ノルマンディー公ウィリアム」や家臣達は「フランス王」とほぼ変わらぬ言葉(ノルマン訛りのフランス語)を話していました。

 

 彼らが、英語を話す「ブリテン島」の人々を征服し、治めていたのです。

 

 1337年に勃発した百年戦争は、王位をめぐるフランス国内の混乱に乗じて、「イングランド王国」が「フランス王国」の「王位継承権」に介入しようとしたことが発端になりました。

 

 なぜ、イングランドはフランスの「王位継承権」に手を出そうとしたのでしょうか。

 

 この「イングランド王国」は縁組みによりフランスの全土の半分近くの封建領主となっていました。

 

 しかも、フランス王家とも縁組みをしたので、フランス王家で男系が途絶えそうになった時「王位継承権」を要求したのです。

 

 

 

 

「ノルマンディー公家」は、バイキングの一派であるノルマン人の首領が「フランス王」から領地をもらって家臣になったもので、ルーツはノルウェーです。

 

 乱暴な言い方をすれば、フランスが「庇(ひさし)を貸して母屋を取られる」状態に陥ったのです。

 

 このように、1453年までのおよそ1世紀の間、「イギリス王家」と「フランス王家」の対立を軸に、ヨーロッパ諸侯で展開された抗争状態を「百年戦争」といいます。

 

 

 プリンス・オブ・ウェールズ

 

 1282年「イングランド」はウェールズ全土を征服し、1536年、併合法によりウェールズは国の形を失いました。

 

 1301年「エドワード1世」はウェールズ人の反乱を抑えるため、王子エドワードに「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を授けて、ウェールズの名目上の君主としました。

 

 

 

 それ以降、イングランドの次期国王が「プリンス・オブ・ウェールズ」となる慣例が定着し、現在に至るまで続いています。

 

 ウェールズを統治した、真の「プリンス・オブ・ウェールズ」は「イングランド」の侵略のため3代で終わりました。

 

 ちなみに、それまで使われていた「フランス語」を「英語」に変えたのが、イングランド王「ヘンリー5世」です。1415年のことでした。支配地の民族が使う英語が国王の公式言語となり、現在に至ります。

 

 イギリスとフランスはこの百年戦争を闘い抜くことで、「国家」「国境」「愛国心」「固有の言語」を備えていきます。

 

 

 信長にとっての天下

 

「国家」の概念がない時代を日本に置き換えると、15世紀末から16世紀末にかけて、後継争いの「応仁の乱」を始まりとする「戦国時代」がそうでした。

 

 織田信長が足利義昭を後押しして15代将軍に就任させたころまでの「天下」は「日本」ではありませんでした。

 

「畿内((きない)」いわゆる天皇と将軍がいた京都を中心とする、非常に狭い範囲を指しました。

 

 山城(京都府)・大和(奈良県)・摂津(大阪府と兵庫県の一部)・河内(大阪府)・和泉(大阪府)です。

 

 将軍の勢力がおよぶ範囲はこの狭いエリアだけでした。

 

 

 

 その後、将軍・足利義昭が信長と敵対して室町幕府が滅び、信長が畿内の外にいる敵対勢力を制圧していく中で、彼の目は全国制覇に向けられていきます。

 

 いわゆる「天下布武」から「天下統一」への変化です。そこで初めて「天下」は「日本」を意味するようになっていきました。

 

 ロングボウ

 

 つまり、百年戦争は「イギリス」と「フランス」という主権国家間の戦争ではなく、フランスの領主たちが二派に分かれた争いでした。

 

 戦闘はフランス内部だけで行われ、イングランド軍の攻撃によりフランス経済は壊滅的な打撃を受けていました。

 

 黒死病(ペスト)や、フランス国内の分裂、王の摂政の座を巡るアルマニャック派とブルゴーニュ派の内戦もあり、戦況はイングランドが優勢でした。


 

「ウェールズのロングボウマンを大量に使ったイングランド軍

 

「イングランド軍」は長さが120-180cmほどもある長大なロングボウ(長弓)を使い、速射において劣るクロスボウを使っていた「フランス軍」を相手に、目覚しい効果をあげました。

 

 ロングボウはウェールズ軍が使った弓で、イングランド軍もしばしば撃破される武器でした。イングランド軍はこのウェールズのロングボウマンたちを雇い百年戦争に活用しました。

 

 バネの力により発射するクロスボウの威力は、ロングボウに劣らないものの、弓を射るまでの所要時間が長く射程も短いため、遠くから射るロングボウが有利に働きました。

 

 

 

 ただ、誰でも使えたクロスボウに比べ、ロングボウは熟練の腕と筋力が必要なため、ロングボウマンの不足が戦況に影響を及ぼしていくことになります。

 

 のちのことですが、フランスも新兵器「大砲」を投入することにより、形成が変わり始めます。

 

 

 トロワ条約

 

  百年戦争の末期1420年5月21日、フランスのトロワで「トロワ条約」が結ばれます。

 

  条約の中で、フランス王「シャルル6世」の死後に、イングランド王「ヘンリー5世」が後継者になることが決められました。

 

 これにより、フランス王太子(シャルル7世)は王位継承権を失うことになります。

 

「トロワ条約」は、フランス王「シャルル6世」が狂気に陥り、国内統治が不可能な状態であったため、王妃「イザボー・ド・バヴィエール」が代理を務めました。

 

 

『シャルル6世の狂気と悪魔祓い』フランソワ=オーギュスト・ ビアール

 

 フランス王妃「イザボー・ド・バヴィエール」と、ブルゴーニュ公「フィリップ3世」、イングランド王「ヘンリー5世」の間で調印されたのが「トロワ条約」です。これにより「イングランド」が優位に立ちました。

 

「イザボー・ド・バヴィエール」はさまざまな姦計をめぐらせ、フランス史上随一の悪女・淫妃とされます。

 

「シャルル6世」の弟「オルレアン公ルイ」と肉体関係を持ち、アルマニャック伯「ベルナール7世」、シャルル6世の叔父にあたる「フィリップ3世」とも不貞関係を噂されました。

 

 そのため、反対派からは「淫乱王妃」と呼ばれ、ブルゴーニュ派とアルマニャック派が対立する一因となりました。

 

 

「イザボー・ド・バヴィエール」

 

 やがて、息子である「シャルル7世」と対立することになる彼女の無軌道な振る舞いが、結果的にフランスを危機のどん底に引きずり込んでしまうことになるのです。

 

 

 王妃イザボー

 

 彼女はエリザベートではなく、「イザボー」と呼ばれ、今も忌み嫌われています。

 

 のちに「フランスは女(イザボー)によって破滅し、娘(ジャンヌ・ダルク)によって救われた」との言葉が流布されました。

 

 条約締結後の1420年6月2日、イングランド王「ヘンリー5世」とフランス王妃「イザボー」の娘、王女カトリーヌとの結婚式が行われて「トロワ条約」体制が確立します。

 

 

 

 

 1422年、飛ぶ鳥を落とす勢いで征服地を広げるイングランド王「ヘンリー5世」が急死し、続いてフランス王「シャルル6世」が亡くなると、生後9ヶ月の「ヘンリー6世」がイングランド王位とフランス王位を継承することになります。

 

 フランス摂政に就任したヘンリー5世の弟「ベッドフォード公ジョン」が事実上の総帥となり、対する王太子「シャルル」もフランス王「シャルル7世」を称して、王座に一縷(いちる)の望みを託します。

 

 

 

  フランス摂政となったヘンリー5世の弟「ベッドフォード公ジョン」がやがて、ロワール川以北で「シャルル7世」に忠誠を尽くす最後の街「オルレアン」を攻囲することになります。

 

  少女が歴史に登場するのは「イングランド」が「フランス」をほぼ掌中に収めかけていたこの時期でした。

 

「フランスを救いなさい」という「ミカエル」の声は、13歳の少女には重すぎるものでした。しかし、敬虔な少女は3年後の1428年、その啓示を信じ行動を起こしました。

 

 「ジャネット」はのちにこう呼ばれました。

 

 Jeanne d'Arc「ジャンヌ・ダルク」

 la Pucelle d'Orléans「オルレアンの乙女」

 

 

 続きます。

 

 

─To be continued.─

 

 

天使とキューピッド


 どこか難解そうで近寄りがたいのが「旧約聖書」。読み通すには難物ですが、エピソードを辿れば内容が見えてきます。

 本筋とは外れますが、「天使」について少し。

 天使は「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」の聖典などに登場する神の使いです。

「キリスト教」がローマの国教になった4世紀ごろ、天使に翼がつきました。初期の宗教絵画のほとんどが男性で、翼がないと、ただのおじさんにしか見えないからです。

 

 サモトラケのニケ

「天使の翼」は、勝利の女神「ニケ」(ニーケー)がモデルとされています。「ギリシャ神話」の12神「アテナ」(アテーナー)の随神として描かれる有翼の女神です。

 

「サモトラケのニケ」はギリシャ共和国の、サモトラケ島で発掘されました。頭部と腕は失われています。

 

「サモトラケのニケ」大理石で作られた彫刻作品。

 分割したパーツで出来上がっています。(ルーヴル美術館)

 

 紀元前200–前190年ごろの制作と推定されていますが、作者は不明です。空から船のへさきに降り立った様子を表現したものと考えられ、ギリシャ彫刻の傑作といわれます。

 

 

「アテナの手のひらに乗る随神ニケ」

 

「サモトラケのニケ」は、発掘した欠片と、新たに作られた部分で修復され、現在の姿になっています。

 

 

 

 おなじみのスポーツメーカー「NIKE」は「女神ニケ」からきています。英語読みで「ナイキ」です。ロゴマーク「スウッシュ」は「ニケ」の翼をデザインしています。

 

 NIKEとオニツカタイガーとアシックス

 1968年「鬼塚喜八郎」により「鬼塚商会」が設立されました。創業時の「オニツカタイガー」(現アシックス)の、アメリカにおける輸入総代理店・販売代理店として立ち上げられたのが「ナイキ」です。オニツカからスニーカーづくりのノウハウを学びました。

 

 

 

 

「オニツカタイガー」のブランド名を持っていた鬼塚商会が、1977年スポーツウェアメーカーの株式会社「ジィティオ」、ニットウェアメーカーの「ジェレンク」株式会社(ともに日本メーカー)と対等合併した段階から、株式会社アシックス「ASICS」になりました。

 

 2002年に「オニツカタイガー」のブランドが復刻し、世界で高い評価を受けています。

 

「アシックス」はスポーツウェアブランド、「オニツカタイガー」はアパレルブランドの方向性を強くしています。

 

 

「ニケ」にまつわるものはまだあります。

 

 

 ホンダ(本田技研工業)のロゴも「ニケ」の翼をイメージしたものです。

 

 初期のころのロゴはもっと複雑でした。

「1955年」

 

「ホンダ・ドリームSA」

 ドリームが発売された1955年、日本の経済が戦前を超え、翌56年の経済白書では「もはや戦後ではない」と記されました。

 

 

 キューピッドはヴィーナスの子供

 

 芸術作品の天使は、それぞれの画家のイマジネーションによるため、その姿は固定されたものではありません。

 

 翼を持つ天使というと、「キューピッド」を連想された方もいるかもしれません。しかし、キューピッドは「天使」ではなく「神様」です。


『詩の寓意、キューピッドたち』ブーシェ

 ローマ神話の恋の神「クピド」の英語名が「キューピッド」で、ヴィーナス(愛と美の女神アフロディーテ)の子です。

 姿は弓矢を持つ裸の少年で、その矢に当たった者は恋心を起こすといわれます。ギリシャ神話の「エロス」に当たる神です。

 

 

 

 どこかで どこかで エンゼルは~♪

 

 

 

 中村あゆみも57歳になりました。

 

 

 

 寄りすぎです。

 

 

 キューピーは1909年、米国のイラストレーター「ローズ・オニール」が「キューピッド」をモチーフに、イラストとして発表したキャラクターです。

 

 

 

 

「キユーピー」が日本ではじめてマヨネーズを製造・販売したのは、1925年(大正14年)の3月のこと。正式な社名・商標は「キユーピー」で「ユ」が大文字です。

 

 カメラの「Canon・キヤノン」と同じですね。「ヤ」が大文字です。キャノンは試作機「KWANON・カンノン」(観音様)からきています。

 

 ロゴマークの由来はキューピー人形です。イスラム圏では、キユーピーが天使と誤解されないように、2013年から羽のないキューピーが描かれているそうです。

 

 偶像崇拝と誤解されないように、とのことです。マヨネーズで偶像崇拝……マヨラーは危険です。

 

《これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け
 その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。》

<ヨハネの黙示録 9章20-21節>

 

 

 

 ヨハネの黙示録は「ハルマゲドン」で有名です。

 一般的に「ハルマゲドンの戦い」と使われますが、「全能なる神の大いなる日の戦い」。神の軍勢と地上の悪の勢力との戦いを指しています。

 

 人類絶滅戦争などではなく、悪の勢力に絶滅をもたらす「神の審判」、すべての悪の終わりの日です。

 

 ちなみに「ハルマゲドン」は「メギド山」メギドにある山という意味です。メギドはイスラエルに実在する地名で、ガリラヤ湖の南西40キロほどの所にあり、世界遺産に登録されています。

 

 偶像崇拝の禁止は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教でも同じです。

 

 ウィリアム・アドルフ・ブグローの絵画

 

 ブグローの絵画を何点か載せます。肖像画のほか、天使やキューピッドも多く描いている「ブグロー」の絵画は、どれも繊細で美しいものです。

 


『ヴィーナスの誕生』ウィリアム・アドルフ・ブグロー

 キューピッドのお母さんです。

 天使とキューピッドの違いは、弓矢を持っているか否かでわかります。手に持つものが松明(たいまつ)だったりします。ブグローの描くキューピッドは、弓矢を持たないものが多いので、わかりにくいです。



『歌を歌う天使達』ウィリアム・アドルフ・ブグロー

 

 

キリスト教三大天使

 天使は神の使い

 

 キリスト教では「ミカエル」「ガブリエル」「ラファエル」を三大天使とし、ヒエラルキーのトップ3に位置しています。


『愛の秘密』ウィリアム・アドルフ・ブグロー
「愛」のタイトルのため、これはおそらくキューピッドです。

 天使に性別はありませんが、一般に両性具有もしくは男性として描かれることが多いようです。神も同じく性別はありませんが、絵画では男性です。


『エロスの誘惑に抗する娘』ウィリアム・アドルフ・ブグロー
 

 恋の矢を放とうするキューピッドと、それを防ごうとする娘のようです。




『小さな乞食』ウィリアム・アドルフ・ブグロー

 

 

『休息』ウィリアム・アドルフ・ブグロー

 

 大天使ラファエル


『天使ラファエルとトビアス』サヴォルド
 
 トビアスは、旧約聖書外典『トビト書』に登場する、敬虔なユダヤ人トビトの息子です。美術作品の中では、人間に扮したラファエルは、若いトビアスの旅の伴侶として描かれることが多いようです。

 

 大天使ガブリエル

 聖母マリアに、聖霊によってキリストを妊娠したことを告げたのは大天使「ガブリエル」です。このガブリエルだけは、女性として描かれることが多い天使です。


『受胎告知』カラヴァッジオ(大天使ガブリエルとマリア)
 
「受胎告知」のとき部屋にいたのは、「マリア」と「ガブリエル」だけだったため、ガブリエルの子ではないかと、いらぬ推測を与えないためだと思われます。
 

 大天使ミカエル


『悪魔を地に伏せる聖ミカエル』ラファエロ

 悪魔は「堕天使ルシファー」です。もともと大天使長として天使の全てをまとめる存在だった天使のルシファーは、自分の力を過信して謀反を起します。

 その「ルシファー」を、大天使の「ミカエル」が地獄に追放しました。

 大天使「ミカエル」のお告げがあったとして建てられたのが、フランスの「モンサンミッシェル修道院」です。


「モンサンミッシェル修道院」
 
 さて、その「大天使ミカエル」です。
 
 百年戦争の続くフランスで、「ミカエル」の声を聞き、行動に移した少女がいました──。
 
 続きます。
 
 では、また。

─To be continued.─

 
 

ユダヤ教の異端児

 改革者

 ユダヤの宗教指導者、とりわけ「ファリサイ派」に迫害を受けたイエスと信徒たち。理由のひとつは、イエスが彼らに対して、ユダヤ教の「改革」を求めたことでした。

《それから、イエスは群衆と弟子たちにお話しになった。

「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである」》
<マタイの福音書23章 2-3節>

 さらに、自らを神の子と称したことで、ファリサイ派の怒りを買いました。正確には、神をわたしの父と呼ぶのですが、「父から聞いたこと」「父がわたしをお遣わしになった」など、そのくだりは随所に描かれています。



《そこで、イエスは彼らに答えられた、
わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」。このためにユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうと計るようになった
 それは、イエスが安息日を破られたばかりではなく、神を自分の父と呼んで、自分を神と等しいものとされたからである
<ヨハネの福音書 5章 17-18節>


「イエスに挑むファリサイ派とサドカイ派の人びと」
 ジェームズ・ティソ

 安息日

 サドカイ派とは、主として祭司で構成され、紀元前2世紀から紀元後1世紀に存在したユダヤ教党派のひとつです。

 ローマ帝国と、ユダヤ属州に住むユダヤ人との間で行われたユダヤ戦争で消滅しました。このため、ライバル関係にあったファリサイ派がユダヤ教の主流となっていきます。

律法を厳格に守ろうとするファリサイ派(パリサイ派・パリサイ人びと)にとって、教義の根幹である戒律、とりわけ「安息日(あんそくにち)を軽視するイエスは、容認できない存在だったのです。

「安息日」は働いてはいけない日です。あらゆる作業と捉えるとわかりやすいかもしれません。



 現代でも、会社に行くことも禁止です。週に一回なので驚くことではありませんが。

 火や電気、車などを使う行為も、すべて安息日には禁じられています。ということは料理も禁止です。もちろん、事前に用意したものを食べますが、携帯電話も禁止です。

 テレビもON-OFFを避けるため、見たければ点けっぱなしです。お店もすべて閉まります。交通機関も止まります。ロウソクで過ごします。

 熱心な信者、という注釈は必要かもしれません。気にしない人は普通に過ごします。飲み屋は開いてます。ちなみに、熱心な信者は25%ほどとされます。


「律法学者とファリサイ派の人たち、あなたがたはわざわいだ」
 ジェームス・ティソ

 わたしの父

 話を戻します。加えてわたしの父発言です。自分が神に等しく、権威と権力を持つと主張するイエスを、ファリサイ派の学者たちが許すはずもありませんでした。

《律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ
 ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。》
<マタイの福音書23章 25-26節>





 イエスは「キリスト教」を立ち上げようとしたのではありませんでした。それはのちに使徒たちが行ったことです

 (いたずら)に厳しくした律法を民に押しつけ、先生と呼ばれることを喜び、外面を飾るばかりで内なる信仰のない彼らを、イエスは厳しく「糾弾」したのです。それは、ユダヤの民を正しい信仰に導こうとしたからです。

 もしも、イエスが静かに一派を立ち上げていたら、十字架上の死もなかったのかもしれません。

 いえ、イエスはむしろそれを望んだのです。

 贖 罪

 救い主であるイエス・キリストが、人類をその罪(原罪)から救うために、身代わりに磔になることこそ、イエスが来た理由だからです。



 人類の罪に対する贖罪(しょくざい)としての磔刑があり、復活があり、それを受けた使徒たちの、命がけの布教があったからこそ、キリスト教は世界宗教になったといえるでしょう。
 

 人間は生まれながらにして罪深い存在。いわゆる原罪を負っているとされるため、その「罪をあがなう」ため、イエスはゴルゴダの丘へと向かいました。

※教会(教派)により、「原罪」の扱いは微妙に異なります。ちなみにですが、プロテスタントは牧師で、神父はカトリックです。

だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。》
<マルコ福音書8章34節>

 

原 罪 説

 失楽園

原罪」とは、ヘビにそそのかされたイブが、エデンの園にある「善悪を知る木」(善悪の知識の木)の実を食べ、アダムを誘惑して食べさせたことにより生じました。

 その結果、神の怒りに触れて、ふたりはエデンの園から追放されます。創世記に描かれたこの神話が「原罪説」の源泉になっています。



 

 天地創造

(アダムの誕生前です)
《これが天地創造の由来である。
 主なる神が地と天とを造られた時、地にはまだ野の木もなく、また野の草もはえていなかった。》
<創世記2章 4節>

(上から続く、アダム誕生のシーンです)
主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。》
<創世記2章 7節>

(おかしなことが起こりました。創世記1章に戻ります)
《「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」

 そのようになった。 地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。夕べがあり、朝があった。第三の日である。》
<創世記1章 11-13節>

 アダムとイブが誕生したのは6日目、最終日です。天地創造の3日目に草と果樹などは完成していたので、2章と辻褄が合いません。が……寄せ集めた神話ですので、目くじらを立てないでください。



 

 善悪を知る木

 神は「命の木」はよいが「善悪を知る木」からは食べてはいけない、とアダムに厳命します。

《主なる神は言われた。 「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」》
<創世記 2章 18節>

 神は、深く眠らせたアダムの肋骨からイブを誕生させます。ちなみに、イブの名付け親はアダムです。

 そしてふたりに、誘惑の手が伸びます。



 

 誘惑に負けるイブ

《主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
 女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。
 でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」》
<創世記3章2-3節>



「お前たちは追放ぢゃ」

 イブはアダムから間接的にしか聞いていないようです。だからか、誘惑に負けます。

《蛇は女に言った。
「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」

 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆(そそのか)していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。》
<創世記3章4-6節>



「食べなさいよアダム。神のようになるらしいわ♬」

 堕 落

 しかし、木の実を食べたことが神に知られてしまいます。

《神は言われた。
お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」

 アダムは答えた。
あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」

 主なる神は女に向かって言われた。
何ということをしたのか。」
 女は答えた。
蛇がだましたので、食べてしまいました。」》
<創世記3章 11-13節>

 お互い見事に責任転嫁を始めました。アダムにいたっては、あなたが共にいるようにしてくれた女、と暗に責任の一端を神に負わせようとしています。



「一番左が神です」

 余談ですが、アダムは食べた林檎が喉仏に、イブは胸で止まって乳房になったと言われています。英語では「喉仏」のことを「Adam’s apple」と言います。



「王林です」

 ふたりが食べた禁断の果実が「林檎」である、とは聖書には書かれていません。イチジクの実だ、という説もあります。

 目が開けたふたりは裸を恥ずかしく思い、イチジクの葉をつづり合わせて腰を覆ったのはこのときです。



「向かって一番左がジョナゴールドです」

 

 下された罰

 神は最初にヘビに呪いを掛けます。





お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕きお前は彼のかかとを砕く。」》
<創世記 3章15節>

 次にイブです。

《神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め彼はお前を支配する。」》
<創世記 3章16節>

 このイブへの罰を、ヨハネはやさしくこう解説します。

女は子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。》
<ヨハネの福音書16章21節>新約聖書



「ヘビよ」
アンナ・リー・メリット作『イヴ』1885年


 イブがアダムの肋骨からできた、というのは誤訳と思われますが、詳細は省きます。
 

 塵に帰る

 善悪を知る木から食べたことにより、人間はを免れなくなりました。

 その割には、アダムは930歳まで生きたとされています。イブが何歳まで生きたか定かではありません。

《神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。
 お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前は顔に汗を流してパンを得る土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」》
<創世記 3章17・19節>

 お前は一生働け、と言われました。





善悪を知る木」は、アダムとイブが、神に忠実に歩むかどうかをテストするための木でした。

 このようなテストは「アブラハム」に対しても行われました。彼の息子イサクを生贄にせよと神が命じるのです。

「アブラハム」って誰……続きます。

─To be continued.─


※文中の聖書は、基本的に1987年の出版の「新共同訳」を使用しています。
「日本基督教団」「日本聖公会」「ローマ・カトリック教会」が共同して翻訳に当たったものです。

 最新の学問的成果をふまえて、読みやすい日本語で表現されています。個人的には、すべての翻訳に少しずつ不満があります。


 では、また。

─To be continued.─

 

 

 

 

 先にも書きましたが、僕はキリスト教徒ではありません。それがなぜ、難解とも思われる聖書の世界に足を踏み入れたのか。

 それは、とても単純なクエスチョンでした。神とはなんだろう。それは存在するのだろうか

 まだ頭が柔らかくて、知識欲が旺盛で、なぜ、なに、が夏空の入道雲のようにわき上がる十代のころでした。



 仏陀(ゴータマ・シッダールタ)とキリストは実在したんだろうか。彼らはどんなことをして、どんな言葉を残したのだろう。

 さらには、人は死んだらどうなるのだろう。「死後の世界」はあるのだろうか。

 あるとすれば、どんなところなんだろう。たくさんの「なぜ」は泡のようにぷくぷくと生まれていきました。

 はたして、生まれ変わりはあるのか──。この疑問を探り始めたのは、二十代も半ばだったと記憶しています。



 ちなみに、輪廻転生(りんねてんせい・てんしょう)の思想は仏教にはありますが、キリスト教にはありません。

 輪廻の考え方は釈迦以前から存在していたもので、初期キリスト教には、それがあったとする説もあります。

 輪廻の状態を脱することを、解脱(げだつ)=涅槃(ねはん)と呼びます。煩悩から脱して自由になることを指します。悟りの境地と言えばわかりやすいかもしれません。解脱は仏教の究極の目標とされます。



 仏陀はこう言いました。
有情(うじょう=人間のこと)、輪廻して六道に生まるること、なお、車輪の始終なきがごとし
『心地観経』(しんじかんぎょう)

 六道(ろくどう・りくどう)とは、「天」「人間」「阿修羅」「畜生」「餓鬼」「地獄」という六つの領域を指します。その世界で輪廻を繰り返す、とするのが「六道輪廻」です。

「畜生道」があるのですから、動物も生まれ変わります。輪廻を「苦」とし、解脱を目指すのです。

「千と千尋の神隠し」では、食べ物を貪り食う千尋の両親が豚になってしまいました。「人間道」から「畜生道」に落ちてしまったのです。

 お釈迦様の話をする予定ではありませんので、これ以上の詳細は省きます。



 疑問は続きます。苦難はなぜ起こるのだろう。ひとはなぜ痛みに苦しみ、なぜ病み、なぜ突然、愛する人たちを残して斃(たお)れるのだろう。

 祝福の中オギャーと生まれ、この世に思いを残しながら死んでいく。「死にたくない」と思いながら死んでいく。そこにいったい、どんな意味を見出せばいいのだろう。

 短い命をつなぎながら、人類はどこへ向かっているのだろう。

 死が不可避な壁であることを知りながら生きている人間。それらを背負ってしまった理由が知りたい。



 マイクロソフトのOS「ウィンドウズ95」が発売された1995年が「日本のインターネット元年」とされます。

 覚えているでしょうか。オウム真理教が、凶悪なサリン事件を起こした年です。まだ30年も経ちません。ネットが一般化する以前に、頼りになるのは書籍だけでした。

 そんな模索の中、おぼろげながらも見えたことは、苦難や災難、それぞれに「原因」はあっても、思い悩むことには、あまり意味がないだろうこと。大切なのは、どう受け取るかに違いない、ということ。

 怒や悲しみ、あらゆるものに、支配されてはいけないということ。言うは易く行うは難しですが。



 そして理解したのは、死後の世界は存在するということ。要求したり、拘束するものは神ではないこと。

 その結果として、あらゆる宗教を否定する立ち位置にいます。お金が絡む宗教は疑ってください。入信させようと躍起になるものも同じです。

 神は聖書の中にも、あらゆる宗教の中にも存在しません。ただ、イエスや仏陀が遺した言葉のエッセンスは、生きていくうえで糧になるだろう思っています。

 ならば、神は存在しないと結論づけたのか。



 いえ、果てしのない宇宙(宇宙年齢は137億年。膨張を続ける宇宙は、それよりはるかに大きいと推測されている)を創り出した「意思」は存在するはずです。

 現在定説とされている「ビッグバン」と呼ばれるものが、人知を超えた「存在」抜きで、たまさか起こった現象とは、とても思えないのです。

 宇宙の外にも宇宙がある。あるいは、生成の可能性がある、とされますが、天文学者や物理学者たちの研究は推測の域を出ず、その実体は、僕たちの想像の域をはるかに超えているものと思われます。



 日本人は無宗教といわれますが、その指摘は的を外しています。そもそも、聖書の「God」を「」と訳したことが間違いのもとでした。唯一絶対神の「God」と日本人の「神」とは異なるものだからです。

「God」の概念を持たないだけで、山や川、吹く風、昇る朝日。自然のあらゆるものに宿る「神」を感じながら暮らしてきたのが日本人です。



 日本各地にある「お祭り」は、祈りと感謝です。神輿に乗せた御霊の力で災害を鎮める願いもあります。お祭りは「祀り」に由来しています。

 その敬虔な生きざまを理解していないキリスト教圏、あるいは唯一神を信仰する人たちに、日本人はGod(信仰)を持たない、と思われても仕方のないことだといえます。

 古来、さまざまな神様を受け入れてきたからこそ、赤ちゃんを連れて神社で「お宮参り」をし、「お神輿」を繰り出し、命を終えたら、お寺で「戒名」をもらわないと収まりがつきません。

 そして、ツリーを光らせて、チキンとケーキでクリスマスを過ごします。

 そのことに、なんらの不都合も感じませんし、心が咎めることもありません。

 たとえば「七福神」。その中で日本由来の神様は、海の神「恵比寿天」一柱(ひとはしら)のみです。

 よくペアにされる、打ち出の小槌を持った大黒天は、インドのヒンドゥー教の主神のひとつです。破壊神シヴァが姿を変えたマハーカーラが大黒天であるとされます。



 飲んで美味しい
「YEBISU」さま。もちろん、釣竿と鯛を持った恵比寿天が描かれています。


 話は逸れますが、「恵比寿駅」は元々、ヱビスビールの出荷用貨物駅として1901年に開設された駅です。

 ご存知のように、「ゑ」と、ヱビスビールの「ヱ」は漢字の「恵」が変形してできたものです。

「ゑ」は、その昔(鎌倉時代の前)の発音は、今にも吐きそうな「we」だったそうです。

 話を戻します。

 それほどしなやかな日本人が、唯一神を信仰するのは無理があるのでは、と思うのです。

トイレの神様」という歌が流行りましたが、あれこそが日本人の感性だったのです。(2010年・植村花菜)

 そんな僕が手にしたもののひとつが「聖書」です。ここで「メメント・モリ」的なことを書くつもりはありません。

 日本古来の神道における観念「八百万の神」を否定するものでもありません。というより、大切にするべきだと思っています。



「井上あずみ - いつも何度でも」

 ジブリ作品はいろんな方が歌っていますが、「千と千尋の神隠し」“いつも何度でも”は木村 弓さんが歌いました。

 かなしみの数を言い尽くすより
     同じ唇でそっとうたおう♬

 貼ったYouTubeは、宮崎駿監督作品
『天空の城ラピュタ』・「君をのせて」
『となりのトトロ』・「さんぽ」「となりのトトロ」「おかあさん」「まいご」を歌った井上あずみさんの歌声です。


 さて、「愛」とはなんだろう。
 イエス・キリスト編をふたたび始めます。

 と言いたいところですが、今日はここまでにします。

 では、また。

─To be continued.─

 昨日の話なんだけど「Tver」で先週分の『風間公親―教場0―』を見てて、あっ! と思わず声が出た。

ペンディングトレインに出てる人だ!」

 ちょっと頼りないながらも、なんとか力になろうとする役回りを上手く演じていて、いい役者さんだな、と感心してたんだけど、名前を知らない。

『教場』には、染谷将太の奥さん役としてチラッとしか映らなくて、もったいない使い方してるなあ、と思ったのです。

 でも、演技力から見てこんな端役で使うはずがないので、連作の一作目は、しっかり映っていたはずです。助演はもちろんだけど、やがて主役も張るでしょう。

 今に始まったことではないけど、演技の基礎ができてない人をメインで使うのは、どうなんでしょうね。視聴率命なのはよく分かるのだけど……

 そんなことより。さてさて、この人誰だっけ。

「Tver」の出演者紹介の欄を見る。出てない。ウソでしょ、と思いながら何度見ても出てない。

『教場0』10話の出演者、とネット検索してみる。出てこない。いろんなワードで探してみる。出てこない。なぜに?

 気になる! 気になってしょうがない!

 この人誰だっけ?!

 悪戦苦闘のあげく、ようやく見つけました。素直に『エンディングトレイン』を探せばよかったのですね (;´∀`)

 大西礼芳(おおにし あやか)さんでした。







 いいですね。得も言われぬ表情です。群を抜いています。
 上手い役者さんの演技を見るのは、上質の小説を読んでいるぐらいワクワクします。

 生年月日 1990年6月29日(32歳)
  出身地 三重県度会郡度会町
 身長 160cm
 学歴 京都芸術大学
 不思議なことに「血液型・非公開」

 10年ぐらい前から映画やドラマに出てたみたいです。やはり、しっかりとした下地があったんですね。

 今後のご活躍を期待しています。

 ところで『風間公親―教場0―』視聴率はどうなんだろう。「月曜から重い」とか、新垣結衣出演もテコ入れならず、とかあまり芳しくないみたいで気になります。



 積極的に見ようとは思わないけど、見るとそれなりに面白いドラマです。

 原作は「傍聞き」(かたえぎき)で第61回「日本推理作家協会賞短編部門」を受賞した長岡弘樹。

 同作は確かに面白かった。いい作家さんを見つけた、と追いかけたけど、いつのころからか読まなくなりました。



 そんな作家さんというのはいて、なにかの作品で躓いてしまって、読まなくなる。そういうことってあります。

 ついでだから、話は小説に移ります。

『永い言い訳』西川美和
 初読の作家さんでしたが、文体がとても気に入りました。スマホに模写しようかと思うぐらい好みでした。2016年本屋大賞4位。この方、映画監督さんなんですよね。




 ちなみにこの年の大賞は『羊と鋼の森』宮下奈都でした。細やかな筆致の、美しい作品だったと記憶しています。




『流浪の月』凪良(なぎら)ゆう
 この作品も好きでした。2020年「本屋大賞受賞」



 凪良ゆうさん、今年も獲りましたね。最速だそうです。第20回本屋大賞で二度目の受賞。
『汝、星のごとく』

 文体というのは相性もあるのでしょうね。どんなに売れた作品でも、ん? となることがある。

 ネタ勝負のミステリーなどでも、文体が馴染まないと気分が乗りません。あら捜しをしてるわけではないけど、引っかかる作家さんはたまにいます。

 そういった意味で、僕の中でほぼ満点だったのが、

『かがみの孤城』辻村深月
 2018年「本屋大賞」651点でぶっちぎりでした。
 過去に600点を獲得した作品はありません。

 500点越えの大賞が2作品だけ。
『ゴールデンスランバー』伊坂幸太郎
『舟を編む』三浦しをん

「あ~そういうことだったのか!」と、読後の騙され感が爽やかでさえあった一作でした。これを超える作品には、残念ながらまだ出会っていません。



 直木賞の作品が面白いとは限りません。審査員同士の根回しとかあるんでしょうしね。

「今年、そろそろいいんじゃない」なんて。

 そういえば、「直木賞・芥川賞」は誰でもらえるようになってる、といったのは芥川賞作家の辻仁成さんだったかな?

 その点、本屋大賞は、誰と相談するでもなく、読んで感想を書いてポイントを入れる、とてもシンプルなものなので、書店員さんがつけるポイントはかなり目安になります。大賞でもそれほど高くない年もあったりするので。

「デビュー作というのは必ず、その作家がアマチュアの時に書いたもの」
 そんな趣旨のことを佐藤正午が語っていたのですが、当然なんだけど、なるほどそうだよな、と思わせる言葉です。

 デビューといえば。

 有川浩のデビュー作『塩の街』
 隕石が落ちてきて、人間の体が塩になってボロボロと崩れていく「塩害」が発生。滅びに向かう世界を描いた話。最後は誰と一緒にいたいのか、そんなことを描いたSFと恋愛とヒューマンが混在した作品だったと思います。



 その後展開される、有川ワールドの予兆を感じさせる印象的な小説でした。世の中の人が誰も知らない、素人のころの有川浩が書いた作品です。


 話は変わって、昨夜やっていた「日曜の夜ぐらいは」に出てる 和久井映見。



 そういえば昔CMに出てたな、と思って探してみました。


 そうだったそうだった。
 こんなに「かわいかったんだなこれが」

「モルツ」のCM、もう30年も前だったか……20歳ちょっとだったんですね。

 時は否応なく流れて……いくんだなこれが。

 では、また。

 ここで突然「聖書」のお話に移ります。当人はまじめに「愛は4年で終わる」を続けているつもりです。(;´∀`)

」というワードで早くから浮かんでいた、とある一文があったため、ちょっとシフトチェンジをしました。

新約聖書」に収められた手紙なんですけど、勘のいい人は、それだけで気がついたかもしれません。

 ただ、時系列に沿ってではなく、行儀悪くつまみ食いをしていくつもりなので、本題の「手紙」までたどり着くには時間がかかると思います。

 クリスチャンの方以外は親しむことがない聖書。読み通すことも難しい書物なので、この機会にちょっと触れてみてはいかがでしょう。

 あ、僕はクリスチャンではありませんので、苦情には対応しておりません。( *´艸`)





 よろしければ、今日はこれをポチッとしてみてください。

『告白』竹内まりや/angels
 以前も取り上げたバンドです。いいですねぇ。沁みます。


【十二使徒】
 さて、イエスの主要な弟子たちを「十二使徒」と呼びます。彼らはイエスに選ばれました。

《そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。
<ルカの福音書 6章12-13節>

 イエスはちょくちょく、ひとりで山に登ります。

 山といえば、ひと昔前「山ガール」というのが流行って、ユーキャン新語・流行語大賞の候補になったこともありました。……どうでもいい話でした。

 有名な言葉が連なる「山上の垂訓」は、弟子たちと群衆を引き連れて、ガリラヤ湖畔の山上で行ったとされる説教です。





 ちなみに、ガリラヤ湖と死海はヨルダン川で繋がっています。ヨルダン川といえば、イエスが「洗礼者ヨハネ」に洗礼を受けた川です。

「山上の垂訓」の場所は詳しくは分かっていませんが、イエスはガリラヤ地方から遠く離れることはなかったので、だいたいその周辺の小高い山です。



 左は地中海です。

 ガリラヤから離れるのはエルサレムに行く時ぐらいで、それぐらい非常に狭い範囲でしかイエスは伝道していません

 ガリラヤ湖からエルサレムまで、直線距離にして約170キロ。歩けば実質200キロほど。彼らが一日何キロ歩いたかは知りません (;´∀`)

 直線距離170キロはどうでしょう? 東京から静岡市ぐらいでしょうか。伊豆の下田の方が近いはずです。だからといって、歩きません。

 イスラエルの地図はこんな感じです。



 イスラエルは九州より小さい国です。70%ぐらいかな? もしもイスラエルがお餅だとしたら、福岡と長崎を切り離して、びょーんと伸ばした感じです。わ、わかりにくい……。


山上の垂訓」のようすは、新約聖書の巻頭に収められる「マタイによる福音書」(マタイ伝)第5章から第7章と「ルカによる福音書の」6章に記されています。

心の貧しい人たちは、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しんでいる人たちは、幸いである、彼らは慰められるであろう。
<マタイの福音書 5章3節>

「さいわい」が八回も続きます。

 ルカによる福音書6章は、誰もが耳にしたことのある、イエスの有名な言葉が並んでいます。

「安息日に麦の穂を摘む弟子たちの話」(後述の予定)
「手の萎えた人を癒す話」(後述の予定)
貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである──」
敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい
人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない
「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない」



「マグダラのマリアとイエス」


【マグダラのマリア】
 さっそく、人気者の「マグダラのマリア」の登場です。

 マグダラというのは地名です。「ナザレのイエス」と同じです。名前の前に「〇〇の」、とついたら村で間違いありません。

 横浜流星は埼玉です。「の」がついていませんので。

 かつては、「ルカの福音書」に登場する「罪の女」と混同されたりした「マグダラのマリア」でしたが、現在はそのようなことはありません。「娼婦説」も後年の創作と考えられます。

 勝手に「娼婦」にさせられて、迷惑なマリアです。ちなみに「ア」ではなく「ヤ」と表記されることもあります。

 竹内まりやは「や」です。安西マリアは「あ」です。え? 安西マリアを知らない? ː̗̀(☉.☉)ː̖́

「ギーラギーラ♬」ですよ。
 違います。Adoじゃありません。谷まりあでもありません。あ・ん・ざ・い・です。「涙の太陽」です。


  2014年にお亡くなりになりました。(☍﹏⁰)。


また悪霊を追い出され病気をいやされた数名の婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラと呼ばれるマリヤ
<ルカによる福音書8章2節>

七つの悪霊」とは多すぎです。マグダラのマリアは、心がすこしデリケートな人だったのかもしれません。この出来事が、イエスに仕えるきっかけになったと思われます。





「ヨハネの福音書」では、十字架上で死を遂げ、「復活」したイエスに一番最初に出会います。マグダラのマリアが「先生」と呼び掛けているため、当時のユダヤ人社会では珍しく、女性の弟子だったのかもしれません。


【イエスの復活】
さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが(イエスの)墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。

 そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛しておられた、もうひとりの弟子のところへ行って、彼らに言った、

※「イエスが愛しておられた弟子」と出てくるのは「使徒ヨハネ」を指します。異論もあるようですが……ちゃんと書きましょうね。

だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」。

 そこでペテロともうひとりの弟子は出かけて、墓へむかって行った。

 すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいってきて、これを見て信じた。(もうひとりの弟子ばっかり)

 しかし、彼らは死人のうちからイエスがよみがえるべきことをしるした聖句を、まだ悟っていなかった。

 それから、ふたりの弟子たちは自分の家に帰って行った。しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。》
(デリケートです)



「キリストの埋葬」

○十字架から降ろされたキリストの亡骸を、墓に埋葬する場面。「アリマタヤヨセフ」「ニコデモ」「聖母マリア」「マグダラのマリア」がイエスを囲んでいます。

 悲嘆にくれた聖母マリア、両腕を挙げで悲しみを露わにするマグダラのマリアも描かれています。

「アリマタヤのヨセフ」と「ニコデモ」が誰かは後述します。もっとわかりやすくて有名な絵画がありますので。


《そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。

 すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。(何度でも同じことを言うマリアです)

 そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。(とんだうっかりさんです)

 イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園(墓)の番人だと思って言った、

「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。(健気です)

 イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。》
<ヨハネの福音書20章1-18節>



「イエスの墓」

 十字架につけられたイエスを、最初から最後まで見守った婦人の中の一人としてのマリア。復活したイエスに、一番最初に会った人としてのマリア。

 ところが、マグダラのマリアは、聖書にはあまり登場しません。しかし、イエスの「布教」「死と復活」の重要な場面に描かれています。それも常に近くにいます。

 聖母マリアの面倒を看るため最後まで付き添い、没したイエスにもっとも忠実であった女性といわれ、キリスト教の主要教派ではいずれも「聖人」に列せられています。

 イエスとマリア「夫婦説」には、根拠がありません。謎が多いせいか、多くの芸術作品の題材となっている女性です。



「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール」
『悔い改めるマグダラのマリア』

 それはさておき、イエスの死後に回心したため「十二使徒」に入らない人物がいます。


【使徒パウロ】
 新約聖書の著者の一人で「使徒言行録」(使徒行伝)などにも登場する「パウロ」です。キリスト教の成立と伝道に重要な役割を果たし、「キリスト教最大の伝道者」であるパウロは「使徒」とされています。



「パウロ」

 最初に書きましたが、ギリシアのコリント(コリントス)の教会の共同体に宛てた、パウロの有名な手紙があります。
「コリント人(びと)への手紙」「コリントの信徒への手紙」と呼ばれます。

※コリントス=多くのギリシャ神話の舞台となった、アテネの西南に位置する街。



「古代コリントスのアポロン神殿」

 ユダヤ教徒(ファリサイ派・パリサイ派)として、戒律の厳格な遵守者だった「パウロ」は、イエスの信徒を迫害していましたが、やがて回心し、イエスを信じる者となります。


 今日はここまでにします。

 では、また。

─To be continued.─
 コロコロ転がる球状のものへの食いつきは極めてよく、壁を走る光を夢中で追いかける習性があります。

 いらなくなった紙を丸めて投げ与えたりしたら、狂喜乱舞します。ヾ(▽⌒*)ウキャキャ(「ФДФ)「

 夏によく茂るイネ科の「狗尾草」は、異名のとおり格好の遊び道具になります。

「狗尾草」
 さて、なんと読むでしょう。

 チッ・チッ・チッ・チッ……【┘】

 (。•́︿•̀。)ザンネン!!

 狗は犬のことで、犬の尻尾の草で「エノコログサ」と読みます。広場の隅っこや道端で風に花穂を揺らすさまは、ひととき、額の汗を忘れさせてくれる夏の風物詩です。

 エノコロは「犬っころ」が転じたものといわれます。





 では、この草の異名はなんでしょう?

 チッ・チッ・チッ・チッ……【┘】

 はい、ご名答! 猫じゃらしです。

 茎の部分を上にして、そっと握って弛めて、握って弛めてを繰り返すと、あら不思議、にょきっにょきっと姿を現すのです。穂先を上にしてやると手の中にもぐっていきます。

 お子さんやお孫さんに見せてあげたらどうでしょう。株が爆上がりすること請け合いです。ただし、思春期でツンツンしている娘さんにやったら、自爆すること間違いなしです。

 子どものころ、半ズボンのすそに穂先を下にしたエノコログサを入れて歩くと、勝手にずんずんとズボンの中に入っていって、得も言われぬオトナな感触に身をよじらせたものです。





 なぜここで猫じゃらしなのかというと、狩猟本能を持つ男のたとえとして、猫のことを書こうとしていたからです。しかし、犬の尻尾で遊ぶ猫とは、いとおかし。


 昨年の夏ごろから『news 23』のエンディング曲で流れています。とてもいい歌です。↓↓

「上白石萌音-夕陽に溶け出して」

 作詞:作曲 小林武史

 賑わっている街で ぼんやり空を見上げる
 遠くで傷む心 毎日ニュースが告げてる

 真実ってわからない 他人も上手に庇えない
 無数にある正しさ だけど答えはきっと
 自分の中に吹く風だよ

 明日がもしも 晴れるなら
 空を見上げて歩きたい
 いつもの道も違ってる
 自分の眼で見つけていくよ
 光と影が 織りなしてる世界
 感性のボリュームを上げて





 始末に負えない狩猟猫のような男に対して、女は恋愛に「安定を求める」生き物です。安心して子供を産み育てられる環境を欲します。

 そんな男女に、時として揉め事がおこります。明らかな悪役がいたらわかりやすいのですが、判定のつけがたい場面もしばしばあります。

 なぜ判定しがたいのか。それは、男女の間には埋めがたい性差があるからです。そこに生じた行き違いである以上、なかなかに手に負えない事態といえるでしょう。

 それこそが、「本能」に操られた、男女の違いで生じたものだからです。

 だからといって、平らかにする必要はありません。

必要があってそうなった」はずで、そこを無理になくそうとしたり、差を埋めようとするのは、それこそ付け焼刃ではないか、と僕は思っています。

 いつのころからか、女性の役者さんを「女優」ではなく「俳優」と表現するのが当たり前になってしまいました。違和感を覚えます。

 その昔、役者は男だけだったので「俳優」。そこに女の役者さんが登場して「女優」という言葉が生まれた。明治のころだったか、そんな経緯だったと記憶しています。



 第46回アカデミー賞「主演女優賞・岸井ゆきの」

 名前が明記されていれば理解できますが、「俳優」と書かれているだけでは、男か女かわかりません。それは無理筋だと思うのです。このまま突き進むと「主演女優賞」や「主演男優賞」もなくなっていくのかもしれません。

 アクターとアクトレスは違いを表しているだけです。

 そうやって騙しだまし、いわゆる「やってます感」で納得させられていったら、肝心なものを見失うような気がします。

 必要なのは、お役所仕事よろしく「形」を整えることではなく、「違いを理解する」ことです。

 時間が解決するもの、ときが笑い話に変える事ども。そんなことって案外多いのではないでしょうか。

 さて、そんな「異種の生き物」がひとつ屋根の下で生活するのです。日々の暮らしの中で、さまざまな軋轢齟齬(そご)が生じるのは当然のことです。




 年々フォルダを増やしてごちゃごちゃになる男と、クリックひとつで上書きをしながら生きていく女。収集したがる男と、捨てたがる女。

 もちろん、個体差の違いはあります。ひとりの人間の中でも「本能」と「理性」の葛藤も生じます。しかし、男女それぞれが持って生まれた本能は、ゆるがせにできない部分ではないでしょうか。


 先に取り上げたトーマス・フラーの言葉をもうひとつ。

「他人を許すことのできない人は、自分自身が渡らなければならない橋を壊しているようなものである。人は誰でも許されなければならないからだ」

「愛は4年で終わる③」
 ここでいったん筆をおきます。

 では、また。

─To be continued.─

「男は最初の男になりたがり、女は最後の女になりたがる」

 松任谷由実も「魔法のくすり」の中で歌っている有名な言葉ですが、これは、劇作家オスカー・ワイルドが書いた喜劇『つまらぬ女』に登場します。

 原文はこうです。

「男はきまって女の最初の恋人になりたがる。これは男の無粋な虚栄だ。女にはもっと繊細な本能がある。女の望み、それは男の最後の愛人となることだ」


 いつものように、流しながらどうぞ↓↓

「椎名林檎 - 本能」1999年リリース
 作詞:作曲 椎名林檎

 昨年、アルバム特典が「ヘルプマーク」にそっくりで騒ぎになりました。40半ばになっても、なんかやらかす椎名林檎。誰の発案なのか知らないけど、もうちょっと考えないと。




 約束は 要らないわ
 果たされないことなど 大嫌いなの
 ずっと繋がれて 居たいわ
 朝が来ない窓辺を 求めているの

 どうして 歴史の上に言葉が生まれたのか
 太陽 酸素 海 風
 もう充分だった筈でしょう

 淋しいのはお互い様で
 正しく舐め合う傷は誰も何も 咎められない
 紐 解いて 生命に 擬う



女は子宮で考える
 この言葉をご存知の方も多いと思います。お断りしておきますが、これがハラスメントに聞こえたとしても、僕は一切責任を負いません。

 意味はというと、男は理性(前頭葉)で物事を考え判断するが、女は本能(直感)で物事を判断する。
理論的」に判断する男に対して、女は「感情的本能的」に判断を下すという意味です。



「椎名林檎」

「でも、たまに考えますけどね。ここで何度転調する作りのヤツやってみたいなとか考えることあるけど、あんまり得てして美味しくなかったりして。
 いちばん重要なことが置いていかれる感じが……なんか下半身で書けてないっていうか。子宮で書いてないみたいな」

「楽理を気にして聴いていらっしゃらない女の子たちが自然に寄り添って、その方々の人生のサントラになってて欲しいって思ってますけど」

 鬼才林檎 2019.11.17「関ジャム 完全燃SHOW!」での発言。
 違うインタビューで、楽曲「本能」についてこんな言葉も口にしています。





「うん。私ね、人間も動物なんだけど、人間の本能は動物とは違うと思うんですよ。
 この曲で歌っている本能というのは三大欲求とは違っていて、人間はその前に、嫉妬であったり、自己顕示欲であったり、自己愛とその崩壊の繰り返しとかが本能としてあるんじゃないか? と。
 私は、そういうものを一回割り切って認めないといけないんじゃないかと思うんですよね…。
 まあ、それは後から分析したことで、この曲を作った時は何にも考えていなかったんですけど(笑)」

 ちなみに彼女は、18歳で「本能」を書き下ろしています。





理性 vs 直感

 それぞれが持ち合わせた特性である以上、優劣をつけることも、どちらかがどちらかを全否定することもできません。

 たとえば異性を選び取るとき、DNAレベルで優秀な男を選択しようとするのは、頭ではなく、備わっている女の本能です。

 容姿については、イケメンであればなおよし程度です。このあたりが、容姿を第一と考えがちな男とまるで違います。

「美しくて性格が悪い女と、そこまで美しくはないけど穏やかでやさしくて心遣いができる女、どっちがいいですか?」

 もちろん、美しくて性格のいい女性が一番です。でも二者択一だったら……もちろん性格? だって「人間は顔じゃなくて性格でしょ?」

 いえいえ男は少し迷う生き物です。女と違って、それぐらい「美しい人」に弱いのです。

 もちろんこれも、シンメトリーな顔や身体、すべすべお肌と見事なくびれ。それは健康と若さの証。という「本能」に基づいています。

 えぇえぇ、立派な本能なのです。(;´∀`)

 あ……世に巨乳好きという男たちがいます。普段のおっぱいの大きさは脂肪量の違いだけなので、母乳の出とは無関係です。

 もしも巨乳がお乳の出がよかったとしたら、男はみんな巨乳好きになって、おっぱい整形が大流行りです。

 僕はおっぱい星人ではありません。一番支持率が高そうな「普通」が好きです。「本能」って凄い。ː̗̀(☉.☉)ː̖́



「マックのCM」飯豊まりえと西野七瀬
 どっちも好きですね。どうでもいい話ですけど。┐(´-`)┌


 パートナー選びの話は終わりにして、それでは我が子はどうでしょう。

 女にとって「妊娠出産」は、ときに命を危険にさらす行為です。頭で考えてしまう男には、おいそれとは引き受けきれない「覚悟」であろうと思います。

 だからこそ生じる、自分を犠牲にしてでも子どもを守り抜こうとする強さもまた、必要不可欠な「本能」といえます。

 ただお断りしておかなければなりませんが、命を懸けても子どもを守ろうとする本能は、もちろん男にも備わっています。逆立ちしても、母性にはかなわないと思いますが。





「パパのお嫁さんになる」

 幼いころはあれほどつきまとった娘なのに、思春期を迎えるころには、父親の存在、あるいは匂いを嫌うようになります。

 子どもを産む肉体的な条件が整い、オンナの「本能」にスイッチが入るからです。なぜなら、遺伝子的に遠い異性との婚姻のほうが、生まれてくる子どもにとって有利だからです。

「臭い」「うるさい」
「うざい」「気持ち悪い」\(#`Д´#)ノ

 ここはさすがに、神の領域である遺伝子レベルのことには逆らえません。耐え忍びましょう。

 そのことで怒ったりしないように。まかり間違えても、威厳を保とうとして小言など言わないように。家の中だからといって、だらしなくしないように。

 お父さんが人としておかしな言動に走らなければ、やがて落ち着きます。





 さて、そんな男と女は同属でありながら異種の生き物です。価値観や行動規範(〇〇べきである)が違うのはごく自然。その影響で趣味嗜好や行動パターンが違ってくるのは当然のことです。

 たとえば、女は「プロセス」を大事にする生き物です。かたや男は「結果重視」の生き物です。結論を急ぐ男に、過程の話が長い女。

 結果を早く聞きたがる男に対して、女は結論の出ない井戸端会議を好みます。そこがまた、女のコミュニケーション力の高さにもなっています。





 男が女の話を聞くとき、絶対に外してはいけない大事なことがあります。

「で?」と、過程を飛ばして先を促してはいけません。
 くれぐれも結果を急いではなりません。

「そう、大変だったね。うんうん」と、ときに頷きながら耳を傾けましょう。思う存分プロセスを語ってもらいましょう。それこそが男の忍耐とやさしさです。

 そぞろ歩きのウィンドウショッピングが楽しい女。眺めるだけで買わない女にうんざりする男。

 これもまた、過程を楽しむ女と、結果を急ぐあまり「なんで買わないの?」と心でつぶやきがちな男の特性を表しています。

 いいじゃないですか。見るだけはただなんだから( ´艸`)

 続きます。

 では、また。

─To be continued.─