議論による思想の統合について | くらえもんの気ままに独り言

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 さぁ、いよいよ明後日が総選挙の投票日になりました。

 みなさん、よーく考えて自分の信念に従って行動しましょう。


 ちなみに投票先についてまだ迷われているという方はコチラの記事を参考にどうぞ。


投票先がない!!って方へ

http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11953505870.html


 報道では自民党が圧勝ということなので、迷いなく自民党以外に投票してまったく問題ありません。もちろん自民党支持者の方も、あまり自民党が勝ちすぎるのは自民党にとってもよくないので自民党以外に投票することをお勧めします(^ε^)♪


 それでは、さっそく本題ですが、私と同じ「進撃の庶民」に参加しているブロガーのみぬさよりかずさんが先日、このような記事を書かれておりました。


保守分断の真相(「国家戦略特区」blog)

http://ameblo.jp/minusa-yorikazu/entry-11960580205.html


 この記事の『Ⅴ. 思想のツジツマと統合を目指して』という箇所について感じたこと考えたことを書いてみたいと思います。


 みぬさよりかずさんは「思想が未熟ゆえにバラバラになる」「議論による思想の強靭化が必要」と書かれておりましたが、


 まったくその通りだと思います。


 私の場合は筆が遅いため、だいたい私の書きたいことはみぬさよりかずさんが先に全部書いちゃってしまう感じなので、私は「ドラえもん」と「吹奏楽」と「メタボ対策」担当でいいかな、なんておもっちゃったりもします(‐^皿^‐)


 さて、私は過去のエントリーで(どの記事か忘れましたが(笑))、今やるべきことは仲間を増やすことだと書いてきました。


 これは言うまでもなく、経世済民の思想(要は国民のための政治をしなさいってことです)を共有する仲間を増やしていかなくてはならないということであって、思想がバラバラでも数さえ集めりゃいいという意味ではありません。


 数さえ集めりゃの典型が「民主党」だったり「日本維新の会」だったわけですが、結局現在においてはバラバラに分裂するという結果になったのは御存知の通りです。


 一昔前によく聞かれた言葉に「大同小異」という言葉がありました。つまり、だいたいは同じだが細かい点が違うという話で、でもほとんど同じなら協力関係を結べるということで、旧太陽の党と旧日本維新の会が合併したのは記憶に新しいです。(今ではバラバラになりましたが。)


 この「大同小異」ですが、パッと聞いた感じ、些細な違いなら協力関係を結べるじゃないかと思いきや、これが結構難しい作業なんです。(旧太陽の党と旧日本維新の会の合併なんて当初から絶対に分裂するなんて言われてたくらいですし。)


 なぜ、些細な違いしかないのに分裂してしまうのか?


 答えは簡単です。


 違いが些細じゃないからです(^-^)/


 先のみぬさよりかずさんの記事にもあります通り、バックボーンの思想の違い・・・これは、小異なんかではなく大異でございます。このバックボーンの思想が統合されないまま、協力すること」や「まとまること」自体を目的に人々が集まると、最初は些細な違いだと無視していたものもいずれ表面化し、矛盾が発生してしまいます。結果として集団形成を持続することを不可能にしてしまうのです。


 「数さえ集めりゃ」と考える方々はバックボーンの思想の違いに目を瞑りがちな傾向にありますが、ここは決して軽視してはいけないポイントになります。


 それでは思想や価値観の異なる方々と協力関係を結ぶことは不可能なのでしょうか?


 無論そうではありません。


 ここで必要になってくるのが「議論」でございます。


 議論については過去に以下のエントリーで少し触れました。


『大衆社会の処方箋』・その2

http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11769080323.html


 議論とは「ある意見Aとそれに対立する意見Bの間で双方の意見を交えることによって、さらによい意見Cを生み出すもの」という風に説明されておりますが、私たちは今もっている思想・価値観が一番正しいのだとは思っておりません。もしかすると、もっとよい思想・価値観があるのかもしれません。そして、それは自分と異なる思想・価値観を持った方々と議論することによって見つけだすことができるのです。


 これが、みぬさよりかずさんの言う「思想の統合」というものなのだろうと思います。


 ここで間違えてはいけないのが、「どっちの思想・価値観も正しいよね」とやってしまってはいけないということです。これだと、結局バラバラのまんまになっちゃいます。いわゆる相対主義というやつですね。


 相対主義の危険性についてはコチラ↓

『虚無の構造』・虚無について

http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11929732472.html


 あとは、さらによい意見Cを生み出すのでなく、妥協して間をとって双方が納得した気になってしまうのも避けなければなりません。


 簡単に言うと「人類を皆殺しにすべきだ」という意見と「むやみに殺してはいけない」という意見があったとして、「じゃあ、半分殺そう」というところに落ち着くなんてのもダメなパターンです。こういうのは議論とは呼びません。


 あるいは別の例を挙げると水に何かを入れて温めようとしたときに「お湯を入れよう」という意見と「氷を入れよう」という意見があったとして、「じゃあ、お湯も氷も入れよう」なんてのもダメです。


 まぁ、議論を経ずにこんな安直な解決法に逃げると大抵は双方とも納得しないという結果になりそうではありますが。


 そして、最も肝心なのが議論が可能な相手かどうかということです。


 こちらに議論の意思があっても、相手に議論の意思がないあるいは議論する能力がない場合は議論することはできません。


 オルテガのいう大衆が議論のできない人の代表でありますが、大衆とは「真理なる絶対的価値への志向性を欠いており、自分の意見を主張することのみに傾注し、他者の言うことを考慮せず、自分の許容範囲を超えて真理を目指して議論することなく、そもそも他者と議論を行うことを否定する(ルールに従わない)」という存在のようです。


 実社会においてもネット世界においてもこういう方々は多く見かけないでしょうか?


 対処法はただ一つ。


 議論のできない人とは議論しようとしてはいけません。


 たとえ、相手がどんなにムカつくことを言ってきたとしてもです。


 最大の理由は自分(自集団)が大衆化してしまう危険性があるからです。それだけ、大衆(ニヒリスト、世人、新自由主義者)の汚染力は強烈なのです。もちろん、何の生産性もありませんしね。


 なので、相手に議論の意思がない場合にはサッと距離をとらなくてはなりません。(相手の論が有害である場合に批判が必要な場合は、当人に直接ではなく第三者に訴えかけるべきでしょう。そもそも議論ができない人は決して自分の考えを変えようとはしませんので。)


 ここで注意しておかなければならないのが自分の中にも大衆性という要素があるということを自覚しておかなければならない点です。これを自覚していないと、気づかないうちに大衆と化して自分はおろか、自分の属する集団をも滅ぼしてしまいます。


 というわけで、本日のまとめです。


1.経世済民の思想を持つ同志は少数派

2.よって今は仲間を増やすことに注力する必要がある

3.しかし他者・他集団と協力関係を結ぶ際には思想の統合が必要

4.思想の統合のためには議論が必要

5.議論をするには議論をする能力・意思が双方に必要

6.議論とは新たな上位の思想・価値観を生み出すもの

7.議論のできない相手とは議論しようとしてはいけない


 つまり、現段階で思想・価値観が違えど、議論が可能であるもの同士であれば協力関係を結ぶことが可能であるというわけですね。これが「大同」ってわけです。


 では議論が可能でない人がすでに社会の多数派を占めていたら?


 その時はオルテガの言うとおり、その社会は滅びるしか道は残されていません。


 すでに取り返しのつかないところまで至っているのかどうかは、今のところ分かりませんが、大衆性の高い人・集団はすさまじい勢いで感染を拡大させていきます。


 ここで参考になるのが『感染症予防の3原則』です。以下がその3原則でございます。


①感染源の除去

②感染経路の遮断

③抵抗力を高める


 ①にならって殺人を犯すわけにはいかないので、ここでは②と③が重要になります。②は議論による思想の統合を経ない人・集団の取り込みを避けたり議論のできない人との距離を取るなどすることになります。また、③については自分自身も大衆性を持っていることを自覚することだったり、非大衆的な要素を強化したり、また大衆性に汚染されていない方々との接点を強化したりすることでしょうか。


 『大衆社会の処方箋』の中で藤井・羽鳥両先生が言っている通り、大衆化に対するワクチンを打ちつつ、経世済民の思想の勢力拡大を着実に進めていかなければならなさそうですね。


 なんせこのまま大衆化が進行していったらアベショック(消費税増税含む)・TPP・構造改革・移民・大震災・グローバル恐慌・某国の侵略・生活習慣病の蔓延etc.で日本滅亡してしまいますからね。


 仲間を増やしていくにあたって、質も量も大事ではあるのですが、どちらを優先させるべきかと言えば、間違いなく「質」の方になります。さもなくば、経世済民の思想など一瞬で摘み取られて消え去ってしまうということを知っておかなくてはならないでしょう。


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小浜逸郎氏のコラムもかなり参考になります。是非ご一読を!

「正しいこと」の伝え方ー言論は何のためにあるかー

http://asread.info/archives/1285


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リニューアルした進撃の庶民でも引き続き火曜日に『もう一つの進撃の庶民』を連載中です。


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(他の曜日も漫画「アイドル新党なでしこ」の配信などキラーコンテンツ満載です。応援よろしくお願いします。) 


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政治経済初心者必見!!

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くらえもんの気ままに読書まとめ

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くらえもんが至高のギャグマンガ「ドラえもん」を独自の視点でおもしろおかしく解説!興味のある方は下記のエントリーにまとめを作っていますので是非ご覧ください。


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トマ・ピケティ『21世紀の資本論』の邦訳が発売されたようですが、値段が高いうえに読む時間がなさそうなので、今のところはちょっと購入を断念せざるをえない状況です(>_<)

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