右上の方にについてのアンケートを設置してみました。1日1回投票可能ですので、どしどし投票してみて下さい。o((=゜ェ゜=))o 定期的に設問内容を変更しておりますので要チェック!
------------------------
今回は西部邁氏の『虚無の構造』のまとめシリーズの第6回目をお送りしたいと思います。
前回までのまとめはコチラ
『虚無の構造』
虚無についてhttp://ameblo.jp/claemonstar/entry-11929732472.html
気分についてhttp://ameblo.jp/claemonstar/entry-11960544096.html
生活についてhttp://ameblo.jp/claemonstar/entry-11962571929.html
欲望についてhttp://ameblo.jp/claemonstar/entry-11967560491.html
価値についてhttp://ameblo.jp/claemonstar/entry-11967565052.html
それでは、今回は人格についての話です。さっそくいってみましょう(^O^)/。
第5章 人格について―決意への恐怖
Ⅰ.成就しない「自分探し」
人格(パーソナリティ)の語源は「ペルソナ」、つまり「仮面」をかぶることを指すらしいですが、この仮面は集団的な側面、個人的な側面、公共的な側面、私人的な側面をそれぞれいくらか有しています。
思考停止人間(つまり大衆人)はこの4つの性質のバランスが乱れているのが特徴で、公的な場面では集団的に振る舞い、私的な場面では個人的に振る舞います。
(参考)『知性の構造』・平衡、伝統そしてルール
http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11908318654.html
要するに外では世論迎合するくせに陰口を叩くのが大衆人の特徴だと。おーおー、耳が痛いY(>_<)Y
結果として大衆人は無責任(公共の場面では集団のせいで自分のせいじゃないと言う)で、決定不能症(情動に流されるのみで自己による決定ができない)で、自己喪失(自分の本来の居場所を破壊)という状況に陥っているんだと。
大衆人には自己がないため「自分探し」をしたがるのだそうですが、自分探しの旅に出たところで結局はそれを探すための道標を持たないため、結局は成就しないというわけですね。
Ⅱ.責任の消失
さきほど、大衆人は無責任だと述べました。
自分では何も考えず、行われる事柄については世論がすべてを決めるわけであり、自分は責任を取る必要がないというわけですね。たとえ、そこにどんな矛盾が孕んでいたとしてもです。
つまり、何か悪いことがあっても責任を取るべきは社会の方であるという考えなわけです。
しかも、自分では何も考えないので、昨日の世論と今日の世論がまったく違うものであっても、今日の世論に従い続けるのに何の疑いも持ちません。
動機がメチャクチャであっても結果さえよければよいという議論もあるかもしれませんが、社会倫理を破壊するという行為そのものが悪い結果であるといえるので、動機が悪ければやはり結果も悪くなると考えられますが、その動機についても責任を持たないのが大衆人なんですね。
責任は伝統へ思いを馳せることによって得られるわけですが、伝統を一顧だにしなくなることによって、人格が融けてしまうということなんでしょうね。
そして、責任は論理も必要とします。ある価値前提をどのように導き出したのか、これを論理的に考える必要があるのです。
経済成長のためにはグローバル化だ
デフレ脱却するには日銀がお金を刷ればいい
↑これが、代表的な無責任な論理ですね(;^_^A
グローバル化すればなぜ経済成長するのか、日銀がお金を刷ればなぜデフレ脱却するのか、考える責任を放棄して、さもこれが正しいことであるかのようにふれ回るってわけですね。
Ⅲ.決定の不能
大衆人は責任なんか持っていないくせにやたらと「自己責任」を言いまくります。会社がつぶれたのは自己責任、クビになったのは自己責任、負け組になったのは自己責任と言うのです。
ただ、実際には「機会の平等」がもたらされているわけではありません。しかし、そんなことをイメージすらしようとしないのが大衆人というわけです(-"-;A
そして、市場というのはよく失敗するし、経済へとんでもないダメージを与えることもよく知られているのですが、そういった社会秩序についても無関心だったりします。
自己という存在は他者とのつながりによって形成されていることも知らない大衆人は、共同体とのかかわりにおける自己を決定することができません。
自分で何かを決定するには、伝統の想起が必要になってきます。この能力は議論において磨かれていくわけですが、現代社会では言葉というものはお金にとって変わられているのが現状というわけですね。
Ⅳ.「自分探し」の徒労
自分探しの旅などやってもうまくいきません。
自分探しとは実在(真理)探し、つまり「自分とは何であるか」という問いかけをすることによって徐々に見つかっていくものです。
そして、それは伝統という名の平衡棒を手に取り、バランスを取りながら歩んでいくということなのです。
さらに伝統に迫るという決意は自分の中から根源的に起こってくるものであり、その決意が宿命を感じさせ、自分の一生を価値のあるものにしていくというわけなんですね。
いわゆる「自分探し」は、その決意から逃げ回って、見ないフリをしているような行為と言えるのでしょうね。そして、何も考えないままにいつの間にか死ぬというわけですね。
とにかく、ニヒリズムに陥ってしまえば人格についても失ってしまうというわけで、それはちょっと嫌だなと(;^_^A
どうにか、ニヒリズムに抵抗したいものですね。
人格をも融解させてしまうニヒリズム恐るべし、と感じた方はクリックお願いします。
P.S.
リニューアルした進撃の庶民でも引き続き火曜日に『もう一つの進撃の庶民』を連載中です。
http://ameblo.jp/shingekinosyomin/
(他の曜日も漫画「アイドル新党なでしこ」の配信などキラーコンテンツ満載です。応援よろしくお願いします。)
P.P.S.
政治や経済についてよく分からない、もっと知りたいという方は下記のエントリーにまとめを作っていますので是非ご覧ください。
政治経済初心者必見!!
http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11932947967.html
くらえもんが今まで解説した本について知りたいという方は下記のエントリーにまとめを作っていますので是非ご覧ください。
くらえもんの気ままに読書まとめ
http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11944673248.html
くらえもんが至高のギャグマンガ「ドラえもん」を独自の視点でおもしろおかしく解説!興味のある方は下記のエントリーにまとめを作っていますので是非ご覧ください。
くらえもん的ドラえもん解説
http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11984784929.html
定番から最新曲まで、いろんなジャンルの吹奏楽曲をくらえもんが独自の基準でチョイスし、紹介。経験者も未経験者も吹奏楽の魅力を是非味わってみて下さい。
吹奏楽マニアに捧ぐ