現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

凶悪犯を許せるか

2021-07-24 11:46:13 | 社会問題

天皇が代替わりし、令和となって恩赦もあるかとささやかれていたが、

昨日2人の死刑囚が死刑執行された。その記事に対して1380件もの

ツイートがあった。大半が「死刑執行当然」「死刑判決から6カ月以内に

死刑執行すべしと定められているのに、それ以上生かしているのは税金の

無駄遣い」などなど。早々に死刑執行して当然」「もっと残酷な方法で

公開処刑すれば、死刑の恐ろしさで、凶悪犯罪が無くなるのでは」という

意見も。死刑廃止論は見た所、1件しかなかった。

 

高速道路のサービスエリアで、通路に車を止めて煙草を吸っていた男を

注意したところ、走行中執拗に追いまわされ、停車させられて、

あげくトラックに追突され死亡した事件。実に不快。

この男、今回に限らず、度々このような事を繰り返していたとか。

社会の迷惑。抹殺すべしと誰もが思う。

しかし、彼を責めることはできるのだろうか。

親鸞は「できない」という。キリストも「人を責める資格は誰にも無い」と。

となると、被害に遭った人が、迷惑行為を咎めた事も悪かったことになる。

他人の行為を咎めること、叱責することが 必ずしも善ではない。

被害者にはお気の毒だが、咎めたことの結果が命取りになった。

同じことが、北朝鮮にもいえる。金正恩の横暴には全く手をやく。

困ったもんだ。だからといって、彼を殺す理由は日本にあるのだろうか。

アインシュタインも「平和は武力では保たれない。対話でしか解決しない」と。

キリスト教では「サタン(悪魔)も神が必要あって作りたもうモノだから、

それを咎めることはできない」という。

本人が自ら改心するのを待つしかないそうな。仏教でも「本人の中に

必ずある仏性を覚醒するまで待つべし」と説く。

「責めることはできない。北風と太陽、太陽であるべき」とも。

そのことをAさんに話したら「だから宗教はきらいだ」と。

これには言葉がつまった。宗教や倫理では解決できないのか、

 

 

 


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