私は、テレビは観ないんだけど、
たまたま流れている報道番組を見たら、
ちょうど、誰だか知らないけど、
ゲストコメンテーターの、
ある一言が耳に入ったんだよ。
「私は、神仏は、一切信じない人間なので。」
という一言、、。
どこかの大学の教授っぽい感じだったけど、
人を教育する立場の人間が、
よく、こんな恥さらしなことを
テレビで言えるなと、おどろいたよ、、。
神や、仏など、目には見えないけれども、
人間をはるかに超越した、偉大なる存在を
信じる、『信仰心』というものを、
人間から抜いたら、それはもはや、
″ 動物とおなじ ″ だよ。ほんとに、、。
動物には、決してない、
高尚な想い、崇高な意識、、。
このようなものを持ってこそ、
あきらかに、動物とは異なる、高次な存在
『人間。』といえるんだよ。
だから、テレビで、えらそうに、
「神仏は、一切信じない人間なので。」
なんて言える、羞恥心のかけらもない人物を
出すのだけはやめてくれ!
と言いたかったよ、、。
まあ、かわいそうなんだけどな、、。
こういう発言をできる者は、これまでに、
なんの挑戦もしてこなかった、
体験・経験の貧しい人なんだよな、、。
なんの苦労もない、
ぬるま湯につかってるような、
人生を歩んできちゃったんだよな、、。
だって、人生で、つねに何かに挑み、
つねに戦ってきた人間ならば、
「必ず悟る、悟り」があるんだよ。
それは、
『人間、自分だけの力では、
何事も成しえないのだ、、。』
という現実を、真実を徹底的に
思いしらされるんだよ、、。
人生に、挑戦し、戦い、
対決してきた人間であれば、
必ず、人生に打ちのめされ、こう悟る、、。
『自分だけの力では、
何事も成しえないのだ。』、、と。
じつは、これがわかったら、もう、
″ 悟ったと同じ ″ ことなんだよ。
これは、人間として、
『 ″ 悟らねばならない ″ 悟り。』
といえるな、、。
どれだけ少なく見積もっても、
『人間、自分だけの力では、
何事も成しえないのだ、、。』
という悟りは、悟らねばならないだろう。
この悟りから、人間をはるかに超越する
世界や領域や存在を信じる、
『信仰心』というものが芽生えるんだ。
『信仰心』なき者は、動物とかわらない。
これを知らねばならない。
人間として、面目を失うマネだけは、
しないことだ、、。