● ″真の″ スピリチュアルとは。 | たいやき社長、書く。

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この三次元の現実世界においての、

″ 真の ″ スピリチュアルは、あやしくもなく、

不思議でもなく、極めて現実的なものなんだよ。



それは、剣豪、宮本武蔵がおしえてくれる。



『神仏を尊び 神仏に頼らず。』



この現実世界において、必要なスピリチュアル、

スピリチュアリティは、ただ、この一行でいい。



人間は完璧ではないけど、神仏は完璧なんだよ。

だから、自分は永遠に未熟なのだという、

謙虚さ、『謙虚なこころ』さえあれば、

もはや、この現実世界における

スピリチュアルは十分だといえるね。



自分は永遠に不完全で未熟な存在なんだから、

たとえ目にはみえなくとも、完全完璧であり、

全能全知である ″ 神仏を尊ぶ ″ という精神、

スピリチュアリティをもつことだよ。



そして、神仏を尊ぶけれども、人間として!

必要な精神は、″ 神仏に頼らず ″ の精神なんだ。



それは、どういうことかといえば、

自分の身がピンチにおちいったからといって、

自分の都合のいいように、わがままで、

得手勝手な神頼みなどはしないこと!



すべて自助努力、自己責任で受けとめ、

自力で克服してみせる!という胆力をもつこと。



そんな、自分を律する『自律心』があれば、

もはや、人間として申し分ない、、!

そのこころの境地は、悟っていると

いっていいレベルだな。



目にみえない神仏を尊び、

『謙虚なこころ』を持つこと。

そして、神仏を尊びながらも、

自分の身は自分でなんとかする!という、

『自律心』をもつこと。



これこそが、″ 真の ″ スピリチュアルなんだよ。

極めて現実的な、霊性・精神性、すなわち、

スピリチュアリティだよ。

あやしくもない。不思議でもなんでもない。

どこまでも、実際的なものだ。



私は、ふつうの人が聞いたら、

ドン引きするほど、ディープな精神世界、

あやしいスピリチュアルの世界まで

探求したけれども、結論としては、

″ 真の ″ スピリチュアルは、この一行につきる。



『神仏を尊び 神仏に頼らず。』、、だ。



「謙虚」であれ! 「自律心」をもて!



お花畑系スピリチュアルは、もう終わりにしよう。

″ 真の ″ スピリチュアルとは、極めて現実的で、

高尚で、崇高なものなんだ。