この三次元の現実世界においての、
″ 真の ″ スピリチュアルは、あやしくもなく、
不思議でもなく、極めて現実的なものなんだよ。
それは、剣豪、宮本武蔵がおしえてくれる。
『神仏を尊び 神仏に頼らず。』
この現実世界において、必要なスピリチュアル、
スピリチュアリティは、ただ、この一行でいい。
人間は完璧ではないけど、神仏は完璧なんだよ。
だから、自分は永遠に未熟なのだという、
謙虚さ、『謙虚なこころ』さえあれば、
もはや、この現実世界における
スピリチュアルは十分だといえるね。
自分は永遠に不完全で未熟な存在なんだから、
たとえ目にはみえなくとも、完全完璧であり、
全能全知である ″ 神仏を尊ぶ ″ という精神、
スピリチュアリティをもつことだよ。
そして、神仏を尊ぶけれども、人間として!
必要な精神は、″ 神仏に頼らず ″ の精神なんだ。
それは、どういうことかといえば、
自分の身がピンチにおちいったからといって、
自分の都合のいいように、わがままで、
得手勝手な神頼みなどはしないこと!
すべて自助努力、自己責任で受けとめ、
自力で克服してみせる!という胆力をもつこと。
そんな、自分を律する『自律心』があれば、
もはや、人間として申し分ない、、!
そのこころの境地は、悟っていると
いっていいレベルだな。
目にみえない神仏を尊び、
『謙虚なこころ』を持つこと。
そして、神仏を尊びながらも、
自分の身は自分でなんとかする!という、
『自律心』をもつこと。
これこそが、″ 真の ″ スピリチュアルなんだよ。
極めて現実的な、霊性・精神性、すなわち、
スピリチュアリティだよ。
あやしくもない。不思議でもなんでもない。
どこまでも、実際的なものだ。
私は、ふつうの人が聞いたら、
ドン引きするほど、ディープな精神世界、
あやしいスピリチュアルの世界まで
探求したけれども、結論としては、
″ 真の ″ スピリチュアルは、この一行につきる。
『神仏を尊び 神仏に頼らず。』、、だ。
「謙虚」であれ! 「自律心」をもて!
お花畑系スピリチュアルは、もう終わりにしよう。
″ 真の ″ スピリチュアルとは、極めて現実的で、
高尚で、崇高なものなんだ。