BrucknerKlempere  まずは土台をしっかりと
 右上奥の3連ブリッジが突如脱落したのは3月末のことだった。
 あっ、私の口の中の話である。
 帯広で脱落し、釧路で応急処置をしてもらった。道東地方を股に掛けたわけだ。この人工の歯は。


 そして、4月の半ばから当地の歯科医院に通い、これまでの間、下準備というか下治療をしてきた。そしてこのたび、ようやく問題箇所の歯の根の治療が完了、土台となる部分が装着された。
 この土台の上に、今後ブリッジが乗せられる予定だ。

 元の地盤(歯の根)に土台が築かれ、その上にウワモノが建つ。
 まるでがっちりとした建築物のようであり、それはあたかもブルックナーのシンフォニーを想起させる(あなたもしなさい)。


  泣く子もひきつけを起こすような演奏
 ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96)の交響曲第5番変ロ長調WAB.105(1875-76/改訂1878-79)。


 作曲者自身はこの曲を“幻想的”と呼んだそうだが、クレンペラー指揮ニューフィルハーモニア管弦楽団の演奏は幻想的なんて甘いもんじゃない。目の前に巨大な建築物が現れたようで、圧倒される。その存在は威圧的ですらある。

 また、私にとってこの曲には途中で退屈させられる演奏も少なくないが、これはまったくそんなことがない。


 宮下誠は「カラヤンがクラシックを殺した」(光文社新書)のなかで、この演奏について次のように書いている。


 第5番は、作品自体が…(中略)…抽象的なのでクレンペラー向きなのだろう。自信に満ちた音楽が聴ける。フィナーレ幕切れの終わり方はいささか浮き足立っていて、その点ではヴィーン・フィルハーモニーと晩年に入れたライヴ録音の方が良い。いずれもブルックナーの偏執的な反復欲求が、淡々とした楷書体で、あらゆる思い入れも文学的物語性も排除したクレンペラーの解釈によって余すところなく提示されていて、ある意味気持ち悪い音楽になっている。


 気持ち悪い、ときたか……

 まっ、クレンペラーの演奏はどれも大なり小なり気持ち悪いとも言えるわけで、じゃあこの第5がそんなにまで気持ち悪いかと問われれば、私は二日酔いの朝の方がはるかに気持ち悪いと答える。

 譲歩してこれが気持ち悪いとしても、私はその気持ち悪い音楽に気持ち良くなってしまうのである。
 変態ですかね?


 1967年録音。ワーナー(EMI)。
 使用楽譜は1878年稿、ノヴァーク版。

  大きなエビ天を食べてしまったんです。しかも2本
 すでにご報告したように、5日前の火曜日は陸別で親子そばを食べた

 翌水曜日の昼食は食べ過ぎが続いていたため(といってもかつての私のことを思えば、控えている)、セブンイレブンの“おにぎり・いなり弁当”にした。
 なお、そのいなりは、1週間前の日曜日に食べたものより、数段美味しかった。

 でも木曜日は来客と一緒に市内の“久呂無木”というそば屋に行き、当店人気No.1というエビ天おろしそばを食べてしまった(お客さんにそれをお薦めしておきながら、まさか自分はざるそばを頼んだら、いやみったらしいではないか!)。

 10日後に、定期健診(採血&診察)に行く。
 気を引き締めなければ。

 昨日の朝は、前夜の若干の多めの飲酒ならびに寝不足で、やや二日酔い気味だった。
 やっぱり、どう比較しても、こっちの方が気持ち悪いということを確信した。