二十日目(2015/06/14)鏡神社~草津追分 後半(完歩)
この日の行程
鏡神社-9.4km→守山宿-5.5km(14.9km)→草津追分
-前半からの続き
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中山道文化交流館があります。⇒ 10:51:48
Y字路突当り右手前に延享元年建立の道標「左 錦織寺四十五丁 こ乃者満ミち」「右 中山道 并 美濃路」があり、その向に市神を祀る小祠があります。ここが高札場跡です。⇒ 10:53:37
Y字路を左に進みます。右手に東門院があります。最澄が比叡山延暦寺を創建する際、東西南北の鬼門に当たる場所に門を構えたが、ここが東の門です。⇒10:57:43
桓武天皇が、比叡山を守る寺という意味で比叡山東門院守山寺と名号し、ここから地名も守山と名付けたそうです。⇒ 10:58:41
山門の仁王像です。坂上田村麻呂が東夷を鎮めるとき戦勝を祈ったので門出仁王と呼ばれているそうです。⇒ 11:01:04
境内の石造五重塔は国重要文化財です。⇒11:02:42
明治天皇聖蹟碑があります。⇒11:05:14
守山銀座西交差点手前右手に門前茶屋「かたたや」があります。旅籠堅田屋跡です。⇒11:06:26
交差点を過ぎ土橋を渡ります。土橋は、瀬田の唐橋の古材を使って架け替えられた公儀の御普請橋だったそうです。⇒11:08:49
橋を渡って守山本宿から今宿加宿に入ります。右手に樹下神社があります。稲田姫命を祀っています。⇒11:10:32
境内に守山停車場線道道標があります。⇒ 11:12:24
境内には天保二年(1831)に伊勢屋佐七が寄進した常夜燈があります。元は土橋の袂にあったものです。⇒ 11:14:31
超勝寺、本像寺を過ぎ、今宿交差点を横断、専徳寺を過ぎると、左手に今宿の一里塚があります。滋賀県内で現存する唯一の一里塚です。南塚が残っています。滋賀県指定史跡です。日本橋から百二十八里目です。⇒11:24:04 ⇒ 11:25:11
焔魔堂町交差点を過ぎていくと、左手に住蓮房母公墓標石があります。⇒11:30:17
焔魔堂町交差点先左手に徳栄寺があります。永正元年、西誓の開基です。⇒ 11:31:34
すぐ先の十字路右手に十王寺があります。小野篁の開基です。境内に閻魔堂があり、門前に閻魔法王小野篁御作と刻まれた石柱があります。小野篁が作った閻魔像が安置されているそうです。⇒11:32:59
街道を挟んだ向いに諏訪神社があります。境内に領界石「従是南淀藩領」。元は今宿村と閻魔堂村の境にあったものだそうです。⇒ 11:33:59
左手の用水奥に道祖神があります。⇒11:36:21
焔魔堂町と二町町の境の右手に古高俊太郎先生生誕地碑があります。元治元年(1864)新選組に捕縛され、池田屋で密議があることをばらしてしまった人です。⇒ 11:38:48
守山市二町町から栗東市綣に入ります。綣とは糸を丸めるということ、又は丸めたものを指します。⇒ 11:47:10
左手の用水路に沿って進み、大宝公園に入ります。⇒ 11:51:03
左手に芭蕉句碑「へそむらの まだ麦青し 春のくれ」があります。元禄三年(1690)綣村の立場で詠んだ句です。⇒ 11:53:50
先から参道を進むと大宝神社があります。大宝年間の創建で、この地の産土神です。立派ですね。⇒ 11:57:31
街道を挟んだ向かいに時宗大宝山佛眼寺があります。元は天台宗神宮寺です。参道口に綿被り地蔵が祀られています。⇒ 12:01:19
栗東市のマンホール蓋です。⇒12:03:08
栗東駅西口交差点を過ぎ、百々川橋を渡り、桝形の花園交差点で浜街道(県道31号線)を横断、綣を抜けると、左手に小さな八幡宮があります。⇒12:18:02
県道笠川バス停先で草津市に入ります。⇒12:22:57
葉山川橋を渡っていくと、この先の旧道は東海道本線や草津線の敷設で旧道は分断されています。⇒ 12:25:43
県道の左側歩道を草津線高架下まで進み、歩道がなくなったところの左にある低い隧道で東海道本線及び草津線をくぐります。⇒12:27:33
滋賀県・草津市のマンホール蓋です。⇒12:37:44
隧道を抜けて右折し、草津線線路沿いの道を進み、旧渋川村に入り、県道2号線高架をくぐった先に伊砂砂神社があります。本殿は応仁二年の建立で元禄四年に修理されています。国重要文化財で、渋川の産土神です。さすが立派ですね。⇒ 12:39:29
本殿の狛犬はややオモシロ系です。⇒12:41:32
街道面の平積石垣は鎌倉時代のものだそうです。これ平積み?⇒12:43:00
伊佐々川橋を渡ります。この川は伊砂砂神社の参拝者の手水として使われたので御手洗川とも呼ばれたそうです。⇒12:44:08
仏乗寺、行円寺、光明寺を過ぎて進み、きたなかアーケード手前の十字路の中央分離帯花壇前に木製の一里塚跡標識があります。草津の一里塚跡です。日本橋から百二十九里目です。中山道最後の一里塚なのにあまりにも地味です。ドカーンと記念碑くらい立てればいいと思うのですが、そうはいかない事情でもあるんでしょうかね。⇒ 13:01:07
アーケードの中を進み、十字路を左折すると左手に覚善寺があり、門前に明治十九年の道標「右東海道 左中山道」があります。明治にはここが草津追分となりました。⇒ 13:04:06
先に進むと、左手に小汐井水天宮があります。貞観五年の創建です。⇒ 13:06:29
元に戻ってアーケードを進みます。草津川トンネルがあります。トンネルを抜ければすぐ草津追分ですが、江戸時代にこのトンネルがあったわけではありません。このトンネルの右側から川を渡って行ったのです。
そんなわけでトンネル手前を右折し、緩い坂を上ります。右手に地蔵堂があります。⇒13:12:43
先のY字路を左に進み、草津川の土手上に出て橋を渡ったところで工事中立ち入り禁止の標識があり、先に進めません。やむなく手前の石段を下って迂回します。⇒ 13:17:27
迂回して延命地蔵尊のところに出ます。⇒。13:22:32
トンネル脇に復元の高札場があります。ここが草津追分です。⇒ 13:26:04
文化十三年建立の道標兼常夜燈「右東海道いせみち」「左中山道美のぢ」があります。ここで中山道踏破。同時に江戸五街道踏破です。⇒13:26:18
草津追分のマンホール蓋です。⇒ 17:40:30 ⇒ 17:40:52
ここから先は東海道歩きで訪れたところですが、本陣の中に入っていなかったので今回見学しました。⇒ 13:32:16
その後、交流館に入って、中山道踏破証をいただきました。624番です。⇒ 15:52:08
これにて20日間にわたる中山道歩きの記録は終わりです。江戸五街道歩きの記録も終わりです。昨年の4月19日に日光道中を歩き始めて1年2か月での五街道踏破です。この間、週末のかなりの部分を街道歩きに費やしました。とにかく歩き切ることを優先したので、堪能し尽くしたというところまではいきません。また期間を置いて季節を変えて歩くことになりそうです。
- おしまい -
この日のポイントの画像とコメントはこちらをご覧ください。
(こちらのほうが見やすいと思います。)
↓
http://twilog.org/hanagamankaida/date-150614