青面金剛は庚申信仰の主尊として、江戸を中心とした関東地方においては、 天和(1681)~天明(1789)に隆盛を極め、おおくの青面金剛像が建てられましたが、寛政(1789)以降は単に「庚申塔」「庚申」などの文字を彫っただけの庚申塔にシフトしていきました。

(⇒庚申信仰(1)[庚申塔の時代区分]

 

江戸五街道や旧山陽道を歩いた時も、東京近郊においては青面金剛像が多く見られるものの、関東から離れれば離れるほど青面金剛の数は少なくなっていき、白河までの旧奥州道中を歩いたときには、ほとんどお目にかかることはありませんでした。(⇒旧奥州道中を振り返る(3)「石塔、石仏など」

 

今回、白河以北の奥州街道を歩いてお目にかかったのは、二十三夜塔などといっしょにたてられた文字塔の庚申塔がほとんどであり、月待講と庚申信仰が混交した姿だったのですが、いくつかの青面金剛にお目にかかることができました。次のとおりです。

 

 

 

仙台道一日目 2016年08月27日(土)

 

根田宿を出て川を渡って左折。右手防火水槽の向こうに、享保13年の庚申塔。二鶏がやたら目立っています。

 

 

中畑新田宿の、もともとの幸福寺に直立不動の青面金剛

 

 

盛岡道一日目 2016年09月19日(月)

 

吉岡宿の龍泉院境内左手秋葉大権現御堂の横に大きな石仏がずらりと並んでいます。先頭に享保十七年(1732)の見事な庚申塔があります。上に日月、下に三猿。

 

 

松前道二日目 2016年10月10日(月)

 

中山一里塚の先、旧中山集落南の入口左手に「青面金剛像塔」があります。安永四年だそうです。

 

 

 

松前道四日目 2016年10月29日(土)

 

上平の集落からここが地蔵坂を上った左手やや高台に宝暦年間の庚申塔と安政四年(1857)の廿三夜塔があります。庚申塔は、三猿と六臂の青面金剛青面金剛の北限はまだまだ先のようですね。

 

 

七戸−野辺地  2016年11月12日(土)

 

野辺地の下町集会所に鳥居があり、その 鳥居の右手に明和五年(1768)の青面金剛と不動明王があります。ショケラをむんずと掴んだフルセット版です。この青面金剛が、今まで私が街道歩きで見た中で最も北に位置しています。

 

その他の庚申塔関係の記事は ⇒  庚申塔あれこれ<記事一覧>

 

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