ジョジョの忠義な哲学 第2部 4 | 進撃の庶民 ~反新自由主義・反グローバリズム
『超大作コラムッッッ!!!!!』として大人気のバケツリレー様の寄稿です!どうぞ、お楽しみください。

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(原作:ジョサイア・ロイス忠義の哲学』 Josiah Royce / Philosophy of Loyality 1908)


(以下、上記『忠義の哲学』の翻案です。)


 


前回までの『ジョジョの忠義な哲学』!!


(第一部第1回はこちら


 


「どう生きるかは自分で決めるッッ」と言う個人主義者たち。


 


だが自身の幸福や快楽だけを求める生き方は、運頼みの不確実なものとなる。


 


世間に求められる生き方ならどうか?


だがそれも「思考停止の服従」と「支離滅裂な反抗」のループにハマるばかりッッ


 


(今回はここから↓)


 


「だったらオレの理想はカネと権力だぜ。運命の支配者になってやるッッ」

というヤツもいるよな。



ディエゴ・ブランドーは言った。

オレが欲しいのは最終的に…そうだな

『金』だ………


オレはいずれ政治家としての地位が欲しい

(※1)


「わしは…ウィルソン・フィリップス上院議員だぞーッ」(※2)


靴が見当たらないなら、カネを燃やせば明るくなるわいッッ



イラスト:森子(お問い合わせはpixivへ




権力の典型と言えば、政治家、企業家といったところだろう。

欲しいものを手に入れ、やりたいことを実現する。


逆らうことは許さない

要は、自分の勢力範囲において、思うままに状況を支配できる者だ。

芸術家や漫画家、スポーツ競技者も権力者になり得る。

もちろん、売れないみじめなヤツは例外だが。



さて、そういう権力を追求していて、個人の最高善に到達できるのか?



当然! ムリだッッ!!

歴史や文学はもとより、『ジョジョの奇妙な冒険』のディオ・ブランドーディアボロの物語を読めばよくわかるが…



理由は三つ。



第一に、権力を獲得できるかどうかは運次第だからだ。

権力だけを熱望し、それを中心にして生きるのはまるでギャンブルだ。



「権力ゲームに参加するというなら…例の言葉を聞かせてもらおうか」

「いいだろう。オレの『道徳的自立』を賭けるぜ

グッド!



ところが、

人間は策を弄すれば弄するほど

予期せぬ事態で策が崩れ去る
」(※3)



しかも、運よく望みの権力を手にしたところで結局、老いと死には勝てない。

権力は手からこぼれ落ちる


 


絶頂であり続ける」(※4)ことはできないッ

偶然まかせの幸福追求よりは見込みがあるかもしれんがね。



第二に、権力欲は決して満たされない

「オレはとにかく権力が欲しいんだ。

夢を叶える手段として欲しいんじゃあないぜ。

オレにとって最高のものだから欲しいんだ



こう言うヤツは権力への欲望にとり憑かれている

その欲望はッ 食えば食うほど大きくなるんだ。


 


権力を求める限り、ぜったいに離れんッ

もっともっと欲しくなる。


手に入れた権力にしがみつく。




そいつの「道徳的自立」などブヂュルブヂュルつぶして、賭場の下水溝に引きずり込み、ドブに混ぜちまう

「こんなに思うがままなんて、オレってラッキーだよなぁぁッ!」

幸運は続くよ、どこまでも。


調子づいてかっ飛ばす。

ところが、



やれやれ

自分のことというのは

自分ではなかなか見えにくい……


(※5)



気づいた時には運の尽き

「真にラッキーだったのは今までだった」と知った時には、抜き差しならない状況にはまって破滅するのさ。



第三に、権力とは闘争の増大だ。

権力をめぐって争う。敵を倒して権力を得る。

すると…

強い敵が出てくる。その次にそれよりも強い敵が出てくる。その次はそれよりも強い。…となると最後はいったいどうなっちゃうわけですか? 宇宙のハテを考えてるみたいになる。

(※6)



まさにそのとおり!

ただ個人的権力を求める者は、全宇宙の抗いようもない力と戦うハメになってしまう。

そいつの権力が大きくなればなるほどッッ!

敵と接する場が増え、より多方面からの反発を受けることになる。


権力ゲームを続ける限り、戦いは終わらないわけだ


 


営利企業でも同じこと。


資本が膨れ上がり、市場を広げるほど、敵となる者は無数に増える。


やがて国家・諸国民すら相手にして闘争を繰り広げざるを得ない。

こういうヤツらはうまくやり抜くつもりだろうが、結局自分から破滅を求めているのさ。



というわけで、権力を志向する者、権力のみを志向する者は克服不可能な運命と闘い続ける


だが……


われわれはみんな

『運命の奴隷』なんだよ


(※7)



忠義だからって運命から逃れられるわけじゃあない

そういう反論があるよな。

それはその通りさ。

忠義の人もまた、運命に立ち向かう。

あくなき情熱でもって「義」のために行動する。

達成困難な大業に向き合い、運命との闘いを繰り広げる。



…だがそこに絶望はないッ!



「覚悟」は「絶望」を吹き飛ばすからだッ!」(※8)



「覚悟」とは!! 暗闇の荒野に!!

進むべき道を切り開く事だッ!
」(※9)



忠義の人には「義」のために命をかける覚悟がある。

個人的幸運など求めはしない。



忠義にとっては、「義」のための行動こそ人生。

飽くなき探求は喜び、遠き歩みは幸福なのだ。



「覚悟した者」は「幸福」であるッ!」(※10)



承太郎たちと共に宿敵
DIOを倒したポルナレフは言った。

つらいことがたくさんあったが…

でも楽しかったよ

みんながいたから

この旅は楽しかった
」(※11)



 


対して、権力欲はあくまで「自分」にこだわる


欲するものを手に入れるため、運命との絶望的なゲームに勝利しようとする。


不安と焦燥につきまとわれる



だが覚悟ある忠義の人は、どれほどの苦難に見舞われようとかまわない。

「義」への道を歩むのみッッ!




「覚悟」は…

この登りゆく朝日よりも明るい輝きで

『道』を照らしている

そして我々がこれから『向かうべき…正しい道』をもッ!


(※12)



なぜならどれほど苦労し、放浪しようとも、忠義の人はその「義」を尊いものと見定めているからさ



「義」とはッッ!

1 自分自身の「外」にあって、自分自身よりも価値がある

2 単なる個人意思を超越している

3 人を他者と結びつける

この3つを満たすもの。




「義」のために尽くすことは誉れ、そしてこの名誉は誰にも奪うことができない、彼ら自身のものなのだッ!



『ジョジョの奇妙な冒険』第3部、世界支配を目指した魔人DIO、そしてその部下ンドゥールを見比べるといい。



このおれの価値をこの世で初めて認めてくれた」

「悪には悪の救世主が必要なんだよ
」(※13)

とDIOに忠義を捧げたンドゥール。



彼は承太郎との闘いに敗れ、堂々たる自決を遂げる。

満足げな微笑みを浮かべて……



一方その後、DIOもまた承太郎に敗れるわけだが、その最期のセリフはこうだ。



「(このDIOに)あるのはシンプルな

たったひとつの思想だけだ…たったひとつ!

『勝利して支配する』!

それだけよ…それだけが満足感よ!




過程や……!

方法なぞ………!

どうでもよいのだァ―――ッ




(中略)



うぐおおおああああ?!

なああにィィイイイッ!




ば…ばかなッ!

………

こ…

このDIOが………

このDIOがァァァァァァ~~~~~~ッ
」(※14)



ンドゥールは自らの意思を果たし、永遠の眠りについた

DIOは自らの欲望を果たせず、すべてを失った

ンドゥールはDIOよりも幸福だったと思えるんだが、どうかな?



ま、こういう権力欲の話は、古代からおなじみの物語さ。

形を変えながら時代を超えて繰り返される真実だ。



もっとも、こういう権力欲にとりつかれたヤツはそう多くない。

それどころか、大抵の人はこう言いたくなるんじゃあないかな?


 


エンディングテーマ AC/DC - Thunderstruck




 


「権力が手に入りさえすればいいなんて、オレは思わない。

魂までは売らねえッッ

どう生きるべきか、何が正しいのかをオレは自分で決めたいんだ!!」


 


そういうことなら、僕も大賛成だ。


次回、いっしょに考えてみようじゃあないか。


 


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※1:『ジョジョの奇妙な冒険 スティール・ボール・ラン』第10巻


※2:『ジョジョの奇妙な冒険』第27巻


※3:『ジョジョの奇妙な冒険』第2巻


※4・7:『ジョジョの奇妙な冒険』第63巻


※5:『ジョジョの奇妙な冒険』第15巻


※6:『ジョジョの奇妙な冒険』第46巻 カバー袖前書き


※8・10:『ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン第17巻』


※9・12:『ジョジョの奇妙な冒険』第55巻


※11・14:『ジョジョの奇妙な冒険』第28巻


※13:『ジョジョの奇妙な冒険』第20巻



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