Back to the 2014.4.19 | 進撃の庶民 ~反新自由主義・反グローバリズム

本日は、稿の谷間になりましたので、Back to the 2014.4.19をお送りします。

 

Backして取り上げますのはもっとも効率的な財政政策とは?というタイトルで記載したsecretary-of-japan氏の稿です。



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「効率的な財政政策は、すなわち「道」と「人」です。」

まず、本日は「道」から説明してまります。
古代より、政治というものの発展は、道の需要とともに広がってきました。以前に農業土木こそが政治の原点だという主旨の話をしましたが、政治の広がりは道の広がりとともに広がっています。ここでいう政治の広がりとは政治システムの拡大や役割の拡大も意味しますし、純粋に政治領域、つまりは領土の拡大も意味します。

古代中国の「秦」が中国の大部分を統一したことも、モンゴルが巨大な帝国になったことも、その背景には「道」があったと言えます。古代中国では「道」に軌とよばれる窪みがあったそうで、この軌が各国ごとに幅がバラバラで、荷物の車両が国を超えて動くときに大変に不便であったと言われています。このことから、中国全体の道の整備をして欲しいという需要がでてきて、一つの国が中国全体を統治する必要が生じ、秦が中国の大部分を統治することになりました。

元のチンギスハーンも、また、中国とヨーロッパを結ぶ陸路と言う需要から生まれた巨大帝国であったと言われています。宋の時代には、中国は絹や陶磁器の輸出などでとても栄えましたが、主に港のある海岸沿いで発展しました。これは、ヨーロッパとの交易を海路でのみ実施しており、途中で嵐に出会い沈没するリスクと常に対峙しての航海でしたから、陸路での交易手段の確保が求めら、商人たちからの協力で大帝国が成立したと言われています。

この政治の役割を拡大してきた「道」を、最近の日本では軽視される傾向にありました。当たり前の話ですが、道は、街を作り、産業を作ります。しかし、道路の維持管理費が嵩むことで、道路建設を忌避する風潮が生まれました。道路の維持管理には、確かにそれ相応のお金が掛かります。

日本の道路総延長は120万kmあり、1kmを維持するのに100万円とか、そういった金額が掛かってきます。これは、交通量により全く異なります。片側2車線の国道1号のような通行量の多い路線なら500万円とか、それくらいの金額になりますし、旧里道とよばれる軽トラックしか通れない道には10万円も掛かりません。トータルとしては、1兆5000億円から2兆円という金額が年間の維持費として必要となっています。

そういったコストでの問題があって、これ以上道路を作り財政を悪化させてはいけないと、民主党などは思っていたわけですし、現在の政権にもそう思っている節がある人がいらっしゃる訳です。

しかし、そもそも日本のGDPのほぼ全部が道路がなければ生み出せないということを理解しているのであれば、2兆円でも高いとは思わないでしょう。支出を抑えたい財務省が上手く説明されているのか、道路を目の敵のようにししている議員もおられ、こういう政治家を代表として送り込む有権者にも考えて貰う必要が有ることでしょう。

日本は無駄な道路を作りすぎだと思っている人が大勢いますが、制限速度が時速60km以上の道路はわずかに2万kmで、人口1万人当たりでは1.6kmです。アメリカでは、約10倍です。国土が日本と変わらず狭いイギリスでも6.6kmもあります。如何に日本の交通インフラは、世界の先進国から相当に遅れをとってしまっているのか、現状のまま道路の新設を忌避するような考えの人が政権内部にいたなら、それは日本の危機です。

このように道路の新設が減り、世界的に遅れをとってしまった原因の一つには、現在の道路工事はベネフィットバイコストと呼ばれるB/Cという指標があります。この指標では、建設費と50年間の維持経費を、コストとし、それに対する便益(ベネフィット)はいくらなのかという計算を行っているものですが、この指標では、日本だけはベネフィットを過小評価しているのです。

無論ベネフィットがコストを上回る工事をすることは私も賛成しませんが、正しいベネフィット計算をしているかということは重要な事です。民主党政権下やそのはるか前の小泉政権で、ベネフィット計算はより厳しく扱われる方針が政治主導で決められ、便益を下げられ、B/Cの値を低下させることで、建設費を抑えこむことに利用されてきました。

日本では、道路の便益(ベネフィット)計算で、走行時間の短縮、走行費用の短縮、交通事故の減少の3点のみが便益として扱われます。イギリスやドイツでは、Co2の削減や、環境負荷の削減、そして、間接的な効果としての雇用の創出までもベネフィット計算に含めますし、フランスでは道路により発展する街の税収増加分もベネフィットとして計算します。

郊外型のショッピングセンターなどを誘致したり、工場をつくるための道の整備、観光地振興のための道の整備などはベネフィット上、ほとんど計算されず、通る車がどれだけ早く到着できるようになるかという観点でしか計算しないのです。無論、この道の完成でどれだけ災害対策に役に立つのかという観点もありません。


道の整備は、街を作り産業を育てるものであるという「道」と政治の歴史を学び直せば、「道」にコストを掛けていないことで、どれだけの日本の損失になっているのか、これを真剣に考える必要があります。時速30キロとかでしか走れないような狭くてがけ崩れなどに極めて脆弱な山道を再整備し、国土を強靭化することや、産業と街を作り上げるために新しく外環道などをつくるといったことが、日本の景気対策にどれほど役に立つのかということを考えていただきたいのです。

「道」は堤防などや公共施設の耐震化などの強靭化施策に比べ、より副次的な、様々な経済波及効果を持ちます。本当に誰も通らないような道を整備しろとは思いませんが、普通に使う人が便利になり、その地区が発展していくためのツールとしてもっと活用されるべきだと思うのです。

 


 

紹介しましたところが前段で、この後、中段で「高層化の規制強化と安全強化に取り組む必要があるのです。高層建築物の安全性を高めたとしても、人口密度の高いエリアから人を避難させることは非常に難しく、いざという時に必要な輸送力を確保することが難しくなります。これは東日本大震災でも十分に学んでいるはずです。」旨を記載し、『道の整備は、街を作り産業を育て、そして国土を強靭化するのです。』と強調します。

 

最後の後段で人材育成の話を出していますが、詳しくはコチラをご覧ください。

(リンク先は、後段の、もう一日後の稿ですが。)

 

第二次安倍政権で、私が最も不足していると感じるのは、まさに管子の

 

「一年之計。莫如樹穀。十年之計。莫如樹木。終身之計。莫如樹人。一樹一穫者穀也。一樹十穫者木也。一樹百穫者人也。我苟種之。如神用之。舉事如神。唯王之門。」

 

というスタイルであり、自らの地位に固執し、次の総理候補を育てることを拒否する姿勢は、王之門(名宰相)からは程遠いのでしょうね。


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