強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている意味がない。 | 進撃の庶民 ~反新自由主義・反グローバリズム

金曜日は、secretary-of-japan氏のコラムです。本日は「 強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている意味がない。 」という稿をいただいております!!!

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以前、私のブログの中で、フィリップ・マーロウの言葉、「強くなければ生きてはいけない。優しくなければ生きている意味がない」という言葉を紹介したことがありました。この言葉は、ある種の、私の人生のテーマでもあるのですが、日本人が忘れてしまったものの最たるものが、この価値観だと思っております。

 

TPPをアメリカ抜きで発足させるなどというニュースが流れてきていますし、日欧EPAなどの話も出てきております。これらは、表面的な話としては、日本と経済連携協定を結び互いの国際競争力を強化しようという話です。無論、実際にはこれらの経済連携協定が日本の国際競争力の強化につながらず、むしろ、日本が世界に埋没するだけではないかと私は思うのですが、この種の連携協定に賛成する人の9割は、国際競争力の強化を図ることができると信じているのだろうと思います。

 

仮に、100歩譲りまして、TPPやその他の経済連携協定が日本の競争力の強化につながったとしましょう。強くなければ生きていけないのだから仕方がないという考え方があるのは理解はできます。しかし、同時に日本が世界において存在する意味とは何だろうかということを考えなければ、日本が強くある意味もなくなるでしょう。

 

少し、話をミクロに移していきます。

 

企業とは、当然ですが、利益を出さなければ生き残っていくことはできない存在です。利益を得るための強さがなければ生きていけないわけですが、同時に、利益だけ出していれば企業はそれで良いのかというと、これもまた少し異なります。無論、株式会社とは、法律的に言えば、利益を出して、その利益を株主に分配するためだけの存在ですが、会社が強くて利益をあげるという存在だけで、それだけで本当に存在する意味があるのでしょうか。

 

今では利益至上主義に走り、破たん寸前になってしまっている東芝ですが、40年ほど前の東芝の社長は、東芝の社会的役割について、自社の20万人もいる社員たちの生活を守ることと述べていました。当時は、経団連の政治的活動が流行り始めたころで、多くの企業の経営者が経団連などで政治にクレームをつけるのが企業の社会的責任だと勘違いするような人たちが多くいた頃の話です。

 

企業は利益を出さなければ存続していけませんが、企業が社会的役割を果たせなければ存続する意味もないのです。東芝が、社員の生活の安定を企業の存在意義だと考えていた時代に、社員の生活の安定を失わせかねない短期的利益を追い求め不正にまで手を染めることがあるとは到底思えないのです。

 

最近、明治維新の評価について色々と話題になっているのを目にします。

 

明治維新が何が凄いのかと言いますと、250年も続いた体制が、実に見事に次の体制へと引き継がれ、新しい政治体制が作り上げられたという点でしょう。(この250年という期間は、明治維新後、現在までに150年も経過していないということを考え合わせると、途方もなく長い期間であると言えるかと思います。)そして、この功績は明治維新で新政府樹立のために活躍したとされる志士たちだけが誇れるものでもないように思います。

 

無論、江戸時代という150年以上も前に政権を維持するのは、武力という強さも必要だったことでしょう。しかし、同時に、幕府が存在するのは民衆の安定した生活を守るためであるという存在意義を幕府に属する者たちが認識していたからこそ、250年もの期間、政権を維持することができ、また、速やかに次の政権に引き継ぐことができたのでしょう。

 

明治維新が成立したのは、当時の日本国民の質が高く、幕府を維持し、自分の地位を守るという私利よりも、民衆の安定した生活を守るという大義を優先することのできた人が多くいたためですし、維新で新政府側で活躍したものもも、同志たちが殺された恨みを晴らすという私欲よりも、、民衆の安定した生活を守るという大義を優先したからと言えます。

 

現在の日本で、維新が成立しただろうかと考えると、私は絶望的に思います。

安倍政権を擁護するためには嘘も平然とつく。開き直りもする。報復も容赦なく行うという状況を見て、維新の頃の日本人の質が守られていると思える人がいるのでしょうか?

 

(安倍政権のマスコミに対する報復として「放送コンテンツの製作・流通の促進等に関する検討委員会」を活用しようとしているという情報も流れていますね。)

 

日本人が、強くなければ生きてはいけない。強くあることだけが、国益だと単純に信じてしまい、強い日本を残すことだけを目的として生きているとしたなら、今、必要なことは、日本の存在価値とはなんなのか、どんな日本を残すことが価値のある生き方なのかを考えることなのです。

 

自己責任という認識で弱者は切り捨て、使える人を次々に流入させる国民、短期的な利益だけを追い求める企業、目に見える形での国際競争力だけを追い求める政府、こんな国に存在する意味があるのかということを、私は議論して欲しく思うのです。


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