日常文化の政治的効用-出来ることからやっていく-【ヤンの字雷】 | 進撃の庶民 ~反新自由主義・反グローバリズム

本日はヤン様の寄稿コラムの日です!

 

今回も色々と考えさせられる秀逸なコラムです。

 

~文化の継承~

 

人口減少はこれを困難にさせています。徳島に住む親族が、「やる人が減ったから、来年からこの地域での阿波踊りが無くなる」と言ってました。

 

人口減少ですらもグローバリストによる長期戦略だったのかも知れません。

 

 

それではヤン様コラムをどうぞ!

 

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『日常文化の政治的効用-出来ることからやっていく-【ヤンの地雷】』

 

文化は偉大なり

 文化というものはかなり偉大なものでして、色々なエッセンスが詰め込まれているものだと思います。一口に文化といいましても、日本でいえばアニメ、漫画なども文化でしょうし、また伝統芸能や由緒ある史跡や建物、もしくは京都の舞妓さん、もしくは将棋や囲碁、他にも和食、家庭料理、地方料理と様々なものがあります。

 これらを総称して「日本文化」というわけですが、まあどこの国にもその国の文化というものが存在します。

 私は日本人で、日本文化が好きで、詳しいから日本文化を主題として話しますが、他国の文化も大変に興味深く、尊重するに値するものなのだと思います。

 

 文化には色々なエッセンスが入っているといいましたが、それは例えば先人の知恵であったり、過去とのつながりであったり、または日本というものを再確認させてくれるのだと思います。

 海外に行った日本人が、ホームシックにかかった時に食べたいと思うものの第1位は、味噌汁なんだそうですよ。

 つまりは文化とはまさにその国の人達のアイディンティティでもあるわけです。

失われつつある日本人のアイディンティティ

 どうも政経論関連の記事やらブログ、ニュースなどをあさっておりますと、日本人は日本人たるアイディンティティを失いかけてるんじゃないか?と思ってしまいます。

 

 「またネトウヨ批判か!」といわずにまあ聞いてください(笑)

 例えば自称保守やらネトウヨは「戦前の日本」に憧憬を抱き、そして戦前回帰を志向しているようにみえるので、では文化的にも生活様式的にもそうなのか?といいますと、全くそんなことはありません。

 彼らの回帰したい戦前とは「勇ましかった頃の日本(というフィクション)」であり、決してまだ江戸時代の純粋日本文化の残り香が香る日本ではないように思えます。

※まあそもそも文化的に回帰したいのだったら、江戸時代回帰したらいい話で(笑)

※その証拠に靖国神社の8月15日の参拝には、軍服コスプレが色々いるようですね。アニメのコスプレと本質的には変わらなくて、やはりフィクションだなぁ・・・と。

 

 もともと左翼というのは伝統や文化などという「進歩的でないもの」に否定的ですので、好きになれないのですが、どうしたわけか日本のネトウヨや自称保守までもがここ20年間は特に改革主義であります。

 例えばあの文化破壊主義の橋下徹率いる大阪維新を、日本の自称保守たちは熱烈に支持したのですから(!!)

 

 これは思想的な変遷、大衆娯楽的な改革ショー、グローバリズムによる合理的経済人の大量生産などいろいろな要素が考えられるのですが、私は素朴に「こいつら文化を知らんのちゃう?」と疑問を抱くわけです。

 もしくは知っていても受け止めるだけの感受性の欠如、という話なのかもしれませんが。

アイディンティティを繋ぎ止めよう

 日本文化てーのは本当に多種多様、手軽にできる将棋やら囲碁から料理、神社への参拝、お祭りへの参加などなど、いくらでも日常にまだまだ溢れているわけです。

 欧州やらアメリカではどうも最近、イスラム移民・難民に”配慮”してクリスマスを政治的に祝えないんですって(!!)

 キリスト教国家が「世俗主義」とかいって、そんなことをやり始めたら終わりの始まりですわな。

 

 日本でいえばお祭りというのは神道のイベントでございますから、中国人や韓国人移民が入ってきて、それに配慮して祭りをやめるようなものです。

 もしそんなことが起こったら、私は1人で祭りを決行しちゃる。お祭りテロですよ(笑)くさや祭りでもやったろか(笑)

 

 日本はまだ未だに大衆的希求の政治ショーなのか、それともレントシーカー達による政治乗っ取りなのか知りませんが、改革主義とグローバリズムから舵を切ろうとしません。まさにグローバリズムに一億総玉砕の様相でございます。

 そして結果として数多くの日本文化も破壊の嵐にさらされるでしょう。

 

 しかし文化とは連綿と続いてきた日本の歴史との靭帯であり、日本人を日本人と定義するのは日本文化が存在し、受け継がれているかどうか?なのだと私は思うのですね。

 とするならば、我々日本人には日常でのグローバリズムに対する微細な抵抗が可能です。文化を受け継ぐこと、経験してみること、参加すること、日常にすることこそが「グローバリズムという怪物」に立ち向かう手段なのではないか?と思うのです。

 

 つまりはまあ、岩盤規制ならぬ「岩盤日本人」に一人ひとりがなってしまえと(笑)

 文化は人生を豊かにすると同時に、また楽しめると同時に、グローバリズムへの抵抗にもなるという効用があるのではないか?と思います。

P.S

 藤井聡氏と佐藤健志氏の「対論『炎上』日本のメカニズム」によると、文化的に豊かな生活であれば炎上などという「くだらないこと」はあまり起こらないのだそうです。

 逆説的にこれだけ炎上の起こる日本というのは、文化的豊かさが相当に失われているというわけでしょう。

 

 長時間労働、低賃金、過当競争などの生活面での厳しい要素ももちろんながらあるでしょうし、または都市設計がそのようになっていない、というような問題もあるようです。

 ただ悪い循環に入っていて、ルサンチマンと不満がたまるような環境→炎上指向になる→政治も大衆に希求されてそうなる→さらにルサンチマンと不満が(無限ループ)という話なのですね。

 こうなると改革主義的な政治ショー、既得権益なる日本人の権益をぶっ叩く既得権益の打破、そういった破壊的運動が続くことになります。

 つまりはグローバリズムですね。

 

 そしてこれに微細にでも抵抗するには、もちろんながら「グローバリズムの害悪を世論に広める」というのも大事なのですが、やはり文化を守り、または楽しむ精神性だと思うのです。

 その精神性を捨て去るということは、自信が何者なのか?というアイディンティティを捨て去ることなのではなかろうか?と思ったりします。

 

 私は最近、朝に散歩する習慣を心がけているのですが、散歩コースにはいくつかの神社があり、まだ日差しが強くない涼しい朝のなかで、神社のひんやりとした雰囲気を味わいながら、参拝をほとんど毎日しております。

 お陰でもう神様にする頼み事が思いつきません(笑)

※本来は参拝とは、手を合わせて「こうしまっせ~、がんばりまっせ~」と心を新たにすることなんだそうで?

 

 もしくは簡単でお安く快適!ということでしたら、部屋着を甚平にするなんてどうでしょうね?通販で3000円~4000円ほどで上下一着買えますし、なにより楽で涼しい。あとオッサンほど似合うというのもポイントが高いところです(笑)

 甚平を着て晩酌で日本酒やビールなんて、なかなか乙なものではないですか。

 

 皆様も自分が楽しめる日本文化を見つけてみてはいかがでしょう?きっと人生の彩りを添えてくれることと思います。

 

 

(了)

 

 

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