お客様的民主主義に陥った日本?【ヤンの地雷】 | 進撃の庶民 ~反新自由主義・反グローバリズム

本日はヤン様の寄稿コラムの日です!

 

今回のヤン様の寄稿コラムは、私としても非常に興味深い内容です。

 

なぜならば、「国民が投票に行く」ことの是非について、ヤン様と石川様の考えが対極的にあるように感じられるからです。

 

私は愚民と言われようとも、「民主制の日本国民は選挙に行くべき」という考え方ですので、ヤン様の考えに近いと思います。

 

今後、これが意味のある論争になるといいですね。

 

それではヤン様コラムをどうぞ!

 

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『お客様的民主主義に陥った日本?【ヤンの地雷】』

 

 

まずは統計をまとめたニュースを見てみよう

衆議院選挙の結果を受けて 扇動政治と政治家の矜持について(ニコニコニュース)

Q. 政治家は正しいことをしていると信頼しているか?

  • アメリカ-23.5%
  • イギリス-25.5%
  • ドイツ -16.5%
  • フランス-22.8%
  • カナダ -30.3%
  • 日本  -7.5%

Q. どのようにすれば国の政策に国民の考えや意見がよりよく反映されるようになるか?

  • 政治家が国民の声をよく聞く - 24.9%
  • 国民が国の政策に関心を持つ - 24.2%
  • 国民が選挙のときに自覚して投票する - 15.4%
  • 政府が世論をよく聞く - 14.9%
  • 国民が参加できる場をひろげる - 13.0%
  • マスコミが国民の意見をよく伝える - 5.1%

 記事の内容は少々長いのですが、なかなか面白い記事でございまして、この記事によりますと日本人の9割は政治家を信頼しておらず、つまりは政治不信に陥っているので希望の党の顛末でもこれ以上政治への信頼の低下がなかったのではないか?ですとか、もしくは国民は「政治家はもっと国民の声を聞け」といいつつ、政治への参加へは消極的であるといった事実が統計データで示されております。

サイレントクレーマーの国、日本

 よく海外のホテルの話で「日本人はクレームをいわないが、気に入らないとなると来なくなる妖精のようだ」などといわれるそうです。私も伝聞ですのでこれが本当かどうか?はよくわかりませんが、2ちゃんねるの記事でうろ覚えにそのように載っていたと記憶しております。

 これに対して当時の、おそらく2008年以前の2ちゃんねるの反応は「日本人すげー」的な感じでございましたが、このような習性を政治にまでしているとすると途端に「日本人って・・・」となってしまうことは請け合いでしょう。

 民主制国家とは国民一人ひとりが政治に参加をする、というのが一応のタテマエなのですから。先程の記事から引用しましょう。

面白いと思うのは、「政治家が国民の声をよく聞く」ことが一番重要だと考えているにも関わらず、「選挙のときに自覚して投票する」や「国民が参加できる場を広げる」の割合が低くなっています。つまり、政治家は努力して自分たちの意見に耳を傾けろと言っているのですが、自らが政治に参加したり興味を持ったりすることには前向きではないのです。一体全体どうしたらよいのでしょうか。

 一般的に日本のサービス産業は過剰サービスだとよくいわれます。コンビニひとつとっても「ポイントカードはお持ちでしょうか」「温めますか?」「お箸は何膳おつけしましょうか」と至れり尽くせり。過当競争もここに極まれりという感じで、本当はもうちょっとぬるいサービスでもいいんじゃね?と私なんかは個人的には思いますが、サービス産業は厳しいのでしょうね。

 でもサービス産業を利用する立場はあくまでお客としてですから、「モットーサビスを良くしろ」「以心伝心でこっちの求めるものを汲み取れ」というのも悪い話ではないでしょう。良い話でもないような気がしますが(笑)

 サービスや味が悪けりゃ二度といかない、というのももちろんありでしょう。

 

 しかしですね、民主制というのは政治に対して国民は当事者でありお客じゃありません。国会議員や市会議員などの「代議士」はあくまで、投票した国民の声を代弁するだけの存在にしか過ぎないわけです。タテマエ上は。とするならば、国民は当事者なんだから政治に参加しなけりゃならない、とするならば政治的な意見のひとつやふたつ、持っていなけりゃ始まらない。

 ところが我が国では「政治家は国民の声に耳を傾けろ!」といいつつ、「国民の声は暗黙の了解的に汲み取れ」ともいっているのです。これって政治に対しても国民がお客様根性丸出しの、非常に恥ずかしい状態になっているということじゃありませんかね?

なぜこのような状態になったのか?

 なぜこのような状態になったのか?というのを例えば「お上のいうことだから」という精神性や、もしくは「島国で和をもって尊しとなす国民性だから」という話で片付けるのは簡単でしょう。いかにもそれっぽい理由ですし、ああ、それならしょうがないなと納得もできてしまいそうです。

 しかしですよ?ならば安保闘争やら学生運動などのあの歴史は説明がつかないし、もしくは明治維新だって説明がつかないでしょうから、こんな二束三文の精神論で安易に納得する訳にはいきません。

 ほんの数十年前まで安保闘争、学生運動などの過激な運動があったのに、現在はそのような過激な運動もなく、それどころか日本国民そのものが政治への参加を冷ややかに見ている現状、これは明らかにその間に何らかの変化があったと見るべきでしょう。

 

 私はその解をデフレに求めたいと思います。なぜならばデフレとは国民を貧困化し、豊かさを失わせ、時間的余裕すら奪っていくものであるからです。ブラック企業やワーキングプア、過労死などはその代表的な例でしょうし、それでなくても長時間労働の蔓延は国民に政治という国家の本質への関心を持たせない、という効能が存在するはずです。

 つまりですよ?国民のホンネはこうではないか?

「俺達はこんなにクタクタになるまで頑張って税金も納めてるんだ!政治家は聞かされないと国民が求めていることもわからないのか!なんて無能なんだ!絶望した!」

 

 とどのつまり、国民の声を「忖度しろ!」というのが国民のホンネというわけ。

政治家が国民の声を忖度した結果

 では政治家は国民のホンネを忖度していないのか?というとしているのですよ。新党を作って政治ショーを演出してみたり、もしくは悪役を作って「既得権益だ!」と叩いて拍手喝采を浴びてみたり、「改革だ!とにかくよくわからんが改革だ!」とぶち上げて注目を集めてみたり。

 ようするに国民に分かりやすい政治ショーをして、必死にピエロになって国民を楽しませようとしているわけですね。

 ん?そんなことよりデフレをなんとかして欲しい?しょーがないじゃないか!そんな地味で本当に辛い作業よりも政治ショーのほうが簡単で国民の支持を集められるんだから!というのが政治家のホンネじゃないでしょうかね?

 

 前回の衆院選はなんでも台風のせいで「戦後2番目に低い投票率」だったそうですが、要するにまあこれも「国家の命運よりも台風で億劫だというほうが勝った程度の政治意識」というわけでしょう。

 国民総お客様化した日本の民主政治の結末やいかに?ろくな事になりゃしないのは、火を見るより明らかというのは明々白々でしょう。

P.S

 ちなみに私のまわりの若い子で投票に行ったかどうか?を何人かに聞いたところ、見事に1人も投票に行っていないとのこと。政治意識も国民意識も崩壊しかけてるんじゃねーのか?と思う今日このごろ。

 

(了)

 

 

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