トランプと世界情勢奇々怪々【ヤンの地雷】 | 進撃の庶民 ~反新自由主義・反グローバリズム

本日はヤン様の寄稿コラムの日です!

 

今回は国際情勢、安倍外交の冷静な分析です。

 

ヤン様のこのコラムのように、信者目線でないまともな言論が、進撃界隈以外で、この日本にいくつほどあるのかと思うと、日本の行く末も心許ない。

 

産経新聞を始めとした、「安倍ちゃん外交マンセー!」と寝ぼけたことを言っている安倍信者達こそが、その目をしかと開いてこのコラムを読むべし。

 

それではヤン様コラムをどうぞ!

 

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『トランプと世界情勢奇々怪々【ヤンの地雷】』

 

奇妙な目線の日本人

 アメリカのトランプ大統領のアジア来訪を受けて連日、北朝鮮がどーだこーだ、韓国の外交が反日だどーだ、中国がどーだと報道されているようですが、実は私はあまりそれらの報道に目を通しておりません。日本国内向けに報道されているものとしては「日米関係が強化された!」「北朝鮮に対しての姿勢が完全一致!」などがありますが、結論からいうとトランプは特になにもしないのではないか?と思っております。

 筋道を追って解説してみます。

 

 まず第一にアメリカ大統領が訪日するたびに「日米関係の強化!」「日米蜜月!」と報じられますが、それが事実なのであればこれだけ繰り返し強化されているのですから、もはやカンスト(レベル上限)でもおかしくないはず。ところがこの「日米関係の強化」という言葉は、いつまでも使われ続けるわけでして、しかし具体的に「何が強化されたのか?」ということはあまり報じられない様子。

 今回でいえばアメリカがアメリカ産の武器を売り、日本が購入するということですが、これはいつものことであり報じられるような話でもないでしょう。

 

 しかし面白いことに、どうも私の見るところによると「日米関係の強化!」がなされると、ほとんど一方的に日本が何かのアメリカの要求を突きつけられて、それを受け入れるというような現象が起こります。今回はそれがなんなのか?「日米関係の強化!」なるもので、日本は「きっとアメリカ様が守ってくださるに違いない」と勘違いし、そして「守ってくださっているのだから、ある程度の要求は飲まないと失礼に当たる」とその要求を安易に飲む状況が出来上がるわけで、今回要求されるものが何であるのか?とむしろ「日米関係の強化!」と報じられたときには警戒するべきでしょう。

 

 第二にアメリカと日本が北朝鮮にたいする姿勢が一致したとしても、それは経済制裁レベルの話であり、であるならば意味が殆どないということです。なぜならば北朝鮮の石油の大半は中国、そして中国がもし禁輸したとしたらロシアがしゃしゃり出てくる、とすると中国はどのような態度を示そうと、緩衝地帯である北朝鮮への石油の禁輸だけはしないはずです。

 した瞬間にロシアがしゃしゃり出てくるので実効性がまずはない、しかも自分たちの緩衝地帯を他国に牛耳られる話になってしまうという二重の意味でそのようなことはしない。

 さらにいうならば中国はアメリカが北朝鮮に爆撃をすることなどは絶対に認めないでしょう。従って今回の中国はトランプに対して「史上初の故宮に招いての皇帝なみの扱いをした」というわけです。

 要するに中国としてはアメリカに対抗するには今しばし時間が必要である、従って最大限の歓待で時間を稼ぐというわけでしょう。

 

 であるならば、アメリカと日本がいくら北朝鮮に対して一致したところで、アメリカは中国との戦争はできないので北朝鮮への軍事オプションは無いも同然、さらには北朝鮮経済のイニシアティブは中国にあるので、中国が首を縦に振らない限りは実効性のある経済制裁は不可能というわけで、「日本とアメリカの姿勢が一致」というのも、ほとんど意味のないものになり、すなわち単なるポーズにしか過ぎないといえるわけです。

 

 ここまで解説してきましてひとつ奇妙なのは、日本人が完全に「アメリカ様が守ってくれる」と盲信しているということです。北朝鮮問題に対しても「アメリカがなんとかしてくれる」という前提条件があり、その上での「国際協調して北朝鮮に対応する」という非主体的な発想に至るわけです。

 しかし論理的に考えてみるとアメリカはほとんど何も出来ないし、北朝鮮問題は先送り、もしくは先延ばしにされるだけ北朝鮮に有利になることは明白。新たな核保有国がすぐ隣国に出現する、という現実を見据えた上での議論が日本には必要なはずです。ところがこの手の議論というのはあまり私は見かけません。一体全体どうしたことか?世界情勢奇々怪々ではなく、日本国内奇々怪々というわけです。

核武装の議論はするべきである

 未だに日本は9条をどうするか?改憲か護憲かというような愚にもつかない議論を繰り広げております。私は正直、改憲でも護憲でも好きにやってくれりゃいいのですが、この理由は後述します。

 しかしたとえ改憲したところで、その実行力が伴わないのであれば絵に描いた餅。まさか「9条2項を改憲したら、日本の軍事力が増大する」と思っているお馬鹿な論者はいないと思いたいのですが、いわゆる保守、右翼といわれる層ですら「軍事費を増やせ!」という議論をしないところを見ると、存外そう思っているのかもしれません。

 ちなみに軍事費の増加は個別的自衛権の範囲内でかのうであるでしょうし、また自衛隊法の改正もネガティブリストにするなどは憲法解釈次第で可能でありましょう。

 

 私が「改憲でも護憲でもどっちでもいい」というのには訳があります。現在の政府の憲法解釈では全面的に個別的自衛権は認められているとなっているわけで、そうであれば改憲の意義とは「自衛隊を軍隊として認める」or「集団的自衛権を全面的に認める」という2つの方向しか無いからです。

 そして憲法上は「自衛隊」「実力組織」とタテマエでなっておりますが、自衛隊を軍隊じゃないと思っている国はありませんし、実質的にはどうみても軍隊です。なにせ「個別的自衛権が認められ、その個別的自衛権を行使するための組織」なのでありますから。

 集団的自衛権については同盟戦略などに影響はするのでしょうが、どのみち今の日本でそれを認めたところで、じゃあ同盟国のアメリカの軍隊が攻撃されたときに、速やかに同胞の日本人である自衛隊を派遣できるのか?血を流すという覚悟があるのか?戦後初の戦死者をだす覚悟があるのか?と問うことで答えはおわかりでしょう。

 その覚悟の議論、独立国としての当然の議論もないままに集団的自衛権を認めたところで、これまた絵に描いた餅。実際は伴わないだろうと思うわけです。

 

 というわけで、改憲でも護憲でもどっちでも良いのですが、核武装に関する議論などの「実質的な実行力」にかんする議論は始めるべきでしょう。それは「いざ戦争が始まったとして、我々日本はどこまでの覚悟を持って、何を守るのか?」という土台に根付いた議論でなければならないはずです。

 もちろんながら、私は諦観をもって「現在の日本の状況で、そのような『物騒』な議論は広まらないだろう」とは思っているわけですが。

P.S

 諦め気味であることと、それでもなお言葉を発することは別物のように思います。言葉すら発せられなくなったときこそ、本当の敗北が自らに訪れるのではなかろうか?と思う今日このごろ。とはいえ・・・この諦観はどーにかならんものか?もう少しくらい希望のあるニュースでもなものか?と探す昨今でしたとさ(笑)

 

 

(了)

 

 

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