若い世代の本当の現実とこれからの日本【ヤンの地雷】 | 進撃の庶民 ~反新自由主義・反グローバリズム

本日はヤン様の寄稿コラムの日です!

 

今回の寄稿コラムも、思わず頷かされる話が満載です。

 

「思考の言語化」を実践することは相当難しい作業なのですが、ここ数ヶ月、ヤン様はその技術を一気に引き上げられたように思われます。

 

雑誌「表現者」にて掲載されたとしても、私はもはや驚きません。

 

それではヤン様コラムをどうぞ!

 

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『若い世代の本当の現実とこれからの日本【ヤンの地雷】』

 

 

 

 

 

若者の◯◯離れという表現で貧困化を放置する日本

 大変な時代でございまして、昨今では「若者の◯◯離れ」という言葉がよく聞かれます。メディアいわく車やデート、結婚、持ち家などから若者がどんどん離れている!のだそうでございますが、この「若者の◯◯離れ」という言葉のギミックはよく出来ていて「若者があかたも自身の選択として車も買わず、デートにいかず、結婚せず、持ち家という夢も持たず、つまりは若い世代の価値観が変化したから消費しない」というような印象をもたせます。

 端的に申しますとこれは戦後日本が得意としてきた「現実から目をそらす」手法でございまして、現実的に見れば若者の所得の不安定化、低所得化、将来にたいする安定的な所得が見込みにくいなどの社会状況そのものが、若者の旺盛な消費心を抑圧している、諦めさせていると見るほうが自然でしょう。

 つまりですね・・・この「若者の◯◯離れ」という表現には2つの残酷な社会状況が潜んでいることになります。1つは「若者の現実を年配者および日本国民全体が見ようとしない」ということ。もう1つは「見ようとしていないので、手を差し伸べない。自己責任だ」ということ。

 本当は「若者の◯◯離れ」ではなくて「日本が若者を見捨てている」というのが正解ではなかろうか?と解釈することが可能でしょう。

サバイバル的価値観と自民党支持の整合性

 上述したようなことが現実だとすると、じつは若者に自民党支持が多いというのも割りと合理的である気がします。つまりは「自分たちは生き残りに必死で、今を生きるのに余裕が無いのだから政治は余計なことをするな。安定さえしてりゃもうそれでいいや」という諦めや諦観があるのではなかろうか?と思うわけです。安倍政権に消極的支持が非常に多いのも、若者だけでなくもはや国民全体が「多少(?)質が悪くても、安定を望んでいる」という潜在意識の現れではなかろうかと思うのです。

 

 人間、だれしも例えば仕事を失ったり生活がうまく回らなくなると、それを何とかするのに精一杯になってそれ以外は「とにかく安定していたらなんでも良い。状況を振り回さないでくれ!!」となるものでしょう。政治についてもこのような心理が働いているのではないか?それが安倍政権という長期政権の支持率の根底にはあるのではないか?と私には思えます。

 まあこの場合、ちゃんと巨視的に見れば「そもそも国民や若者をそこまで追い込んだのが自民党政権そのもの」ではあるので、まさにDV男と依存女の相互依存といえなくもなさそうです。

若者が自殺を選ばざるをえないわけ

 一方で日本の若者の自殺率というのは非常に高いのだそうです。(自殺:事故の比率)

日本 17.8 : 6.9

フランス 8.3 :12.7

カナダ 11.3 :20.4

米国 13.3 :35.1

http://www.huffingtonpost.jp/kaoru-kawai/suicide-japanese-young_b_16976260.html

 

市場経済では、おカネが絶対的な価値を持つものであったとしても、人間にとっては、人それぞれに価値のあるものが存在する。

カネ=価値 となった途端、良い大学を出て、良い就職をし、たくさん稼ぎ、良い暮らしをすることが、価値あるものになりがちである。

「ひとそれぞれだよね」だの、「価値観が多様化している」とう文言はよく聞くけど、まるで国葬のように、同じリクルートスーツを着た若者たちが就活戦線に挑み、たった一回でも失敗すればレールから外され、

勝ち組だの負け組だの、何を基準にいってるのかわからないグルーピングが行われている社会の、いったいどこに「それぞれ」だの「多様化」があるというのだ。

違いを認めあえない社会とは、共同体が破壊した社会でもある。

自殺は「追いつめられた末の死」であり、「避けることのできる死(avoidable death)」

 なかなか興味深い記事なので拙ブログでも取り上げたのですが、ぜひとも皆様にも読んでいただきたい記事であります。

 

 1つの社会現象学的に解釈するのならば、不足しているから「特定の文言が多用される」わけでして、例えば上記の「多様化が大事!価値観の多様化!」などという文言は「そもそも不足している、不足気味になっている」という実態を表しているといえます。わざわざいわないといけない、その時点でつまりは社会が単純化に向かっているというわけ。

 さて他にもこのような記事も。

「若者の貧困」に大人はあまりに無理解すぎる 仕事や家族に頼れる時代は、終わりを迎えた(東洋経済)

 労働社会学者の木下武男氏は、これらの若者の雇用について、「経済界・企業は、多くの若者を日本型システムから排除すること、つまり、若者を犠牲にしながら、日本型システムを温存しようとしたのです」(『若者の逆襲?ワーキングプアからユニオンへ』旬報社)と述べている。つまり、経済界や企業は、意図的に若者の雇用を崩壊させてきた経緯があることを的確に指摘しているのだ。若者たちが働いても「しんどい」状況は、労働社会学者が指摘するように、大人たちによって"つくられた"のである。

 上記の太文字部分を読むと「じゃあ年配者も若者と同じように日本型システムから脱却せよ!」みたいなおかしな話になりかねませんが、この太文字部分の前提条件としては「日本が公共事業を絞り、緊縮財政を20年間続け、グローバルスタンダードといいながら自由競争を過激化させて国家を疲弊させ続けた」帰結として「経済界はコスト削減のために若者を見捨てた、犠牲にした」という解釈が自然です。

 つまりは有り体にいえば「国家が若者を見捨てた」が故に、若者の現在の苦境があるというわけです。

 1つ目の記事の「コミュニティ、共同体が破壊ないし衰退した社会」の「共同体」とは、じつは日本国家そのものというわけ。

弱者が切り捨てられる社会の結末

 自由競争とは「弱者はおとなしく死ね」というわけですし、自由貿易とは「海外とも競争して死ね」ということですし、規制緩和とは「弱者を守るルールを撤廃するから死ね」ですし、構造改革とは「弱者は効率的に死ね」というわけでありまして、まさに一時期流行した「日本死ね」はじつは「日本が弱者に死ねといっている、だから抗して『日本死ね』」という表現になったのではなかろうか?と思う次第。

 では弱者とは?この場合はもちろんながら例えばマイノリティ、もしくは障がい者、お年寄りなども含まれるのですが、若者も社会的弱者であるというのは事実です。なぜならば若者にはとにかく仕事のノウハウが蓄積されていない、社会経験の蓄積がない、そして経路依存性の最初の経路が「非正規、ワープア」などであった場合、相当の努力と幸運がないと抜け出すのが難しいというわけです。

 

 余談ですが日本では少子高齢化がいわれて久しいですが、子供の頃は「国の宝」といわれても、20歳を過ぎた途端に「犠牲になれ、自己責任」でありますから、そのような社会状況を本能的、直感的に察知して少子化になっているという解釈すら成り立ち得るのです。とすると少子化対策として最も有効なのは、じつは「若者に適切な所得が継続して得られる安定した仕事を与えること」ではなかろうか?と思います。

 

 閑話休題。

 弱者が切り捨てられる社会というのは、言い換えれば日本が2000年代から目指してきた「効率のみに価値観を置いた社会」です。この価値観でいうと「強くないもの、すなわち弱者は効率的ではないのでフォローする必要はない」という話になり、それこそが◯◯改革や規制緩和、グローバリズムの実態であったといえるでしょう。

 そしてこの切り捨てられる対象となったのが「体力がある」「都合良く使える」「ノウハウがない」「数が多い」という「奴隷として、犠牲になるものとしてもっとも『効率的』な若者」という次第。

 ではその結末やいかに?というと、もはや散々指摘してきたことでありますが共同体としての弱体化ないしは破壊が進み、国民意識は薄れ、むしろ国民同士が蹴落とし合う社会の到来というわけ。

 ネットであふれる「世代間の攻撃のしあい」「勝ち組と負け組という価値観」などもこのような根底の社会の動きに対する1つの現象であり、または政治の炎上化、目立つこと大好き政治家の薄っぺらさも「とにかく競争して結果を出す」ということが究極に行き過ぎた結果にしか過ぎないのでは?ということです。

 

 そして最終的には民主制の空疎化という現象に行きつくことでしょう。なぜならば民主制とは「国民意識が前提条件として存在する」制度であり、それが失われつつある現在の社会では「システムだけが虚しく正しく機能し続けるだけ」だからです。要するに民主制本来の意義の「内容」については空疎、空回りにならざるを得ないということになります。

 料理で言うならば形式と見た目は完璧なすまし汁ですが、味がついていないという感じでしょうか。

若者は立ち上がるのか?

 本日は「若者が社会の犠牲として歯車化し、奴隷化し、そして消耗されていく」から始まり、そういった「効率化」「弱者切り捨て」の社会の結末とは「形だけの形骸化した民主制」に行きつくという結論にたどり着きました。そしてそれは私には、もはや先日の選挙でその時代が始まったという風に見えます。

 そしてそれに対して現在は若者は「自身の生き残りに必死」であるから「政治は余計なことをするな、安定さえしておけば多少(?)質が悪くてもどうでも良い」というわけで、自民党支持が多いのかもしれないなどと考察しておりますが、ではこのまま進めば若者は自身の存亡をかけて立ち上がるのか?という問いに直面します。

 

 デフレの「若者損耗時代」は2000年あたりから顕著になっておりますので、当時の若者は現在は30代後半~40代。いわゆる就職氷河期と呼ばれた世代であり、私もその世代の一員でございます。余談ですが私の場合は、学歴もなく、しかも性格的に(無能に思える)上司が嫌いというのを隠せないという、どうも社会不適合的な性格でございましたので「じゃあ、自分がトップになればおk」と身も蓋もなく自営業という道を選びました。後悔しないわけでもない・・・orz

 閑話休題。

 さて、このように「損耗させられ続けた世代」が立ち上がるのかどうか?という問いですが、2つの壁が立ちはだかります。1つは「損耗させられ続けているのに、その気力が出てくるかどうか?」。もう1つは「社会人として過ごすうちに、ますます分断が進んでいるのに連帯できるかどうか?」であります。

 

 軍事学的にいうならば「かつての若者世代の30代後半~40代」は士気の低下著しく、そして各個撃破の憂き目にあっていると解釈可能でして、これで「立ち上がれ!」といわれても・・・それは旧日本陸軍の「やる気さえあれば勝てる!」という無茶理論とさほど変わらない(笑)ガダルカナルかインパールか・・・という話になってしまいます。ということで「今すぐ変える」のははっきりいいまして「不可能に近い」と断言します。いくら言葉を振り絞り、死力を尽くしたところで燃え尽きて全滅するのがオチ。まさに炎上。そんな勝ち目のない戦いに命をかけられるかバカヤロー!でございますよ。だから命なんてかけなくてよろしいと思っております。

※そもそも私、死んだら終了という価値観の持ち主ですので、命がけなんぞ真っ平御免でございますけれども。犬死にだけは勘弁してほしいものでございます。武士道なんて知らん。私は由緒正しき平民でございますからね(笑)

 

 あと10年かかるか、20年かかるか知りませんけれども現状は「必ず変わる」というのは、歴史的にも「事実」でありますから、その時まで臥薪嘗胆、継続して「経世済民を微力ながら広める」ことこそが最終的な日本の再生につながるのではなかろうか?と思う次第です。

 30年以上ボトム9割の所得が増えなかったアメリカは変わろうとした、少なくともトランプ大統領を「大半のメディア及び有識者を敵に回しながら当選させた」というのが「事実」であります。またイギリスも同じような状況でブレグジットを選んだ、これが「事実」です。行き過ぎたグローバリズム、新自由主義、そして過度に効率化した社会を「効率化という神的価値観」から取り戻そうとしました。まだどのような結果になるのか?ははっきりとはしませんが。

 その土壌は何によって作られたのか?恐らくですが我々のような、つまりは進撃の庶民のような「主張を発するコミュニティ」が数多存在し始めたのかもしれません。でなければalt-right(オルタナライト、アメリカにおける経世済民陣営)の説明がつかないわけです。

 

 前週には「本当の耐え難きを耐え忍び難きを忍び」と題して寄稿をしましたが、昭和天皇のそのお言葉には「いつかは勝つ」という思いが「日本人の中にある」という前提条件の上で発せられたお言葉でしょう。でなければ「耐え難きを耐え」とはならないはず。

 ・・・・まあ、当の日本国民はあまりの無残な敗戦に、いつしかそのお言葉の意味を忘れてしまっているようですが。そして歴史も。

 

 現実は無残で無慈悲で残酷です。そして現在の状況も。日本は佐藤健志さんのご著書によると4度敗戦し、さらに私が見るところによると5度目の敗戦をしようとしております。その敗戦を覆すには幾度となく繰り返した「現実から目を背けた楽観論」ではなく、マキャベリのような「冷徹に現実を見つめた実践論」こそが必要であり、逆説的にいうならば悲観論こそが「中立的な客観論」となり得るのではなかろうか?戦後続いたファンタジーを打破できる力になり得るのではないか?

 希望的な言葉には誰しも耳を傾け、絶望的な言葉からは誰しも目を背けたくなるものですが、それを認識し見つめることでしか日本の現状にたいする備えは不可能だと私は思っております。まさに「臥薪嘗胆」かもしれません。

 

 最後に多分中野剛志さんだったかと思いますが、このようなことをいっておりました。

「現状に耐えられないやつが、改革を支持する」

 

 

 

(了)

 

 

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