危機突破→国難突破→亡国となる安倍政権の危機管理能力【ヤンの字雷】 | 進撃の庶民 ~反新自由主義・反グローバリズム

本日は、ヤン様の寄稿コラムです!

 

いやはやびっくり。実は私(影法師)も、「危機突破内閣」ネタで記事を書こうと思っていたところだったんですが、ヤン様の方が上手い取り扱い方をされていて、いつもの如く白旗(笑

 

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危機突破→国難突破→亡国となる安倍政権の危機管理能力【ヤンの字雷】

2012年に危機突破内閣

 早いもので安倍政権が成立してからはや5年以上。2012年に安倍政権がなんといって成立したか覚えていますか?

 【危機突破内閣】でありますよ。

危機突破内閣・憲法96条改正に意欲…安倍総裁(読売 2012.12.18)

 

 さて突破するとしても、突破する方向が問題というもの。

安倍首相 会見の「国難突破解散」 国難は「ボク難」?(毎日 2017.9.27)

 

 なんと5年間で「危機→国難」へと悪い方向に突破してしまったわけですね。経路依存性から考えると、このベクトルは安倍政権が続くまでは変わらないはず。

 「危機→国難→◯◯」、さて◯◯には何が入るのか?国難を悪い方向に突破したら、当然ながら◯◯は必然的に「亡国」でありましょうね。

西日本豪雨にみる安倍政権の「危機管理能力」

 メディアやSNSで報道、または拡散されているように西日本豪雨の真っ最中に、安倍政権、自民党は赤坂自民亭にて大宴会を開催していたようです。

「赤坂自民亭」は何が問題だったか「緊張感がないと言われても」(ライブドア)

 散々にSNSやらメディアから当然のごとく叩かれているわけですけれども、この話は2つの問題を含んでいるわけです。

 1つは散々に叩かれているように「西日本豪雨の真っ最中に、災害対策本部も設置しないで何やってたんだ!」という問題。

 もう1つは「こんなことをしたら、普通に批判されるだろ」ということがわからず、つまりは自身の危機管理すらできていなかったという問題。

 

 これは2つ目の問題が根本にありまして、「自身の危機管理すらできない」のに「災害の危機管理ができるわけがない」のですね。

 

 とすると・・・あら不思議。内閣が「危機突破(危機管理できてない)→国難突破(危機管理できてない)→亡国(危機管理する必要がなくなる状態)」と推移するのもうなずける話。

 安倍政権および自民党の危機管理能力は皆無か、果てしなく低いと見るべきでありましょう。

 おそらくこんな反論が来るでしょう。「野党に比べたらマシなんだ!」と。

 「野党に比べたらマシ」ということと、「安倍政権及び自民党に危機管理能力が皆無、もしくは果てしなく低い」というのは矛盾しませんからね?

 「危機管理能力が低い与党および政権」を「もっと危機管理能力を磨け!」とケツを叩いて批判することと、「野党に比べたらマシなんだから、安倍政権しかないんだ!」と現状追認、迎合することは、どちらがより正当な振る舞いなのか?

 大の大人でしたら常識に照らし合わせて通常は判断可能かと思います。

悲観論から危機管理は生まれる

 先日から話題にしておりました水道事業民営化ですが、今国会で見送りになったようです。

水道法改定 今国会見送り(赤旗)

 

 普段は勇ましく「国防だ!愛国だ!」と言っている自称愛国者や、もしくは安倍支持者、自称保守やらネトウヨやら御用学者ですがか、水道事業民営化のコンセッション方式というのは、彼らから言わせると「違約金が発生するから、企業は撤退しない!ほら!民営化でも安心だろ!」だそうです。

 はは、冗談ですよね?

 

 あまりにも楽観論というかお気楽過ぎてびっくりするのですが、これって裏を返せば「違約金さえ払えば、企業は撤退できる」ことを意味しております。

 こんな当たり前の指摘を「悲観論」と言ってよいのかどうか?はやや疑問ですが、物事を悲観的に眺めないと危機管理というのはできないんですね。

 「もしも北朝鮮がこんな事をした場合に、日本はどう対応するのか?」

 「もし南海トラフ地震が現実になったとして、日本はどうなるのか?」

 「首都直下型地震で政治中枢の機能は麻痺するんじゃないか?そうすると被害がさらに広がる恐れがあるんじゃないか?」

 

 こういった悲観的な疑問を1つ1つ潰していくこと、それが危機管理の要諦であるわけですし、そして戦略論の話としても「当然」なのです。

 「起こるかもしれない、最悪のこと」を想定して準備すれば、「起こらなければラッキー、いざ起こっても対応できる」となるわけですけれども、「そんなことは起こらないから大丈夫!」と想定も準備もしていなければ、「いざ起こったときに慌てふためくだけ」ですからね。

 表現としては矛盾するようですが、「大丈夫じゃなかったときのことを考え行動することで、大丈夫に近づける」のです。

 

 1つ申しますと安倍政権は最悪です。しかし・・・安倍政権が倒れたとして、その後に希望が見えるというのは楽観論でありましょう。安倍政権が倒れたとして、さらに最悪の政権が成立することも「想定」しておかなければならないのです。

 「だったらまだマシな安倍政権でいいじゃないか!」という反論が来ることでしょうが、「最悪に甘んじることこそ、さらに最悪な結果をもたらす」のもまた事実。

 ちなみに「悪い状況に甘んじる、現状追認する、受け入れる」とは「思考停止」および「活力がない」という表現になるわけで、そりゃ活力がなけりゃ最悪がさらに最悪になろうというもの。

 

 はてさて、危機突破→国難突破と最悪からさらに最悪にした安倍政権は「活力がない」のである(!!)と偉そうに締めておきます(笑)

P.S

 「安倍政権に活力がない?馬鹿言っちゃいけねぇ!無駄に実行力だけはあるじゃねーか!」と思ったそこの貴方。安倍政権の方向は「グローバリズム」で「小さな政府」ですから、ようするに背負っているものをパージするときだけは、無駄に実行力があるのですよ(笑)

 「民営化!」「規制緩和!」「構造改革!」「緊縮財政!」「移民拡大!」「自由競争!ビジネスのしやすい国!」「インバウンド!」

 どれもこれも端的にいえば「政府は何もしたくない!責任を持ちたくない!」でしょ?

 

 すなわち「背負い続ける活力がない」から、降ろすときだけやたらと張り切るというわけです。

 これは日本にもいえますけれどもね。1990年代後半からの混迷というのは、まさに「その栄華を背負い続ける活力に欠けていた」から起こったのではなかろうか?などと考えてしまうときがあります。

 

 はたして「改革!改革!」という見栄えだけの活力なき運動が、日本全体を覆ったわけかもしれません。

 日々、同じことを繰り返し行なうことのほうが、よっぽど「活力がある」のだと私は思います。

 

 これは例えば同じ批判であっても、毎日なり、継続的にブログを更新されているブロガーさんのほうが活力があり、ふらっと”気分”で気に食わない相手にコメント欄で批判を繰り広げる人には「活力がない」のと一緒でしょう。

 世の中の毎日仕事をしているお父さんや、家事を毎日こなしているお母さんに活力があり、ニートしている人に活力がないってのと似ているかもしれません。

 

 活力が枯渇したときにはどうするか?私の対処法ですけれども、酒をかっくらって屁をこいて寝るに限ります(笑)

 旅行や趣味や、本を読んだりして気分転換をするのもよいかもしれません。良い友人と話をするだけでも気分転換になりますしね。

 皆様もどうぞ、なかなかに状況の悪い世の中ですけれども、活力を失わずに楽しく過ごしてほしいものです。

(了)


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