日曜日の朝 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

※沖縄タウン地図

※トキワ荘跡地

 

 日曜日の朝、テレビで見ていたら、石ちゃんとダイゴと芸人が出ている番組で、美味しい物を訪ねていくのですが、杉並区に「沖縄タウン」があるというのを知りました。

 僕は杉並区の住人ですが、「沖縄タウンが杉並区にあるというのは、知りませんでした。興味を持ったので「ここを訪ねてみようかな」と思って、行ってきました。場所は甲州街道と環七の交差点に近いところです。まあ、普通で行ったら気が付きません。「これが沖縄タウンだ」と言われてもわかりにくい場所です。ちょうど日大鶴ヶ丘高等学校の近くです。生徒たちがぞろぞろ歩いていたのです。一方通行の何の変哲もない道路です。

 そこが「沖縄タウン」だということは僕も知らなかったので、美味しいものがあるというので訪ねて行ったのです。何が美味しいのかというと、沖縄のソーキそばが、「すごく美味しい」とテレビで言っていました。ソーキそばは普通、やぎ肉か羊の肉で作るのですが、この店は豚のチャーシューで作っているのです。

 ダイゴ一行は「沖縄料理と古酒 てぃんさぐぬ花」を訪れました。オーナーの野崎さんが研究に研究を重ねたソーキそばが大人気です。ここでは豚のあばら肉(スペアリブ)を12時間も煮込み、自家製のちぢれ生麺を加え作っています。一行はソーキそばを食べ絶賛していました。

 豚のチャーシューを12時間も煮つづけて、トロトロになったチャーシューをそばに使っているのです。ソーキそばは、ラーメンではありません。ラーメンの麺とはちょっと違いますが、何しろこのチャーシューが美味そうだったのです。

 「これを食べましょう」と思って沖縄タウンに行ってきたのですが、お店がよくわからなかったのです。近所の人に聞くと「あそこではないですか」と言うので行ってみると、お昼だったので結構お客さんが入っていました。その傍に1軒コーヒー屋が有ったので入ってみました。ここのコーヒーは美味しかったと思います。

 店は満員で遂にソーキそばを食べることはできませんでした。「外でお待ちください」と言われたので、「もう帰ろう」と思って帰ってきました。杉並区泉1丁目に「沖縄タウン」があることを皆さんも覚えておいてください。買ったものは沖縄の塩と、フィファチという香辛料です。「これは毛細血管を増やす効果もあり、売れているのですよ!」とお店の人に言われたので、買ってきました。沖縄のオレンジジュースも買いました。まあ、美味しかったです。

 帰る途中で、「トキワ荘」が頭に浮かびました。確か、「トキワ荘が出来た」という記事を読んだことがあったので、そこへ行こうと思いました。実際は、2020年にできるのです。トキワ荘の跡地を訪ねてきました。「ここにトキワ荘がありました」という跡地は見てきましたが、現物を見ることはできませんでした。

 現物ができると記念公園のようになるらしいのです。トキワ荘は懐かしい名前です。何だか知らない人も大勢いると思います。トキワ荘には、漫画家が集団で生活していたのです。マンガ大学のようなものです。

トキワ荘の住人には、手塚治虫、藤子不二雄、藤子・F・不二雄、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、寺田ヒロオ、鈴木伸一、森安なおや、よこたとくお、そうそうたるメンバーがこのボロアパートに集まっていたのです。

 練馬区の南長崎にトキワ荘はあったのです。記念碑は建っていましたが、現物はありませんでした。何しろ、僕の少年の頃は“マンガ少年”という雑誌があって、全盛期には自作のマンガを投稿して漫画家になったり、作家になろうと思っている人は、ここから出ていったのです。寺田ヒロオも、石ノ森章太郎もそうです。マンガを投稿したのです。

 手塚治虫のマンガ大学はずっと連載されていました。「マンガはこのようにして描くのだ」「墨汁の墨はこのようにして使え」「ペンはガラスペンなどを使うのだ」と書いてあったのです。「こんなものを使うのだな」と僕も読んでいました。

手塚治虫は、起承転結の間の取り方などを連載で教えていたのです。そこに投稿していたのが石ノ森章太郎や寺田ヒロオです。

 特に「赤胴鈴之助」という有名なマンガがありますが、あれは福井英一さんがつくったのです。この人は天才です。福井英一さんが死んでしまったので、絵は途中で武内つなよしに変わったのです。それからつまらなくなってしまったのです。福井英一さんは天才です。「赤胴鈴之助」は最高でした。

後は、馬場ノボルさんもいいマンガを書いた人です。手塚治虫、福井英一、馬場ノボルは、「児童マンガ界の三羽ガラス」と呼ばれていました。

寺田ヒロオさんは、週刊漫画誌の隆盛にともない、どんどん速度を上げていく仕事のペースについていけなくなったといいます。劇画ブームの影響で、リアルで映像的な画調と刺激的なストーリーがもてはやされるようになり、一貫して正統派の児童マンガを書き続ける寺田の作風は、時流から取り残された存在になっていたのです。

 寺田は『えすとりあ』季刊2号で「ちょうど高度成長の始まりで、大きいことはいい事だ。儲けることは美徳であると、モーレツ時代に突進して行ったわけで、漫画も雑誌もドギツク、エゲツナクなる一方で」と語り、早々とペンをおってしまったのです。

 ぶっ壊しのマンガが入ってくるので、この人は「そんなマンガは描けない」と筆をおった人です。

トキワ荘の住人は、相互に影響しあっていたのです。漫画家集団は楽しそうでした。6畳一間で玄関のすぐ左横は手塚治虫の部屋です。

 寺田ヒロオの部屋は2階にあり、トイレと共同炊事場はありますが、お風呂もありません。アパートの中には廊下があり、共同の炊事場があります。そこで顔を洗ったり、ご飯を作ったりするのですが、夏になるとクーラーもないから暑いので、共同の炊事場で水を貯めて行水をしたのです。そのようなことが「懐かしいな」と思い、「昔のマンガはよかったな」と思うような楽しい1日でした。

 

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