憲法問題について ② | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
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まず、大前提の「憲法は合法か、違法か?」と考えると、憲法は違法です。日本人がつくった憲法ではありません。GHQがつくった憲法であるから、これは直ちに憲法廃棄です。

しかし、廃棄することは現実的にはできません。日本はGHQに占領されているので、そのまま憲法を押し付けられたのです。チャンスは昭和26年のサンフランシスコ講和条約の時です。「これで日本は独立した。これで我らの新しい憲法がつくれるぞ!」と憲法をつくってしまえばよかったのです。それを時の政権の自民党はやらなかったのです。だからズルズルと今日まできてしまったのです。

いずれにしても憲法は違法です。ということになると、憲法改正という論議が行われていますが、憲法改正などする必要はありません。憲法改正というのですから、今の憲法は正当だということです。それを認めることです。その憲法に基づいて改正するのです。そんなことはありません。この憲法は正当な憲法ではありません。

この理解が大事です。基本的には、憲法改正はあり得ないのです。違法の憲法に則って憲法を変えても意味がありません。正常な頭で考えれば、それが常識的なものの考え方です。

さて、今度は憲法の中身に入ります。中身に入ってくると、どのような手続きがあるのかというと、まず憲法改正という手続きがあります。これはダメだということは申し上げた通りです。

それから、新憲法の創設という考え方があります。新憲法の創設の前に現行憲法をどうするのかというと、これは破棄しかありません。「現行憲法を守れ」という連中がいます。これを政党別に見ると自民党は憲法改正です。公明党の一部も同じです。

そして、共産党、立憲民主党は、「憲法を守れ」と言っています。「占領基本法を守れ」という馬鹿が何処にいるのでしょう。

「憲法を破れ」と言っている人はいません。憲法破棄から全てが始まるのです。考えてみると「憲法を守れ」という主張もおかしいのです。「憲法改正」という主張もおかしいのです。「憲法破棄」が正解です。

憲法を破棄すると、「明治憲法に戻れ」という人達がいますが、馬鹿を言うものではありません。これも頭がおかしいのです。明治憲法はプロイセン憲法です。ドイツを模倣してつくった憲法です。そんなものは日本に合わないのです。これは意味がありません。

では、憲法を廃棄したらどうなるのでしょう。自然法でやればよいのです。成文法ではありません。もう文章は入りません。何が憲法になるのかというと、歴史が憲法になるのです。日本の歴史そのものが憲法になるのです。成文法にする必要はありません。文章など書く必要はありません。我々は慣習法でいくのです。

例えば、イギリスは慣習法です。イギリスにはなぜ書いた憲法はないのでしょうか? これは歴史があるからです。千年以上の歴史があるイギリスは憲法など必要ありません。何が憲法になるのでしょう。彼らが営んできた全てのものが憲法になるのです。ですから、成文法などいりません。成文法はわずか200年しか経っていないアメリカなどがつくるものです。

中国も立派な憲法をつくったのです。1954年9月に制定された憲法がありますが、まだ64年しか経っていません。中国には歴史がありません。歴史を顧みても国が全て違います。まとまった考えはありません。だから成文法をつくり、新しく憲法をつくったのです。韓国にも北朝鮮にも憲法はあります。何故、憲法があるのでしょう。それは歴史がないからです。

ヨーロッパでも成文法のない国があります。歴史が長くないと「歴史が憲法だ」と言えません。何を基準にするのでしょう。「はい、50年前の歴史を基準にします」などと言ったら慣習法にはなりません。

我らの国は有難いことに2800年という長い歴史があります。日本が侵略されたこともあり、自然災害なども経験しています。富士山が爆発したこともあれば、津波や日照り干ばつもありました。日本は様々なことを国家として経験してきているのですから、全ての答えは歴史の中にあります。我らはそれを憲法にするのですから、クチャクチャ書いた成文法の憲法は入りません。これが正解です。

石原慎太郎も「憲法破棄」と言っています。では、その次はどうするのでしょう。それは「ただちに明治憲法に戻る」と言っています。そんなことはおかしいのです。明治憲法に戻るという考え方はありません。慣習法に戻るのです。それは歴史があるからこそできるのです。他の国にはできません。

ケント・ギルバードも「今の憲法はひどすぎる。日本独自のものが何もないじゃないか」と言っています。日本独自のオリジナルが憲法の中に何も入っていません。日本の憲法は、フィリピンでも、どこの国にでも通じる憲法です。

天皇に関する事項だけは違いますが、他はどこの国にでも通じます。そうなってしまいます。「日本国は現行憲法を破棄して慣習法に帰ります。これがこれからの憲法です」と言ってしまえば、問題点は一切吹っ飛んでしまいます。必要があれば戦争もします。必要があれば戦うのです。必要がなければ戦いません。「軍備はどこまでやるのか?」など、そんなことを決めるのは馬鹿なのです。

「私たちはここまでしかやりません」など、そんなことは意味がありません。必要があれば、何でもやるのです。宇宙戦争があれば、宇宙戦争に対応できる兵器も造るのです。「宇宙戦争は絶対にやりません」など、意味がありません。敵国の大砲が日本に向けば、日本の大砲は敵国に向くのです。これが自然法です。自然の成り行きが今の憲法ではできません。憲法をとっぱらってしまえば、自然に上手くいくのです。

日本の国は昔から男女は同権です。女性を馬鹿にしたことなどありません。一家ではお父さんは主人で、お母さんは一家を切り盛りします。お父さんはお母さんからお小遣いをもらいます。それが慣習法です。「女性の人権」「夫婦別性」などわめきまわるのは、偽民主主義者です。昔から我が国は民主主義です。憲法に書かなくても昔から民主主義を実行しているのです。女性は立派に敬ってきたのです。憲法などいりません。困った人がいれば助けてきたし、弱い者は苛めません。これは日本の国の歴史です。それに従えば立派な国民ができてくるのです。日本は歴史に返るのです。

これが僕の考えた憲法論です。憲法論議は入り口論を間違えてはいけません。「入り口とは何か?」ということをハッキリさせるのです。

ここで論議することは、「押し付けられた憲法なのか、日本が独自でつくったものなのか?」ということです。これはどう考えても押し付けられた憲法です。GHQ製の憲法だということをみんなが認めてきているのです。憲法は踏み破らなければいけません。

憲法を踏み破った途端に日本は世界第一の国になります。今年はこのような問題を考えていきましょう。以上!

 

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