日本の中の朝鮮文化 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
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 昔、金 達寿(キム・ダルス)の『日本の中の朝鮮文化』という本がありました。結構売れた本です。著書は北朝鮮人です。なかなか面白い見方をしているので、僕も金 達寿の本をみんな買ってよく読んでいました。金 達寿は、いろんなことを知っています。僕も教えられたことがあります。

 北朝鮮人の金 達寿の目から見ると、「日本は朝鮮文化があちこちにある。何処へ行っても朝鮮文化がある。奈良を歩いていると、朝鮮の村を歩いているのかと思った」というのです。

 例えば、奈良は「国」という意味の朝鮮語だと言うのです。そのようなことを言っています。白鬚橋など、朝鮮文化由来だというのです。高麗神社に行って、「本当に懐かしい」と言って泣くのです。金 達寿は全国を周って歩いたのです。「神社も朝鮮人が造った」と言うのです。

例えば、神奈川県に大磯(オオイソ)があります。「オイソ」という焼肉屋がありますが、朝鮮語で「オイソ」とは、「遠くから、はるばるよく来ましたね」という意味らしいのです。高麗若光の一族が船に乗って奈良からやってきて、初めて上陸したのがオオイソの地です。「朝鮮からはるばるよく来たね」という意味で、「オオイソ」と名付けたと言うのです。

 陸路を伝い武蔵国まで行くのですが、途中で大きな川がり、洗濯をするところを砧(キヌタ)と言ったというのです。そのようなことがたくさん書いてあります。「なるほどだな」「もっともだな」と感心する内容の本ですが、今はこの本を誰も読まなくなってしまいました。

戦後の流れがあって、「朝鮮人が日本に住み着いて日本を造ったのだ」という説がありました。これが大流行したのです。その流れの中に司馬遼太郎もいるのです。

 金 達寿の話と司馬遼太郎の話は、ほとんど一致します。司馬遼太郎の本名は福田定一といいますが、日本人ではないのかもしれません。司馬遼太郎さんは紀行文に興味をもって、書いたものがあります。

 司馬遼太郎さんの物の見方は、「戦乱に明け暮れてみんな日本に逃げてきたのだ。ところが日本まで来てしまうと、ここから先は太平洋です。行くところはありません。喧嘩をしないように仲良くしてきたのが日本人なのだ」と言うのです。

 司馬遼太郎史観の特徴は、「朝鮮人も日本人もないのだ」と思っていたのです。「日本で育てば日本人になり、朝鮮で育てば朝鮮人になるのだ」と言っていたのです。とりわけて人種については、ほとんど触れていません。

 薩摩に行ってみなさい。苗代川付近に薩摩焼の第十四代沈 壽官がいます。300年前に朝鮮から連れてこられた人々です。薩摩の殿様が「お前達はここに住め。良い土を見つけて焼き物を造れ」と言われたのです。

 あちこち探してやっと朝鮮に似ている土を苗代川で見つけたので朝鮮人は「ここで焼き物を焼きます」と言ったのです。殿さまに「お前達はそこに自由に住め」と言われて朝鮮人が苗代川付近に住んだのです。

 島津藩は、この朝鮮人の身分を士族にしたのです。焼き物は収入になるので、身分保障をしたのです。武士であるということは、戦争になれば戦に行くのです。ところがこの村人は、村の中で結婚しなければいけません。「苗字は朝鮮風の苗字を使え」と言われたのです。

 ちょうど、薩摩の苗代川付近にミニ朝鮮ができたのです。沈 壽官に司馬遼太郎は興味をもって何回も薩摩に訪れたのです。交誼になって酒を飲みかわしたのですが、驚いたのです。沈 壽官は全くの薩摩人そのものです。

 300年間、外部の朝鮮人と接触していないのに、薩摩人そのものの気風が漂っています。島津の殿様について関ヶ原の合戦も戦ったのです。結果は負け戦となり、泣きながらみんなで帰ってきたのです。その歌を沈 壽官が歌うのです。司馬遼太郎は「ここに薩摩人がいる」と見たのです。

 司馬遼太郎は「人間は薩摩の土地で育てば朝鮮人であろうと、薩摩人よりも薩摩人らしくなる」と言いたかったのです。ところがこれは、全て司馬遼太郎の創作だったのです。後でそれがわかったのです。「司馬遼太郎の小説は全て創作なのだな」と思い知らされたのです。

 北朝鮮人の金 達寿は紀行文を書いていたのですが、紀行文にはもう一つの流れがあります。それが東大教授の江上波夫の『騎馬民族征服説』です。日本列島にはこの3つの考えが渦巻いていたのです。

 金 達寿は「この国は全部、朝鮮人が開いたのだ」と言っているのです。騎馬民族征服では、「ある時、騎馬民族が日本列島を駆け抜けて、造ったのが日本の皇室なのだ」という説です。司馬遼太郎は人種のことは何も言いません。「その土地に育てば、そこの国の人間になるのだ」と言うのです。

 司馬遼太郎は、最初に『韃靼疾風録』を書いたのです。それで賞をもらい、新聞記者を辞めることになったのです。司馬遼太郎はモンゴルや韃靼やオロチョンなど、妙なところに興味をもって「どうしてそのような人間ができるのだろうか? ああそうか、土地のせいだな」と思ったことが、司馬遼太郎の結論です。

 それなりに面白かったのですが、民族性というものは、そのようなものではありません。朝鮮人はどこまでいっても朝鮮人です。アメリカで生まれても朝鮮人です。朝鮮人は嫌われて、銃乱射事件を起こしても、アメリカ国籍の朝鮮人です。

 この違いは何でしょう。アメリカで生まれたならば、アメリカ人らしくなります。朝鮮人はアメリカ人にはならないのです。ということは、日本で生まれた朝鮮人は日本人らしくならないのです。

 今では司馬遼太郎、金 達寿、江上波夫の話はみんなおかしい説です。そのようなことがわかってきたのです。

 その代わりに出てきたのが、DNAによる分析です。民族独自のDNAによるのです。日本人は、Y染色体D系統の遺伝子を持っています。それが日本人です。朝鮮人はホモ・サピエンスと900万個も遺伝子が違う異質な民族です。朝鮮人はどんなことをやっても日本人と同化しません。結論的に言えば、朝鮮人は絶対に日本人にはなれないのです。日本人と朝鮮人の遺伝子が違うのです。

 朝鮮人が日本人に成りすましているから「変な日本人がいるな」と思っても、よく見ると「朝鮮人だった」ということです。そのように人種には明確な違いがあります。

 この3つの「人種は関係ないのだ」という人文地理学的な考え方が今では大きく変わってきています。聖書には、「神が種を創った」と書かれています。種は変えられません。猿はどこまでいっても猿なのです。猿は人間になることはできません。狼は犬と遺伝子が違うから、犬にはならないのです。

 「誰が何になるのか?」という種を創ったのかというと、「神が創ったのだ」というのです。だから、ダーウィンの進化論は間違えです。ゴリラは何万年経とうと、人間に成ることはありません。それは、種に入っているのです。

 DNA民俗学が新しく出てきて進化論を揺るがし、これからはDNA民俗学によって考えていくことが大事ではないかと思います。

 

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