人間が幸福を感じること | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

 戦後、「文明生活」と言われて、「便利になること」「物があふれていること」が幸せだとカン違いした人達が多いのです。どこもかしこも「たくさん物を持っている人が偉いのだ」「たくさん土地を持っている人が偉いのだ」「部下を大勢持っている人が偉いのだ」というように、物が豊富にある社会を求めたのです。

 電化製品も三種の神器と言われて、これを持つことが人生の目標でした。一生懸命働いて、冷蔵庫・洗濯機・テレビを持つことを夢見て頑張ってきたのです。今はどこの家庭でも電化製品の三種の神器は全てあります。テレビは1万円~2万円で買える時代になってしまいました。どこの家庭にもテレビはあります。冷暖房完備ですから、寒くていられない家庭はまずありません。そのような意味では物は充実したのです。一番幸福な時代です。

 しかし、その中に住んでいる人間達は、必ずしも幸福を感じていません。2017年の日本の自殺者数は「21,321人」もいるのです。自殺者の数で社会を判断する社会学もあります。自殺者の数で良い社会か悪い社会かを判断するのです。

 しかし、中国のように14億人の人口がいて、自殺者が10万人いても、0.0パーセント以下です。あまり、よい社会ではないと言えます。

 ゴールデンウイークでは多くの人が飛行機に乗って海外へ行くのですが、どうして海外に行きたがるのでしょうか? 僕は不思議で仕方ありません。僕は絶対に海外には行きません。僕は飛行機を棺桶だと思っています。飛行機事故が起きれば、どこにも逃げられません。逃げる所はありません。「事故が起きました。皆様、酸素マスクをおつけください!」などとアナウンスが流れたら、もう棺桶です。飛行機だけは救いがありません。

 潜水艦もそうです。海の中500メートル、600メートル潜っています。窓を開けると水圧で死んでしまいます。しかし、潜水艦には潜水艦救難艦というのがあります。必ず潜水艦の後ろについて潜水艦が浸水したとすると、何らかの助ける方法があるのです。

 飛行機にはそれもありません。飛行機は「尾翼が吹っ飛びました」などと言われたら、「あ~あ~!」と叫ぶだけで何もできません。日航機事故の時には、30分もダッチロールしたのです。乗員は30分も恐怖を味わったのです。

 そんな棺桶のような飛行機に乗って、何処へ行き、何をやりたいのでしょうか? 僕にはわかりません。絶対に飛行機には乗りません。飛行機は乗り物ではないと思っています。新幹線もそうです。まだ事故はありませんが、一発事故があれば何千人と死にます。列車が脱線すれば人間もすっ飛んでしまい、すぐに死んでしまいます。これも棺桶です。そのように僕には見えるのです。

 人にはそのように見えないかもしれません。「楽しいグアム旅行だ」「楽しいハワイ旅行だ」など、そんなことは僕にとってはどうでもよいのです。何処へ行こうとみんな同じです。「海外旅行か、素晴らしいな!」などと棺桶飛行機に乗っかり、グアムだの、ハワイだの、ヨーロッパ旅行など、冗談ではありません。

 日本のほうがよっぽど文化が進んでいるのです。何故、そのようなことにしか楽しみを感じないのでしょうか? 「株で儲かってしまい、3万円の食事をした」「1日10万円食事代に使っている」など、馬鹿なのです。

 人間の幸せとは「物質的条件に満たされれば幸せ」ということではありません。物質もないよりはあったほうがよいのですが、最も人間が幸せを感じるときは、アノミーがないときです。アノミーとは無連帯です。マンションの高層ビルに入り、隣の人が何をしているのかわかりせん。ポツンと部屋に入っているだけです。それを無連帯といいます。

 人間は連帯を求める生き物です。連帯がある社会は良い社会です。連帯するためにはどうしたらよいのでしょうか? それは上の者がウソをつかないということです。上の者がピシッとしなければ、連帯は生まれません。

 我々庶民は力がありません。何の権力も与えられていません。予算も持っていないし、何もできません。権力を持って国家運営している人間、自治体を運営している人間は、一番心に思わなければいけないことは「連帯」です。

 「我々は横浜市民として連帯しよう!」或は国でいえば「日本国民として連帯しよう。上の者も下の者も連帯しよう」ということが欲しいのです。その時に人間は本当に幸せを感じるのです。「ああ、連帯しているのだな。日本人なのだな」と思ったり、「鹿児島県人なのだな」と思ったり、何でもよいのです。連帯は幸せを感じるのです。

 無連帯の社会は幸せを感じません。何故でしょう。連帯するためには正義が必要です。公明でなければいけません。社会の上に立つ者が、正義を失い、公明性を失ったならば、そんな社会は誰も信じません。

 そんな社会を誰が信じるでしょうか? 例えば安倍さんは「統一教会らしい」という疑いがあったら、そんなものは信じません。統一教会は朝鮮人がやっているインチキ宗教ですから、「だまし宗教」です。

 統一教会に関係している政治家は誰も信じません。しかも、統一教会はウソばかりつくのです。みんなウソです。日報の問題も、ウソから問題が起きているのです。「都合が悪い問題は書き換えてしまえばよいのだよ」これもウソです。お役所の人間は、そんなことはしないのです。

 お役所の人間は膨大な権力を握っているのだから、絶対にウソは言いません。だから庶民は安心して「財務省のお役人さんは立派だな。東大法学部を一番で卒業したのだから、たいしたものだ」と思うのです。こちらが上を認めれば、本当に連帯ができてよい社会になるのです。

 多少のことがあっても、「今度消費税がアップします」と言われて、ちゃんと説明があれば自分の懐は厳しくても「やむを得ないな。では喜んで協力しましょう」ということになるのです。そのような社会は楽しい社会です。

 しかし、消費税取っても景気はよくなりません。ますます景気が悪くなれば、何のために消費税を上げるのでしょう。経済学者は「消費税を上げたら景気はわるくなるのだ」と言っています。そんな馬鹿なことをなぜやるのでしょうか?

 疑いを持つ社会は楽しくありません。上の者に信頼おけないのです。戦争になってもそうです。本当に信頼があれば、「俺は滅びてもよい」と思います。「信頼がある」ということは、みんなの心に自分がなっているということです。

 そうなると「日本民族があり、それが生きているならば俺の個体が死んでもどうってことないのだよ」と思うのです。1億分の1がなくなったということです。自分の心が「日本国」ならば、そう考えます。上の役人から、下の庶民までみんなが一体となり、「俺は日本人であるから、命を捧げよう。1億人のためになるならば、俺は一人死んでもいい」と思うのは連帯を感じるからです。アノミーと反対のものです。そこに人々は喜びを感じて、生き甲斐を感じるのです。社会は信頼と正義、公明正大で成り立っているのです。公明でなければいけません。今の世の中はあっちにひいきしたり、こっちにひいきしたり、ひどいものです。

 宗教法人を申し込んでみてください。何年経っても下りないとわかります。降りた宗教法人は無税ですからやりたい放題です。「俺にも宗教法人をくれよ」と言っても、ああでもない、こうでもないと屁理屈を言うのです。宗教法人は憲法上、平等でなければいけません。それが平等では全くありません。

創価学会は完全に憲法違反しています。創価学会の会館は宗教施設です。宗教施設を使って選挙運動をやっているのです。しかも、公明党の幹部は創価学会員です。完全に憲法違反です。公明党は権力についています。石井啓一を国土交通大臣に出しています。

 故・小室直樹先生は「権力がない間は、何を考えてもよいのだ」と言っていました。野党である間に「国立戒壇」などと何を言ってもよいのです。ただし、権力を持ったらそうはいきません。自分の宗教に都合よく利用するならば、それは公明ではありません。権力を持った瞬間に公明正大がなくなるのです。

 公明党は完全な憲法違反です。みんなそうです。至る所でそのようなことが行われて、正義感がないのです。生活保護を受けるには、朝鮮人を優先して日本人には生活保護を受けさせません。憲法では「外国人に生活保護を与えるのはいけない」と言っています。それなのに自民党は屁理屈をつけて外国人に生活保護を与えているのです。これも憲法違反です。

 外国人は公務員になってもいけないのです。川崎市は在日朝鮮人が400名も入っています。一体これは何でしょう。公明正大ではありません。だから、みんな不安を感じて、怒りを感じて「これでいいのか?」と感じて、上から下までイライラしているのです。

 バルチック艦隊との激戦前に「本日天気晴朗なれども波たかし」と言った言葉が大事で、「天気晴朗」とは、公明正大ということです。同じ戦争をしても「これは正義のための戦である」というならば、公明正大です。人殺しのために行く戦争は公明ではありません。「正義のための戦である」と決めたならば、これは堂々たるものでスッキリするのです。

 今、日本に一番欠けているのは公明正大です。上に信頼性が無い、正義感がない、ウソばかりついている。これでは社会が崩壊するのです。その社会にアノミー(無連帯)が広がったところで、社会は崩壊するのです。

 再び、公明正大な世の中を築かなければいけません。物など、あってもなくてもどうでもよいのです。極端なことを言えばそうなのです。長屋に住んでいようと、あばら家に住んでいようと構いません。

 本当に求めているのは公明正大です。その時に人間は生き甲斐とやりがいを感じるのだと思います。

 

 

 

 

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