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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

百舌鳥古墳群を歩く ⑧ ~原山古墳、鳶塚古墳、長塚古墳~

2017-01-23 23:23:28 | 史跡を歩く
 グワジョウ坊古墳から東へ、大仙公園の出入り口を目指して歩いていくと、小さい築山が2つほどある。それぞれに原山古墳、鳶塚古墳と書かれた説明版がある。この2つの古墳については、昭和30年ごろに開発に伴う土取りで消滅した古墳である。その後、大仙公園の整備に伴い、元のあった位置に植樹林として復元されたものである。そのため、正確な復元かというとかなり疑問な部分があるような気がする。

 鳶塚古墳については、平成10年に行われた確認調査では、直径21mの円墳で周囲に幅2~3m程度の周濠が検出されている。

 

 確認調査の際には、堀の中から家型埴輪なども見つかっており、それらの埴輪から5世紀の中ごろから後半に作られたのではないかと考えられている。

 

 また、原山古墳についても、と平成10年の確認調査では鳶塚古墳と同様に墳丘の周りを巡る周濠の跡が見つかり、墳丘は直径25m、周濠の幅は約6mだったことが判明している。

 

 原山古墳については、鳶塚古墳と違い、破壊される前に緊急調査がなされており、その際に埴輪と葺石が確認されており、また、木棺を直葬したと考えられ、副葬品では、布に包まれた鉄鏃や土師器などが見つかっている。

 

 原山古墳についても、出土した埴輪から鳶塚古墳と同様に5世紀の中ごろから後半に築造されたと考えられている。復元された古墳の周りを周回するように道が作られており、どうやら周濠があった位置を示しているようである。
 大仙公園の中では、訪れる人も少なく、ひっそりとして二つの築山が並んでいるような感じである。

 大仙公園を出て、JR百舌鳥駅へ向かって歩いていくと、駅前の派出所の裏に、フェンスに囲まれて長塚古墳がある。フェンスの中には、「史蹟長山古墳」と刻まれた石柱と史跡長塚古墳と刻まれた案内板がある。史蹟長山古墳と刻まれた石碑は、大正時代にこの古墳が史跡に指定されたときに立てられたもののようで、少し古い時代には長山古墳と呼ばれた時代もあったのだろう。

 

 古墳自体は、近くまで住宅などが密集していて、全体像を見ることができない状態になっている。調べると、前方部を西に向けた前方後円墳であり、墳丘の長さは、全長106.4m、前方部幅75.2m、後円部径59.4mの大きさであったと考えられており、後円部より前方部が発達した古墳である。また墳丘の周囲には幅14m程度の周濠があったらしい。

 

 レーダーによる地中の調査では、後円部の中央に石で作られた埋葬施設があることが確認されているが、実際に発掘調査等はなされておらず詳細は不明である。
 古墳からは円筒埴輪や朝顔形埴輪などが見つかっており、それらから5世紀の中ごろから後半の築造と考えられている。

 

 長塚古墳についても、百舌鳥古墳群の中では、比較的状態のいい古墳ではあるので、何とか工夫をしてもらって、全体像が見えるようにしてほしいものである。
 

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