十二月大歌舞伎第三部 | 花の他には松ばかり

花の他には松ばかり

歌舞伎のことなどなどのひとりごと

 

クリスマスだということは頭になく、チケットを取っていた。

私らしい過ごし方かもしれない。

 

 

席は花道七三のすぐ横(下手側)だった

 

十二月大歌舞伎第三部

 

二人椀久

勘九郎がとても丁寧に踊っていた。

七三で扇を開いたとき、「バッ」という音と振動を感じて、

これだから生はやめられないと思った。

松山太夫の玉三郎が出てくると、もうそこは幻想の世界だ。

ときに勘九郎が、バレエのパドドゥの男性ダンサーのように、

プリマの玉三郎の陰にまわって引き立たせているようにも見えた。

玉三郎と踊ると、若手が消えてしまうように感じることがあるが、

勘九郎は消えなかった。

まだ固さは見えたけれど、とってもよい椀久だった。

二人が作る幻想の世界に、ただただ酔うばかりのひととき。

 

 

【京鹿子娘五人道成寺】

花道奥から七之助が、途中から勘九郎がスッポンから登場。

懐紙を鏡に見立て、化粧して紅を懐紙で押さえるように口にくわえ、

くるくるっと丸めて客席にポンと放るのは決まり事なりだが、

私に、クリスマスの奇跡がおきた!

 

勘九郎が私めがけて投げてくれた!

人生の中で最高のクリスマスプレゼントだ!

 

勘九郎はスッポンに引っこみ、七之助が所化たちとの問答。

いつかこの人が一人で「京鹿子娘道成寺」を踊る日が来るんだろうな。

七之助なら、七之助色の道成寺を見せてくれるだろうと思えた。

 

「花の外には松ばかり・・・」

私の大好きな部分。

ここは玉三郎以外ないだろう。

「恋の手習い」も、玉三郎。

これも大好きな踊りで、あまりに好きすぎて途中ボーッとしてしまったくらいだ。

私は高校生のときから玉三郎の道成寺を観ているが、

何かしているわけでもない「間」の風情は、年を重ねてきたからこそだなあと思う。

 

若手たちも頑張っていた。

児太郎もうまくなっていた。(花笠)

中村“シスターズ”の小太鼓の踊りも身体能力のある二人にピッタリ。

梅枝の手踊りも、あの若さでいつもながらの安定感。

 

だが、若手たちの踊りを観ていると、この踊りがいかに体力を使い、

いかに難しいのかが初めてわかる。

4人とも必死!

こんなことを玉三郎は20代から今まで涼しい顔(のように)で、やってきたとは!

 

手毬唄は5人で、若手たちが四方八方にクルクルと回るのは楽しい。

そして、圧巻は鈴太鼓の場面だった。

5人が鈴太鼓を手に、ときには一列に並び、ときには玉三郎を真ん中にアンサンブル。

鈴太鼓の音と共に、もう感動しかなかった。

 

鐘に5人がぶっ返った衣裳で最後の見得のときは、もう涙止まらず。

 

 

玉三郎は若手4人に託したのだろう。

次の、それぞれの道成寺を。

 

 

私が最初に玉三郎の道成寺を観たのは、高校3年の受験が終わった次の日。

玉三郎が出てきたとき、ジワがわいた。

あのときほどのすごいジワを私は聞いたことはない。

40年後の今も、こうして玉三郎の道成寺を観ているということに感無量だった。

そして、私を歌舞伎の世界に引き込んだ、おととし亡くなった親友も、

高校3年の受験の後、同じ公演を観ていた。

彼とはよくその話になった。

「あの丸めた懐紙欲しいな」と彼はよく言っていた。

今日、私、勘九郎からもらったよ。君が知ってる「勘九郎」の息子だよ。

あんたの代わりに私がもらったよ。

 

玉三郎の道成寺を観るのは、これが最後かもしれない。

(玉三郎がまたやってくれるなら話はべつだが)

私の最後の道成寺も今日で終った。

いろいろな役者の道成寺(若い頃の菊五郎や梅幸たち)を観たけれど、

私にとって、道成寺の花子は玉三郎なのだ。