「セオドア、今の音すごく良かったよ。透明感があるのに、厚みもあって」

俺は、週1回タクミの個人授業を受けている。
この栄光に授かれたのは、同じバイオリンのジーン・ブラッドローと、この俺、セオドア・オニールのみだ。
一年間限定ではあるものの今をときめく人気バイオリニストの個人授業を受けられるとあって、応募が殺到した。
この授業を受けるために時間帯が被る他の単位の登録を抹消した奴もいるという専らの噂だ。
覚悟していた以上に50倍の倍率は非常に厳しかったが、なんとか奇跡的にくぐり抜けた。

はっきり言ってコンクールで優勝するより難しかったかもしれない。

「ココをもう少しだけ、丁寧にするともっと良くなる」

目の前で、タクミが流れるような美しい所作でバイオリンを弾き始める。

さっき「すごく良かった」とほめられたが、それは単にこの先生がほめて伸ばすタイプだからだ。
目の前の、今、このときに聞こえてくるこの音を聞けば、とても『あれでいいんだ』と自惚れる気にはなれない。

だけどそれはまあ置いといて、タクミに褒めてもらえるのは気分がいい。
だって、みんな気になる人に褒めてもらうのは好きだろう?

そうだ。
俺はタクミが好きだ。

年は5つ上の25歳。
美貌の天才バイオリニスト。
世界中から引っ張りだこの人気者で、拠点のNYで捕まえるのも一苦労。構内でだって、授業中以外はどこにいるのやらさっぱり。まあたいてい誰かに捕まっているわけだが・・・。
私生活はかなり謎。
雑誌やTVのインタビューでも、音楽のことになると饒舌なのに、私生活については本当に当たり障りないことしか答えないから、あまりよく分からない。曰く、好きな食べ物とか、乗っている車とか。

つまり・・・恋人がいるのかどうかすらも分からない。ゴシップ誌でさえなかなか実態を掴めていないようだ。
しかも周囲には女性がたくさんいるようだ。
クラシックを含めた音楽家達はもちろん、映画音楽などを手がけることもあるから、女優などにも人脈がある。
だが、その誰とも決定的な瞬間を撮られたことはない。親しげにグループで食事をしているところぐらいか。そんなの仕事をしていたら当たり前の話だろう。

一方で、男性はどうだろうか。
これまた色々だ。
チェリストのアルセニオ・ベルリオスや、同じバイオリニストのタカオ・ツキシロなどは、ジュリアードの同期で仲が良いことで知られている。
他にも、日本の大学時代の同期で、ピアニストのカズヤ・サハラや、女性バイオリニストのサチコ・オカザキなどなど。
そのほかは、ベルリオス家つながりなのか、実業家にも顔が広いようだ。Fグループにも親しい人間がいるらしい。

つまり、全く捕らえ所がないのだ。

女性も、男性も、タクミの廻りには魅力的な人間がたくさんいるが、候補が多すぎてよく分からない。
ゴシップ誌の中には、複数のステディな関係の人間がいるのではないかという根拠のない噂さえ、もっともらしく書き立てられることもある。
無論本人からのコメントは一切ナシ。
あるとすれば、「僕はしがないバイオリン弾きなので」という、要は放っておいてくれという趣旨のものしかない。
タクミに実際会うまで、実は・・・俺もそういったゴシップ誌が意外に的を得ているのではと思っていた。

3歳ぐらいからずっと音楽の道を目指していた俺は、タクミがデビューしたときからのファンだ。
正直、タクミの母校であるジュリアードに入学したときでさえ、すでに卒業していたこの人を遙か遠い存在だと思っていた。
それが、突然特別講師として着任するという。
絶対に逃してなるものかと思った。このチャンスを。
タクミハヤマという天才を間近で見て、触れて、話す、またとない機会を。

そして、忘れもしない初めての授業のあの日、ドアの向こうに立っていた、想像以上に華奢で儚い人物を見たとき、俺は恋に落ちたことを悟った。
実際のこの人は・・・とても遊びで恋ができるような人には見えなかった。
謙虚で清純で、肉欲などとは別世界の存在に見えた。

もしかしたら、本当は夜は豹変して色気たっぷりに複数の恋人たちと遊んでいる本性を巧妙に隠しているのかもしれない。
それは分からない。
だが、もうそれはどうでもいい。真実がどうあれ、気持ちは止められない。
俺は、すでに目の前の人に夢中だった。

そのときから、タクミは、憧れの人ではなく、俺の恋のターゲットになった。
ちなみに脈のほうは、今のところ悲しいほど全く無いんだが。

「あ、そうだセオドア」

タクミが手を止めて、少しすまなさそうに俺を見上げた。
俺たちの身長差は10センチ超ぐらい。

「なんでしょう、タクミ?」

ふつう、この人を呼び捨てにすることなど叶わないだろう。
だが、個人授業を勝ち取った俺には、本人からそう呼ぶことを許されている。
まあ・・・もう一人の個人レッスン生のジーンも同じなのだから俺だけの特権というわけではない。

「あの・・・来月の、授業のことなんだけど」

タクミが言いづらそうにもじもじと視線をさまよわせる。
そう。
その様が、いかにも俺のツボなのである。

可愛い。
5歳年上の、男相手に可愛いなんて形容詞、絶対に使えない。タクミ以外には。
この人は特別だ。
別格だ。
俺の・・・

「来月初日が、休講なんだ」
「・・・はい?」

いろいろ脳内に妄想を張り巡らしていた俺は、思わぬ内容に間抜けな大声が出てしまった。

「今、なんておっしゃいました?」
「ごごご、ごめんね!!かならず埋め合わせはするから!」

俺の大声に、タクミはびくっと肩を震わせて、慌てた様子で手を振る。
驚かせたかったわけではない。
ああ、俺ばかだなー。

「すみません、タクミ。・・・ちょっと驚いたもので」
「そうだよね」

すまなさそうに眉が下がる。
そうすると華奢な身体がさらに小さくなり。
まるで小動物のようだ。俺の手の中に収まってしまいそうだ。

「・・・だから、ね?代わりの、代替日を決めないといけないんだけど・・・」

今度は伺うように俺を上目遣いで見てくる。

・・・まーっっずい。下半身にキた・・・
耐えろ、俺。
今はまずいだろ。
ここ教室だから。
ふ、二人きりっていっても、ここ大学だから。
公共の場だから。
ほら、周りの目もあるから。
いや、その前にタクミはセンセイだから!

耐えきれなくなった俺は、色気を無自覚に漂わせ始めたタクミから何とか目線を引き剥がした。

本当に厄介な人だ。

「タクミ・・・それって、平日でないとだめですか?」


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前回UPしようと思っておりましたお話をやっと書いてUPできました。長かったです・・・。
なんだか年々時間が無くなっていきます。なぜだ。やりたいことの半分もできていない気がします。
ところで、このお話は微妙に、
10m先の初恋」とリンクしております。今回の主人公セオドアが10m~のジーンと同級生という設定なのです。これ、3年以上前に書いたものです。懐かしいです(*´▽`*)
そのわりに、題名が「推定片恋Ⅱ」となっているのはたくみ君への片恋を扱ったものだから、ということでして・・・Ⅰのエメリヒは露ほども出てきません、すみません。

保護者3につきまして、まちさま、ラッキーさま、しのさま、三平さま、ちーさま、harukaさま、かなさま、コメントありがとうございました。
ニコルがいったい白なのか、黒なのか、グレーなのか、よく分からん感じで進んでおりますが、すみません(;'∀')
ギイの慌てっぷりを楽しんでいただければ嬉しいです!

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