Sexiest Man in Singapore

オーチャードのパラゴンの裏の、Cainhillエリアの古いショップハウスは、バーに改装されて 人を集めていた。2階でソファに座っていると、2階から3階に上る途中の、長い黒髪のラテン顔の男が凝視してきた。それが、J.M.とすぐにわかった。
人口も500万人程度、ショービジネスも未熟なこの都市国家で、Sexiest Manと言う冠がついても、なんとなく無理やりつけた さえないアイドルのキャッチコピーみたいな 違和感は、実は、感じた。でも それは 私が日本を知っているからで、この国の女の子にも ロック好きな男にもJ.M.は 人気があった。

もともとは バーEuropaで集客できるバンドで有名になった。Liveをするときは、パーキングができないほど混むのが、話題になった。その後は、OrchardのサッカーのM.U.にちなんだ、Manchester United Bar, 刑務所バーのアルカトラス、クラークキーのYellow Jello,などなど その時々に、事業家が思考を凝らした話題の企画物のクラブに、必ずジョンのライブは成功パターンの販促鉄板企画として、ついてまわった。

『華がある』、というのがどういうことか、見ているとよくわかった。あれは、努力して地道に取得していくものではなくて、体の中に備わったエネルギーのよう。人が盗みたくても、盗めないものだと、思った。
テレビの仕事が大嫌いで、待ち時間が大嫌いといつも言っていた。

完全禁煙国を目指すこの国では、政府が制作したNon SmokingキャンペーンのCMを、何度も何度もChannel5で流す。タバコの箱に、おどろおどろしい病んだ臓器の写真がつき始めた。この頃のシンガポールは、目的達成の為には、どんな有効手段をも、選ぶ姿勢が徹底していた。それが2001年に めずらしく経済成長率がマイナスを記録して、自信を失ったのか、この頃から国民の意見、諸外国の意見を気にするようになって、‘ワークライフバランス’なんかをうたい出すようになってから、姿勢が ぶれ始めている。
これを次のステージへの進化と捉えるのか、進化の終わりと捉えるのか、見方によるけれど。

ジョンのDon’t Smokeというフレーズと、彼のビッグスマイルは、何度も何度もテレビで流されて、たくさんの若者に届いたはずだ。当の本人は、自分が開いた、Siglap Road沿いのダイビングショップの奥で、机の上に足をのせて、タバコを吸っていた。そんな 奔放な調子のよさが、私は好きだった。いつも好きに生きている様子が羨ましかった。朝 起きたら、新しい曲を大声で楽しそうに歌いながらシャワーを浴びて、『今までと違うジャンルに 挑戦してるんだ、こういう軽い感じの苦手だったんだけど、うまいでしょ?新しいことに挑戦するのが、大事なんだ!』と ワクワク話している顔を見ると、好きなことを仕事にしていることが、そのエネルギーの元になるんだと、心から羨ましく思えた。
ただ、本人は、その気持ちとは別に、ビジネスマンとして成功したい気持ちがあるらしく、数年ぶりにあったときには、自分がいまだにうたっていることを 逆にとても恥じているようだった。私には、羨ましいことに他ならないのに。

いつも新しいことに挑戦しなくちゃ いけないと、香港の旅行中に教えてくれた。いつも同じ部屋に居たら、一生同じ部屋をぐるぐる回っているだけ。だからHave to open new doorと。私は、この言葉を、その後も時々 思い出していた。清水寺で目をつぶって、石の間を歩いて相性を占ったら、何度やっても、私たちには、いい結果が出なかったね。

こんなことを思い出した夜のちょうど次の朝、フェイスブックで私を見つけたジョンから、Miss you a lotと書いたメッセージが あった。私は、I envy your fameと返した。
プラチナアロワナ
金と地位と、本当のオーラ     
 
夜の世界は 昼にも増して、演出された世界だ。まだ先進国入りしていないこの国だって、先進国ぶって おままごとみたいなVIPルームを作ってみたりする。日本のバブルを知っているなら、それが おままごとみたいに見えても、この国に住んでいるなら、それはそれで この社会のステイタスで、カラダが大きくて色の黒いセキュリティスタッフが、無愛想さを 増せば増すほど、演出がかって、その場所のステイタスは 上がっていく。

私は、何度も何度も 練習したんだ。知り合いのビッグネームも使わないルールを自分で決めて、何も説明せずに、そのVIPルームに 無言で何も言わずに入っていくんだ。スタッフに媚びた笑顔をむけるわけでもなく、ただ、黒と金のポールと鎖をじっと見つめて、心の中で、この鎖がほどかれる、と 信じると、その鎖は、驚くほど簡単に、クールに、無愛想な男たちによって、さあ どうぞ、と ほどかれて、中に入るんだ。

こういう場所に 何度も来て、お金を落として払って、常連になって、そうしたら VIPになるのは、当たり前で、それを鼻にかけているなら、ただの男なんだ。名刺を出して、鎖をほどかせたって そんなのただの男だ。
私は、本当の女になりたかった。そうすれば、お金よりも 地位よりも、『何よりも強いもの』、が手に入る気がした。人の心みたいなものが。

私は 何も持っていなかったが、不幸でもなかった。たまに日本に帰ると、背の高い世界チャンピオンは、よく私に『お前みたいに すべてを持っている人には、俺の気持ちはわからない』と言った。私は、何も持っていないよ。あなたには 世界チャンピオンの称号があるよ。でも 私には、何でも持っているような オーラがあった。そのチャンピオンは、いつもいつも 不機嫌そうに 真剣に考え事をしていた。ただ その不機嫌さと無愛想さは、斜に構えたものではなくて、現状に満足しない 何かを追いかけている それだった。その人は ビジネスで成功して 今 笑っている。

ほしいものを 願う力。鎖が何も言わないで ほどける力。必ずあるはずだ。私は しゃべりすぎなんだ、きっと。本当に本当にほしいものは、変わっていないはずじゃないの? あの時みたいに 念じればいいんだ。何も持っていなかったけれど、ほしいものが 明確だった あの頃みたいに。そうしたら、きっと必ず 鎖がほどける。さあ、どうぞ と。

 


国によって怒りのテンションが 違う様子です

さて、鉄さんにいただいた 課題、上手く小説にできないので、、、
取り急ぎ ブログに たらたら と、、、


皆さんは、怒りのテンションは、高い系ですか? 低い系ですか?

この間、タイのバンコクで暴動があるので、ど真ん中あたりの道路が閉鎖されているとかで
ちょうど 出張が入っていたので、行くかどうか、どうしようか 悩んだりしていたのですが、
現地の人たちが、『ぜんぜん、大丈夫』 とのことなので、行ってきました。そうしたら、本当に
『ぜんぜん、大丈夫』な印象でした。

確かに閉鎖はされていたけれど、空港は、のんびり下印象、閉鎖された道のすぐ横は、平和に
足マッサージのお店が並んで、居酒屋さんが並んで。

シンガポール人も、世界で一番 クレームが多い人種とのことで、『サービスが悪い!』とかでは
異常に 論理立てて、怒りを説明するのですが、たとえば、戦争の話の時には、『戦争の時には、
全員が狂っている状態だからね、仕方ない。昔のこと。』と 話すパターンがとても多いです。
つまり、とても 怒りも合理的というか、理論的。

マレーシアは、イスラム系の国ですが、過激な行動もなく、のんびりしている印象があります。
もちろん 中国系 X マレー系(イスラム系)の 長い長い 解決なき対立は ありますが。
その部分だけは、とても 入り込んでしまうとEndlessになってしまいますが。。

怒りポイントは、それぞれです。

God  Inside  of  Myself 

その弁護士は もう一人のパートナー弁護士と一緒に Dashingポーズで 入ってきた。その時に 私は人生で初めて、インド人に恋したの ‘かも’、しれない。内務大臣の紹介で、敏腕で、殺人事件も無罪にした人だよ、と聞かされていた。別の日の夜、食事に3人で行くことになったときは、ビジネスの話なのか、なんの話なのか まだ 私にはよくわからなかったけれど、人生を楽しんでいるのがわかる、いたずらっぽい真っ黒い瞳がきらきらとしながら、私を見ているときには、もうわかった。

裁判もよく見に行った。You want to see my next Open Verdict? 今度の僕の公判、見に来る?と よく 誘ってくれた。私は被告側の席について見ていると、被告側は、私が日本人なので、Are you from ASAHI?  と聞かれたりしたが、私が被告側のサポーターとわかると 大変に好意的に受け入れてくれることがほとんどだった。

裁判官が入ってきて、みんなが 起立したときに、その弁護士は、必ず 右手で自分の右の尻をわしづかみにする。これが、後方で見ている 私への挨拶というか サインだった。


不謹慎ではあるが、そういうアグレッシブなかんじが 好きな人だった。荒っぽいチャーミングさは、普通の中庸な家庭に育ったのではなく、本当に貧しい環境を生き抜いたからのようだ。本当に母親と一緒に 皿洗いをしていた話をしてくれた。でも、いつも不思議なことがおこると、教えてくれた。いつも 神に助けてほしいと祈ると、必ず 助かるんだ、と 教えてくれた。私は、初めは よくある 一般の話と思って 黙って聞いていた。でも それは、印僑が使う、『自分の中の神を起こす』というジュガールだったんだ。


今、アメリカにいるインド人は 全体の0.5%。だが、10億万長者のうち、インド人の比率は、10%である。この異常に高い数字には、秘密がある。

自分の中の神を起こせ。こんな言葉は、自己啓発の一文にしか見えないかも知れない。でも、ラダがずっと 私に教えてくれていた、あの目は、私に大事なことを教えようとしていた目は、本当だった。だから 私も 本当に、とても長い時間がかかってしまったけれど、これから 秘法を使うんだ。 

 

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今日は小説風な ブログは お休みで、また ちょっとした 雑談話。

小説風の方の アジアン デトックス というタイトルの方にも書きましたが、シンガポールでは、花にまつわる(おまじない的な)話も 多いんです。


たとえば、笑ってしまったのが、プルメリアのお花。ラッフルズのお庭に咲いている白い花。たくさん 道に落ちていると思います。


『この花を ベッドのまわりに置いて、女の子が寝ると、夜に 男性の幽霊が出て、犯されちゃうんだ、だから絶対にあの花だけは、飾らないで』、と シンガポール人の男の人が、とても真剣に話すんですけれど。。。


なんだか 文字にすると 笑い話にしかならないですね。。。


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TCS Actors 成功法 T.C.

今はメディアコープと言っているけれど、社名がTCSと言うころのテレビ局は、俳優がテレビ局に専属だった。日本のアナウンサーのように、露出は多いけれど、給料性で、ぜんぜん儲からない。主役になっても 普通のサラリーマンの額だった。
テレンスとは、もともと同じエアラインの、ほぼ同期だったから トレーニングセンターでよく顔を合わせていた。3ヶ月の地上トレーニングの後、フライトに出たけれど、その頃は もうすでに TCSに入ろうか、入るのを やめようか、悩んでいた。

電話がかかってきたとき、<どうしたらいいと思う?>と聞かれて、軽く、<やってみて、だめだったら またエアラインに戻ればいいんじゃない?> と言った私の言葉に、彼は 初めて激高していた。<今、もし、成功しなかったら、って言ったでしょ? You Mean I will not Succed? 僕が成功しないっていうこと?> なんだか敏感に言葉尻を捉えられて、急に怒られて、私は 動揺した。でも、それくらい、Sensitiveに、自分の成功を信じていたんだ、彼は。
すぐに 主役になって、いつも主役で 今も主役。外見は特に恵まれているとは 思えない。普通のHDB(公共団地)に住んでいた、普通の子。ただ、表情が可愛いところ、目標達成に執念があるところ、自己愛が強いところ、あと、目標達成のための手段の分析が きちんとされていた。『いろんなドラマ見たんだけれど、主役には、たった4つの型しかないのに、気がついたんだ。この4つのパターンができるようになれば、主役でいけるんだ。』と 自分の研究結果を 力強く話してくれた。Only4Pattern, Only4、と とても 強調していた。

その後は、私に電話をかけてくるときには、『Actingをしているテレンスです。』と 語るようになって、ローカルで初めて70万ドルのCM料がとれるようになったと 新聞に出てからは、小さいLodgeという名前がつく、プールがないけれど、場所は一等地のScotts Roadの交差点沿いのStudio物件を買って、なんとか 面子を保とうとしていた。
努力家で、顔がむくむからと 夜は水分は一切とらないし、おなかに少しだけ肉があるのを見せたくないみたいで、夜のそういうときにだって、絶対にTシャツを脱がずに、腹まわりを見られることだけを、少女のように 避けていたのは、異常な程だった。
お金持ちの友達の車の助手席に、我が物顔で乗り込んで、ピアース ブロスナンのマネをしました、というような、‘まぶしい目’をして表情を作った顔には、『お金はありません』と書いてあるみたいだったけれど、そこが 男のかわいいところのような気がした。自己演出は、した者勝ちなのかもしれない。多少の滑稽さが残ったとしても。。。
 
結局のところ お金があって醜い男性であっても、チャームがあってもお金がない男性も、どっちにしたって 滑稽なんだから、そんな人の目なんて 気にしないで、達観しないで、好きなように生きればいいんだ。


Spider

すごく背も高いけれど、横にも白く太くて 典型的な客家の金持ちのリムと一緒にいるのは、自分がどこまで 名誉や物欲のために、生理的に好きでない男といれるかを、自分で試しているようであった。
駐在員の派手な暮らしに負けたくないと 実家の両親に頼んで買込んだ 海を見下ろす2LDKのコンドミニアムの前に、赤いフェラーリで いつも迎えにきた。エンジン音を MAXにして、私が近づくぎりぎりまで、ずっと 音を鳴らし続けて、それ以上ない存在感を主張する。通行人も 外でタバコ休憩の労働者も、その間、オーッと叫んだり、口笛を鳴らして 私が車に乗り込むまでの お見送りだ。

私が その車を Ferrari と呼ぶと、リムは、必ず<スパイダー>と言いなおすんだ。『Ferrariじゃなくて この車は、Ferrariの中でも この国に2台しかない‘Spider‘なんだ』、ということは、たぶん、もう数十回も聞いた。
運転しながらいちいちカーブを曲がるときに ギアを変えて、そのたびに いちいち 『Spiderを買ったときに イタリアでF1のドライバーのトレーナーから 運転を教わったんだ。F1のドライバーのトレーナーからだよ。』と、必ず最後に繰り返して、念を押すパターンの一連の台詞は、カーブが来る そのたんび、に言うので、おかしかった。

車から下りたら、自分の素敵な革靴の、紐も結ぶのに 全力で無言にならないとできないくらい 太っているのに、車の中では饒舌で、カーブのときは、真っ白い丸い顔の真ん中の眉間にツンと しわを寄せて、細かくギアチェンすると、横から西陽があたれば、少しかっこよく見えることに 驚いた。

7人のフェラーリのオーナーで、全員違う色にしようといって、黄色のフェラーリがなかったから、あいつに 買わせたんだ、黄色を、と言ってる先の彼は、背の小さくて細くて、メガネのしたり顔の男。この男だって、私はなんとなく 知っている。よくテレビの表彰式に出てくるけれど、時々 エスコートサービスに来ている。土曜日の朝に、全部違う色のフェラーリで ジョホール バルに朝ごはんを食べに行く。

なんとなく このグループにいると なんとなく 法律が どういう風にできて行くのか、キャピタルゲインTAXと、相続税の設定の仕方で、国の雰囲気が変わっていくこと、不動産を知る知らないですべてが変わること、日本人であるだけで こんなにもてはやされる日本神話、、クリーンな中にも、もちろん特別待遇はいつでも存在すること、ゲームは初めから勝ちが決まっている人が、楽しくいつでも勉強していて、楽しく実行して、楽しくやっぱり勝って、またさらに、排他的に差をつけていくことなど、そんなことが、なんとなく わかってきた。
リムは、腰が悪いと言う診断書をいくらかで知り合いの医者に書かせて、兵役制度も免れて、Sixth Avenueの 鯉が泳ぐ庭のついた大きなバンガローに住んでいた。Sixth Avenueには、リークアンユーもいるから、警官も回りにたくさんいて、リムの家の中で 何か持ち込んで していても、うちは、逆に安全なんだと 豪語していた。

庭のメンテナンスで月に8000ドルで、ダイニングルームが、1個がWestern Styleで、もう一個が Chinese Styleで、調度品があれでこれで、、

でも もう急に、いなくなった。何かがひっかかって、ロスに逃げたと聞いた。ただ あの人ならきっとまた勝てる。何かを捨てても、きっと勝てる。私は いつか偶然の再会を願っている。





Complexed Feeling


あの名家に養子になる前の実家も、相当由緒あるところだ、という日本大使館に新たに赴任した事務次官の噂は、リージェント ホテルの営業マンから 聞いたことがある。その本人から、急に電話があった。
『食事をしませんか?』とのことだった。なんで私のことを誰から聞いたのかは わからないが マリーナ マンダリンホテルの リストランテ ボローニャで 食事をした。ボローニャなら、アンティパストの素晴らしさだけで 満足できるし、理不尽な会社にちょっと 不満があるように苦い顔で、笑顔を作るマネージャーのアンディの、手馴れた接待ぶりも 好きだった。
電話で 苗字を聞いたとき、日本人なら誰でも知っているはずの、その珍しい名家の姓を、私が 『どういう漢字を書きますか?』と聞いてしまったとき、『坊さんの坊です。』と丁寧に言ってくれたとき、その途中で 相手が何者か気がついた私は、恥ずかしさとともに、『この人には背伸びしないで会えそうだな』、と感じた。
ランチを終えて、数日後、夜に車で迎えに来た。私は大学卒業して次の日から この赤道直下の人種の坩堝にいる。
だから、、、、そう、、だから、、、、??、日本の常識がない。
この人のことを はっとするような ハンサムな人、としか認識していなかった。車でイーストコースとパークの方をドライブした。私が言ったルートではない。女の扱いに関して、初心者が必ず連れてくるこのルート。飛行機が見られて、ひと気がなくて、暗くて、そんな典型的なスポットに、急に連れてこられても、自分で納得するところがあった。
渋谷109のLip Serviceで見つけた、パープルにラメ入りの胸元のV字が食い込んだエナメルTOPに、黒いエナメルミニスカートをはいていれば、『勘違いしないで』と彼に怒ったとしたら それは逆に滑稽な気もする。ただ 私はいつもセクシーでいたかったんだ。ただ それだけ。それ以上の感情も何も無く、いつもセクシーで 男の人にAdmireされる存在でいたかった。それをチープとみなす同性がいようと まったく関係ない。肝心な男性にさえ、そう見えていれば、それでよかった。その論理的な理性的な感情よりも、男性が私を妖しく思う欲情の方が数十倍強いはずで、私は、自分がその とてつもない強い欲情を、ハンサムな男から引き出せるなら、多少の誤解なんて、まったく 恐れなかった。
その人は、どんどんどんどんと草むらの中を歩いた。大概の場合、こういう場面で、あせったり、おどおどしたり、そうではないとしても、暗いのでしっかりと下を向いて地面を見ながら歩く。でも彼の姿勢が、こんなに真っ暗で 足元が見えない中で あまりにもまっすぐで、しっかりと前だけを見て、ずんずんと突き進むのを見て、『本当にコンプレックスがない人』なんだと、妙に確信した。あまりにも 自信に満ちているというか、何事にも不安を感じない、挫折したことが無い、すくすくと育った優秀な人。優秀な雄、だった。
26歳だった私は、しかし直感的に、強くまさに『その時』そう 思ったのだ。後付ではない。

エリートは弱くない。本当のエリートは、異常に強いんだ。

私は本人に言った。
『本当にコンプレックスとか 無いんですね。』
『なんだか なにも 恐れずにまっすぐ前に進んでいるから。普通と違います。』
『えええ、そうですか?』 なんにも 裏表無く 屈託なく 驚いて 笑っていた。
私の口の中でのときも、『口では初めて。』と その時もくったくなく 話していた。




ハブロック ロード Havlock Road

まだ その頃は、ウォーターフロントエリアは工事中だった。今、Water Front Hotelがあるところは River View Hotel、 Copthorne Hotel、 Miramah Hotelみたいな 3スターホテルしかなかった。
私は そういうホテルのLoungeで、火曜と木曜に水着ショーを していた。
水着に4回着替えて 全部で5人のモデルで 代わる代わるステージに出て行って歩くだけ。それだけで 大変な歓声が上がることが多かった。Most promising model と アナウンスしてくれるMCにあわせて、1回目は水着にウィッグを被って歩く。2回目は黒いロングの手袋をして歩く。3回目は、孔雀のアイマスクをして歩く。4回目は 貝殻ブラだったりもする。
エロスを感じさせる内容が集客の要素。私は そういうのを楽しめた。

Havelock Roadから1本はいると、一番ホットな巨大クラブZoukが出てくる。
Zoukでショーができるのは、Carrie Modelsの子だけ。Zouk にDanneと一緒に毎週行った。Danneと私は それぞれの目的に為に、一緒に行った。
駐車場が一杯だけれど、Danneの車だけは優先されて、奥に入る。
クラブの入口でMockに会った。スポーツウエアのショーだったみたい。車の中の私をみつけて、“ワー”と驚いた拍子に、フロントにつばが飛んじゃうような 、ほんとに純粋な子。本当に純粋な。。。こんなキレイな顔と身体なのに 安いお金でステージを 歩くだけが、気の毒な気がした。せっかくの才能を詐取されているみたい。

Havelock Road の向いのHDB団地の敷地内で smokeなんて なんであんなことをしたんだろう。  
もう絶対にしない。絶対に。心拍数が 1分間に130もあって怖かった。心臓が壊れそうだった。咳止めシロップ Cough Dropsを飲むと、急にぼんやり 眠くなる。それとは対象的な症状。

帰りのタクシーの中で、苦しく横たわっていたけれど、City Hallのサークルジャンクションで 警官が取締りをしていた。とっさにまっすぐ90度にすわり直し、脚をくんで、つんとすました。
多くの男の誘いを振り切って 一人帰宅する、気の強い女として、ガラス越しに自分を映した。Zoukは 未だにある。でも 白人かぶれしたDJ Adamはたぶん居ないはず。
白人かぶれしているDJ Adamみたいな中国人よりも、私は 平気で白人批判するリークワンユーも リーシェンロンも好き。マハティール首相も石原慎太郎も好き。







My Special Friend


マレー人の身体がとても美しかった。日本では見ることがなかった。Monoというニックネームの彼は、男性らしさを集結した男だと思っていた。陸上で他の追随を許さない運動神経も、ハンサムとは言い難い熱帯を代表する顔もステージ上のDashingポーズも、すべてが男性そのものを表現していると思っていた。

Carrier Modelsといえば、その国では数少ない、レベルの高いモデルが所属するAgencyだ。エアラインの同時期入社のスチュワードで、トレーニングでよく顔をあわせた。
彼がバイセクシャルだという噂を聞いた時 私は その真逆のイメージを信用するどころか、笑い飛ばし、なぜ そんな噂があるのか、不思議な気もちがした。
今なら あの独特の感性が、特有のセクシュアリティから来ているのが理解できる。 

Monoには、ブラザーと呼んでいる弟分のハムがいた。ハムと一緒に家に来る、と主張しているのが 私には なぜかわからなかった。ハムに 兄貴分として 女の子のテイスティングをさせたかったのだ。

ハムのきれいな顔を見ながら なんで こんな子が未だ経験がないのかが不思議だった。
私には嫌悪感がなかった。ハムには純粋さと清潔感があったから。
でも 上手くできずに とても落ち込んでいる様子を見てから、なんとなく 惹かれるものがあった。
【You are my special friend.】なんとなくいとおしい気持ちから出た、私の言葉。【Special friend ・・・】ハムは、その言葉を繰り返していた。
ハムが国内の短距離で1位になったのを夜のニュースで見た。TV番組マガジン“8Days”のインタビュー記事を目にした。記事のコメントには、こう書いてあった。 
He said,【 I would like to keep impressing my special friend・・・】
スペシャルフレンドを感動させ続けたい・・・

3人の世間でいうところの下品な一夜は 私にとって、純粋さを感じる大切な一夜だったんだ。