ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

イブは、若く健康なブルゴーニュの女性 …… 陽春のブルゴーニュ・ロマネスクの旅 9

2015年07月30日 | 西欧旅行…フランス・ロマネスクの旅

       ( ブルゴーニュの村と教会とお墓 )

5月27日(水) 晴れ

「イブの誘惑」を求めて >

 今日はオータンに、ロマネスクを代表する彫刻を見に行く。中でも、お目当ては「イブの誘惑」。

 だが、ユーラシア大陸の果てから訪れる旅人には、行きにくい町だ。

 パソコンで、フランス鉄道時刻表を開いて、「ディジョン~オータン」 を調べたら、ディジョンから鈍行で約30分のシャニーまで行き、そこで鉄道バスに乗り換えて1時間10分という行程。

 「乗り換え」というが……多分、駅前の広場でバスに乗り換えるのだろうが、ヨーロッパの町では駅はたいてい町はずれにあり、乗り換えのバスはそこから1キロも離れた町の中心の広場から出る、というケースだってある。そうなると、駅前でバスが来るのを待つべきなのか、町の中心らしい方向に向かって歩き出すべきなのか … 。

 田舎の駅で、人にものを尋ねたくても、人はいないし、いても、言葉は通じない。

 帰りは …?? 帰りの時間帯の時刻表を調べると、バスに乗らなくてもよい。が、オータンから反対方向へ2駅行って?? エタン(グ)??という駅でディジョン行きに乗り換える。… これ、大丈夫かなあ??

 何ともしんどそうと、計画段階で少しメランコリックになった。しかし、だからと言って、ブルゴーニュまで出かけて、オータンには行きませんでした、では、済まないではないか オータン訪問のためだけに1日をあてているのだから、少々迷っても、何とかなるだろう、と思い直す。

        ★

< ブルゴーニュの野をバスで走る >

 シャニー駅に着くと、人のいない駅前広場に、オータン行きの小型バスがちゃんと待っていた。バスのフロント硝子の上に、「AUTUN」と書いてあるので、安心する。

 乗り込むと、運転手はマダムだった。制服などという野暮な服は着ていない。こんな田舎町でも、中年女性がちょっとオシャレな服装で、シャキット働いている。いや、田舎だからこそ、人手不足なのかも 日本も同じだ。 

 発車時刻になっても、誰も乗ってこない。専用車だ。これで列車を走らせたら、大変な赤字路線というわけだ。

 小型バスは、いきなり、シャニ―の村の中の、民家が建てこんだ、狭いメイン道路を疾走し 、幾つかの民家の角を鮮やかに曲がって、やがて村の外へ出た。(その速さに面食らい、座席にしがみついた)。

 野に出ると、天窓から、ブルゴーニュの風が入ってくる。

 バスは、林の中の一本道や、畑の中の細い道、或いは、野の花の咲く野の道を、ウサギのように走る。

 最初は緊張したが、マダムと心中するつもりで腹を据えると、なかなか痛快である。

 1時間少々の間に、3箇所ほど、村の中の停留所らしき所に停車したが、誰も乗ってこない。バスも採算は取れない。

 

 こうして、少々のハラハラ感とともに、ブルゴーニュの村の風情や野の景色を十分に楽しんで、あっという間にオータンの駅前に到着した

 これこそ、ブルゴーニュの旅。病みつきになりそう。

        ★

< イエスの奇蹟の生き証人の遺骸を納める大聖堂 >

 オータンの人口は1万6千人。ローマ帝国初代皇帝・アウグストゥスの勅命によって建設された由緒ある町だ。当時の名称は、アウグストドゥヌム Augustodunum==アウグストゥスの砦。それが訛って、オータンとなった。ローマ時代の城壁や、城門、それに劇場なども、わずかに残っている。

 駅から町の中心部の方へ歩く。昨日のトゥルニュより、町の規模はかなり大きい。しかも、丘の町で、周辺部に位置する鉄道駅から中心部へ向かうには、ひたすら緩やかな上り道である。15分もせっせと歩いて町の中心広場に出た。さらに10分も歩いて、やっと目指すサン・ラザール大聖堂が見えてくる。

  ( オータンの街並み )

  ( サン・ラザール大聖堂の南側 )

 福音書によると、マリア、マルタという姉妹、その下にラザロという弟がいて、イエスはこの姉弟を愛した。ところが、弟のラザロが病にかかり、死んだという知らせが入る。伝道中のイエスは急いで彼らのところへ赴き、姉たちとともに涙を流し、そして、既に葬むられていたラザロを甦らせるという奇蹟を行った。

 イエスの死 (と復活) のあと ── 十二使徒をはじめ、イエスの母マリア、マグダラのマリア、あるいはラザロ姉弟の、その後の行動とそれぞれの死については、さまざまな伝承があるようだ。民衆の願望は、思いもよらぬ物語を生む。

 一説によれば、この3姉弟は南フランスに漂着して、布教したという。さらに、ラザロの死後、その遺骸は、ブルゴーニュ地方に運ばれた。

 サン・ラザール大聖堂は、聖ラザロの遺骸を聖遺物としてもつ教会として、12世紀の前半に、ロマネスク様式で建てられたのである。

 なにしろ、神の子イエスと生前に直接に語り合い、イエスが行った奇蹟の「証人」でもある人の遺骸である。サン・ラザール大聖堂には多くの巡礼者が訪れるようになる。

 15世紀には、大聖堂は、外観も、内部の一部も改修され、ゴシック様式になって現在に至っている。下の写真に見るように、身廊や、壁を飾るステンドグラスはゴシックである。         

( ゴシックの身廊と後陣 )

        ( ステンドグラス )

        ★

※ 以下の彫像に関する記述は、『芸術新潮』2002年8月号「フランスの歓び」を参考にした。

< ブルゴーニュの2大傑作とされるタンパン > 

 大聖堂の南側の広場から西側へ回ると、西正面扉口 がある。ここの装飾はすべてロマネスクの時代のものである。

   

       ( 大聖堂の西正面扉口 ) 

 扉口の上にある半円部分をタンパンという。

   ロマネスクでもゴシックでも、タンパンには「最後の審判」の絵柄が彫られることが多い。

 このサン・ラザール大聖堂のタンパンは、ヴェズレーのサン・マドレーヌ・パジリカ (明後日に訪れる) のタンパンとともに、ブルゴーニュ産(ロマネスク様式)のタンパンの二大傑作と言われている。                 

  

  ( タンパン / 最後の審判 )

 光背を帯びたキリストを真ん中に、向かって左が天国、右が地獄。天国の上部には聖母マリア、その下には使徒たち。上部左端には、天国の窓から覗いている人たちがいる。

 半円のタンパンの足元に、水平(横)に広がる部分はマグサと呼ばれる。ここには、最後の審判を受けるために、眠りから覚めて、石棺から立ち上がる死者たちの群れが描かれている。

   ( タンパンの右側を拡大 )

 タンパン右側の地獄は、天使と悪魔が人の魂を奪い合ったり、悪魔が人間をぶら下げて投げ落とそうとする図柄が描かれている。

 特に、地獄の方に、中世的な不気味さと、しかし、どこかユーモラスな趣もあって、面白い。

 このタンパンは、フランス革命の前に、「かっこ悪い」という理由で、全面的に漆喰を塗られてしまった。そのお蔭で、大革命時の民衆による「打ちこわし」に遭わずに済んだ。19世紀になって、漆喰が取り払われ、中世美術の再評価の機運の中で (このころにロマネスク様式という名称も生まれる) 保護されたのである。

 一神教も怖いが、神を否定する革命側も、自らを絶対正義と信じ切って、まことに恐ろしい。

         ★   

< 柱頭彫刻をま近に見る >

  サン・ラザール大聖堂のロマネスク彫刻を有名にしているものに、もう一つ、柱頭彫刻がある。ここではその中の優れた作品が柱から取り外され、2階の1室に展示されて、間近に見ることができるのである。

 新約聖書の福音書によると、ヘロデ王のとき、イエスは、ベツレヘムで生まれた。

 東方の占星術の学者 (博士=マギ) たちがエルサレムにやって来て、ヘロデ王に面会し、「ユダヤ人の王として生まれた方は、どこにいますか」と尋ねる。ヘロデ王もユダヤ教の司祭たちも不安を感じる。「ベツレヘムで生まれるという予言はある。探し出して、必ず報告に戻れ」。

 学者たちは旅を続け、星に案内されて、幼子とその母に会うことができた。そこで、誕生を祝って贈り物をする。

 マタイによる福音書によると、その夜、「『ヘロデのところへ帰るな』 とお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国に帰って行った」とある。

 

       ( 眠るマギへのお告げ )

   柱頭彫刻のマギたちは、裸で、なぜか冠をかぶって、クレープのような布団の中で、仲よく寝ている。明け方、不思議な声を聞く。「エルサレムに帰ってはいけません」。右手にそっと指を触れる天使。驚いて目を覚ました博士の頭上には、目パッチリの花形マーク  3人の博士は真上から、天使は真横からという不思議な構図は、柱頭彫刻という制約の中での非現実的描写だが、その後のルネッサンスの科学的透視画法などより、絵画的で面白い。

 さて、「占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。『起きて、子どもとその母親を連れて、エジプトに逃げ、私が告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている』。ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた」(マタイによる福音書)。

 

    ( エジプトへの逃避 )

   イエスを抱いてロバに乗り、エジプトへ逃げるマリアは、ラファエロの描いた繊細優美、良家の子女のようなマリアとは異なり、村娘の若々しさと清純をもつマリアである。しかも、そのふっくらとした顎は、体の頑健さと、決してへこたれない心の剛直さを表しているかのようだ。

        ★

< この旅の目的の一つ、「イブの誘惑」に対面する >

 大聖堂の隣にロラン美術館がある。遥々と東方からやって来た見学者を、美術館の女性職員たちは、言葉が通じないが、親切に案内してくれた。

 そして、その中の1室で、ついに、「イブの誘惑」に対面した。

  オータンのイブとの対面の場面を、井上靖の小説『化石』は、どのように描いているだろうか??

  一行は、若い岸夫妻、マルセラン夫人、主人公の一鬼である。マルセラン夫人は、フランスの富豪と結婚している中年の美しい日本人女性。ちなみにNHKのドラマでは、岸恵子が演じた。岸夫妻が、どの彫像が一番良かったかを話題にする。

 「奥さまは?」と、(岸夫人が) マルセラン夫人の方へ顔を向けた。

 「わたくしですか。わたくしは」

 マルセラン夫人は、ここで言葉をきった。一鬼はこの場合も、夫人の眼が笑っているのを見た。少女が、いたずらでも思いついた時しそうな表情であった。

 「わたくし、あれが一番好きです。あのイブが」

 「なるほど」

 岸がその方へ顔を向けると、岸夫人も一鬼も、それにならった。どこにはめ込まれてあったのか、横に長い石の浮彫が台の上に置かれてあった。一糸まとわぬイブが、水中でも泳いでいるような姿態で、横向けに彫られており、右手は頬に、左手は体に沿って長く伸ばして、リンゴの実をつかんで、それを、ちぎろうか、ちぎるまいか、思案しているところである。大きく盛り上がった乳が二つ息づいており、それが石で刻まれたものとは思われぬほど、なまなましかった。このイブもまた、明らかに村の娘であった。

 …… 中略 ……

 イブの水中で泳いでいるような姿態は、よく見る例のリンゴの木の傍に立っているイブなどの持たぬ、のびのびとした明るさを持っていた。…… 豊かな髪を背後に垂らしている横顔は、さすがに多少思案深げであるが、他のイブの顔が持っているような、ためらいも、怖れも、おののきも見いだされない。

                      ★

 美しい中年女性のマルセラン夫人が、「少女が、いたずらでも思いついた時しそうな表情」で、「イブの誘惑」に着目させる設定が良い。

 それに続く井上靖の文章 ── 「水中でも泳いでいるような姿態」「のびのびとした明るさを持っていた」「明らかに村の娘であった」等々は、これ以上、あれこれ言う必要がない素晴らしい「鑑賞文」である。

 だが、あえて井上靖の時代には分かっていなかったその後の研究結果を付け加えれば、「水中でも泳いでいるような姿態」であるのは、この浮彫の石が、もともと北扉口のタンパンの下のマグサに彫られたものだからである。横に長いマグサを埋めるには、イブを横向きに描かざるをえなかった。先ほどの「眠るマギへのお告げ」の構図が不自然であったのと同じ理由である。そして、イブに向き合う姿で、アダムの「泳ぐ」像もあった。

 イブとアダムは顔を寄せ合っていたのだ。井上靖は「右手は頬に」と書いているが、イブは頬に手を当て、アダムに向かって、甘い言葉をささやいているのである。「イブの誘惑」である。

 それにしても、大聖堂の扉口に、等身大の大きさで、若く、健康な、全裸の女性を彫ったのである。ロマネスク時代の、名もない石工の心意気。やりますねえ

 ルネッサンスやその後の西洋絵画に描かれた、不健康なほどに肉付きのよい裸婦像などと違って、ブルゴーニュの村に現実にいて、日々畑仕事や家事仕事をやっている、若く、健康的な女の姿であるところが、良い。

 実は、このイブとアダムの像も、西正面扉口のタンパンが塗りつぶされたときに、「かっこ悪い」と投げ捨てられた。アダムは、そのまま行方知れず。イブは土地の名族のロラン家にかろうじて拾われ、こうして今、ロラン美術館に納められている。

 生き延びるのは、女。でも、残ったのが女でよかった、と、男の私も、素直に思います

         ★

オータンのローマ劇場まで歩く >

 この日も、昼食は、サン・ラザール大聖堂の横のベンチに座って、クロワッサン1個とオレンジ1個。レストランの昼食より遥かに安上がりの上、体調が回復してくる。

  ( 大聖堂横に泉水 )

 大聖堂からテクテクと20分近く歩いて、ローマ時代の遺跡、ローマ劇場に行った。

      ( ローマ劇場 )

 昨年、シチリアで見た、地中海を遥かに見下ろす丘の上の大ローマ劇場と比べると、大人と子どもの違いであるが、その分、のどかで、人けもなく、パパが子どもを連れて来ていて、これも、絵になる。

 さらに、駅まで20分ほど歩いた。腰や膝が痛んだ

        ★

 2駅だけ逆方向へ行く列車は1両編成。しかし、フランス鉄道では珍しく、窓ガラスが綺麗な列車だった。

 それで、ブルゴーニュの風景が、楽しかった。( 冒頭の写真 )

  

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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