10/5 「もう少し様子をみようの罠」で、体調不良について書いていました。
2週間ほど前から何となく身体の調子がおかしい。
少し歩いただけで動悸がして、胸が苦しくなる。
何もしなくても胸が締めつけられるような気がする。
でも少し時間をおけば、そのつらさはなくなります。
頭をよぎるのは、再発か転移・・・・
心筋梗塞 でした
すぐに行動を起こすこと
「もう少し様子をみよう」と、行動を後回しにしなかったのがよかった。
医師にも「いい判断でしたね。もう少し遅ければ大変だったね」と。
次から次へと何か起こります。
身に降りかかった出来事に、何か意味があるとは思いません。
不幸を数え上げることもしません。
ただ受け入れるだけです。
今を明らかにするだけです。
以前、「あきらめる」の語源は、「あきらむる」=「明らかにする」と
書いたことがあります。
まさに今そんな心境です。
「明らか」にしても、この2週間落ち込むこともありました。
そんな時は無理に前向きになろうとはしません。
ただじっとしてエネルギーが戻るのを待っていました。
落ち込んでいても食欲はあるんですね。
心臓食という病院食は、味も薄く量も少ない
でも、この2週間食べることに貪欲になっていました。
心は落ち込んでいるのに食欲はある
無理に「食べなければ」と思い込んでいたわけではありません。
気持ちや心ではなく、身体が食を欲していたようでした。
人の意識や生きる欲望、それは心だけでなく
身体の内臓、血管、そして隅々にある筋肉にも存在するのでは。
今そんな感覚があります。
元々、心は心臓にあるわけではありません。
何かを感じ、考えるのが心としても、頭の中に臓器として
存在しているわけではありません。
身体の中のすべての部分に存在している。
それが心です。
そんなことに気づいたら、少し前に見た映画のあるシーンを思い出しました。
この映画の中で、2度目の殺人を犯し死刑を覚悟した殺人犯の役所広司が
ピーナッツバターをつけたパンを食べるシーンがあります。
このシーンが何故か不思議と心に残っています。
生きることをあきらめたのに、黙々と貧欲にパンに噛りついていました。
心はあきらめたのに、身体の中にある臓器や筋肉は生を欲している。
不思議です。
辛い時に、自分の頭の中にある心にばかり目を向けるのではなく
身体の内にある意思や思い、欲に気づくこと
これも大切ではないでしょうか。
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