10/5 「もう少し様子をみようの罠」で、体調不良について書いていました。

 

2週間ほど前から何となく身体の調子がおかしい。

少し歩いただけで動悸がして、胸が苦しくなる。

何もしなくても胸が締めつけられるような気がする。

でも少し時間をおけば、そのつらさはなくなります。

 

頭をよぎるのは、再発か転移・・・・

 

心筋梗塞 でした

 
10/8の土曜日、朝から胸の痛みや圧迫感が続き
午後からは背中の痛みがあり、生あくびが出てきました。
「これはまずい」と感じ病院に駆け込むと、心筋梗塞との診断でした。
 
すぐに、心臓カテーテル手術を行い血管にステントを入れました。
その間、2~3時間の出来事です。
2週間の入院の後、先週末退院しました。
 

すぐに行動を起こすこと

 

「もう少し様子をみよう」と、行動を後回しにしなかったのがよかった。

医師にも「いい判断でしたね。もう少し遅ければ大変だったね」と。

 

次から次へと何か起こります。

 

身に降りかかった出来事に、何か意味があるとは思いません。

不幸を数え上げることもしません。

ただ受け入れるだけです。

 

今を明らかにするだけです。

 

以前、「あきらめる」の語源は、「あきらむる」=「明らかにする」と

書いたことがあります。

 

まさに今そんな心境です。

 

 

「明らか」にしても、この2週間落ち込むこともありました。

そんな時は無理に前向きになろうとはしません。

ただじっとしてエネルギーが戻るのを待っていました。

 

落ち込んでいても食欲はあるんですね。

心臓食という病院食は、味も薄く量も少ない

でも、この2週間食べることに貪欲になっていました。

 

心は落ち込んでいるのに食欲はある

無理に「食べなければ」と思い込んでいたわけではありません。

気持ちや心ではなく、身体が食を欲していたようでした。

 

人の意識や生きる欲望、それは心だけでなく

身体の内臓、血管、そして隅々にある筋肉にも存在するのでは。

今そんな感覚があります。

 

元々、心は心臓にあるわけではありません。

何かを感じ、考えるのが心としても、頭の中に臓器として

存在しているわけではありません。

 

身体の中のすべての部分に存在している。

それが心です。

 

そんなことに気づいたら、少し前に見た映画のあるシーンを思い出しました。

 

 

 

この映画の中で、2度目の殺人を犯し死刑を覚悟した殺人犯の役所広司が

ピーナッツバターをつけたパンを食べるシーンがあります。

 

このシーンが何故か不思議と心に残っています。

生きることをあきらめたのに、黙々と貧欲にパンに噛りついていました。

心はあきらめたのに、身体の中にある臓器や筋肉は生を欲している。

 

 

不思議です。

 

辛い時に、自分の頭の中にある心にばかり目を向けるのではなく

身体の内にある意思や思い、欲に気づくこと

これも大切ではないでしょうか。

 

 

 

■注目セミナー 研修 コンサルティングのご紹介

 

「顧客を主語にした顧客満足」実践ガイドセミナー

仕事を変えるマインドフルネスセミナー 

「顧客を主語にした顧客満足」実践ガイドブック

気づいてなりたい自分になる処方箋セミナー

「固定客の外輪に眠る 巨大素人マーケットを探る」セミナー

顧客体験コミュニティ (グループコンサルティング)

無料レポート「気づき体質への変換講座」

無料レポート「氣づいてなりたい自分になるための処方箋」