人はあきらめきれない。煩悩を断つことなんか実際には不可能である。

ということを、はっきり認識することが大切なんです。

その上で、あきらめるのであって、それには勇気が必要なんです。

 

五木寛之 著 「気の発見」 より

 

 

私は、煩悩の塊のような人間です。

感性の上層階を眺めるようなスピリチュアルなことを書きながら

「お金も欲しい」「高級車に乗りたい」「人が羨むような生活がしたい」という思いを

捨てきることができません。

 

「あきらめる」という言葉には、マイナスのイメージがあります。

「もうダメだ」と嘆く、今までそんなイメージがありました。

 

そして、人には「あきらめた」と言いながらあきらめていません。

どこかで「まだ・・・」という未練が残っています。

 

 

だとしたら・・・

 

「あきらめきれない」とハッキリと言った方がいい。

「お金も欲しい」「高級車に乗りたい」「人が羨むような生活がしたい」

とハッキリ言ったほうがいい。

 
 

でもこの時しなければいけないことがあります。

 

「明らかにする」 ことです。

 

「受け入れる」 ことです。

 

「受け入れる」には、勇気 が必要です。

 

それがこの言葉の真意だと思います。

 

 

「自己肯定感」という言葉がありますが

その言葉の前にしなければいけないことは、自分を受け入れること

「自己受容」 だと思います。

 

「自分はこういう人間」と明らかにすること

その上で、自分の出来ることを丁寧にしていく。

 

失敗続きの私は容易に自分を肯定することはできません。

「あなたにはこんな素晴らしいところがある」と言われても

その「素晴らしいところ」から恩恵を受けただろうか?

いつもそんなことを考えてしまいます。

 

他人は勝手なことをいいます。

「あなたにはこんな素晴らしいところがある」と言いながら

最後は、それを生かすのも殺すのもあなた、と切り捨てます。

 
でも、私は 今 を生きていかなければならない。
 
 という字が示すように、私は今をどういう心で生きたらいいか
 
勇気をもって自分を受け入れる
 
「自分はこういう人間」と明らかにすること
 
そして
 
自分の出来ることを丁寧にしていく
 
これが私の生き方です。
 
60歳になってやっとここまでたどり着けました。
 
元々コンサルタントとして活動してきました。
二度の大病を経験し、今だ生き残っているのは
まだまだやることがある、と今は確信しています。
 
「気づきのマーケティング講座」 は、
仕事という社会との接点を通じて自分を表現していくこと
 
「なりたい自分になるための処方箋」 
自分を愛で、人間関係という言葉から自分を解放すること
そのための自分に向けられた習慣と行動の処方箋です。
 
二つのテーマは、表現(行動)とその裏にある心という部分で
強く繋がれています。
 
「何をやるか」「どうやってやるか」だけでなく
「どういう心で」も、とても大切です。
両者は切っても切れない関係です。
 
 
これが、私に与えられたテーマだと思っています。
私が出来ることだと思っています。
 
これからも、このテーマをより深く掘り下げていきます。