「…… 、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。」
詩編 23篇 3~4節
近代生活は、多くの物に囲まれて一見豊かに見えますが。決してそうではありません、科学・医学の発達で長命になっていますが。
いつか別れが来ます。全てを残して裸で旅立っ時が来ます。そのとき、神が共にいて下さり、神に従うことを知っておれば、
ひとりで旅立つ寂しさはありません。そこに平安が、まことの平安があります。
義の道は決して平坦でま直ぐな道ではありません、しかし、その道は神の救いを示し、その道を歩む者には、
神の義である救いを得させる道なのです。「…。わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。 」 ヨハネ 1:21
神に背を向け、死と言う苦痛に捕らわれる私たちは、悔い改める日々の中に得るものがあります。
それは、神と共に如何なることも歩みとおす喜びです。神に目を向け、神と共に歩みましょう。
ヨブ 1:21
「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」
ヨハネ 14:18
「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。」