マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

救いの道

2017年09月22日 | キリスト教

「…… 、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。

あなたが私とともにおられますから。」

                                               詩編 23篇 3~4節

 

近代生活は、多くの物に囲まれて一見豊かに見えますが。決してそうではありません、科学・医学の発達で長命になっていますが。

いつか別れが来ます。全てを残して裸で旅立っ時が来ます。そのとき、神が共にいて下さり、神に従うことを知っておれば、

ひとりで旅立つ寂しさはありません。そこに平安が、まことの平安があります。

 

義の道は決して平坦でま直ぐな道ではありません、しかし、その道は神の救いを示し、その道を歩む者には、

神の義である救いを得させる道なのです。「…。わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。

わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。 」 ヨハネ 1:21

 

神に背を向け、死と言う苦痛に捕らわれる私たちは、悔い改める日々の中に得るものがあります。

それは、神と共に如何なることも歩みとおす喜びです。神に目を向け、神と共に歩みましょう。

ヨブ 1:21

「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」

ヨハネ  14:18

「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。」

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